聖書箇所 Ⅰコリント人への手紙3:18-20

 

3:18 だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。

3:19 なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕える。」

3:20 また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。」

 

本日も御言葉に沿ってみていきたいと思います。

 

ここで言われているのは、この世の知恵、つまり、人の知恵は神の前には愚かであるということです。

この世の人は、この世の知恵や方法を用います。

政治、経済、学問、哲学、思想等、これらの事柄は、この世のものであります。

問題は、それらのものが、クリスチャン、キリスト教界にも入り込んできているということです。

クリスチャンとは、キリストの奴隷という意味合いです。

つまり、この世(サタン)のものではないのです。

ゆえに、いつも神様の支配の下にいなければいけないのです。

にも、かかわらず、終末の大きな問題というのは、多くのクリスチャンや教会がこの世とさほど変わらない、いえいえ、この世のものになりつつあるのです。

すべてがすべてとは言いませんが、キリスト教界のトレンドと呼ばれるものは、この世のものを迎合しているのに過ぎないものばかりなのです。

たとえば、「ダビンチコード」は、その一例です。

私は、読んだことも著者すらも知りませんが、聞いた話だと、キリストは十字架についていないとか、マグダラのマリヤと結婚して子どもまでいた等、あらゆるキリストを冒涜することが書かれているそうです。

もし、このことが本当だとしたら・・・このような聖書に書かれてもいないような嘘・偽りを平気で書く人は、キリストのことを全く知らない愚かな人です。

本を出すぐらいですから、文章力は人よりも優っているのでしょう、見聞も広いのでしょう。

でも、いかかでしょうか?

このような人のことを神は「愚か」だと言われているのです。

18節の「自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい」に、語りかけを感じないでしょうか。

今のご時世、色々と物知り、はたまた、多くの情報を掴んでいる人は、美徳とされたり、人々から尊敬の目で見られたり、重宝がられたりします。

でも、神様は、そういう人たちに対して、あえて、このように言われているのです。

人の視点と神の視点とのギャップをあらわしています。

20節には、「知者の論議を無益」とまで、言っています。

さきほど、ダビンチコードの話をしましたが、それこそ、「無益」なもの、人々の霊的な建て上げや助けにならないものなのです。

そうなのです、この世のものは、何の益も、もたらさないのです。

それどころか、人々につまずきを与えるため、神様の御心を損ねたり、働きを妨害してしまう可能性もあるのです。

たとえば、イエス様はパリサイ人や律法学者に対してこのように言われなかったでしょうか。

「人の言い伝えは神のことばを無効にする」と。

それこそ、「無益」という言葉に、そのまま通じるのではないでしょうか。

また、身近な例を挙げるなら、クリスチャンが艱難を通らずに、携挙されるという教えです。

これらの教えは耳に心地よいものであります。

でも、御言葉には、何と書かれているでしょうか。

「かつてもないような、今後もないような、ひどい苦難のときがある」と。

もし、聖書の御言葉をないがしろにして、艱難は通らないという教えを吟味もせずに、ストレートに受け入れるなら、艱難の備えは不要ということになります。

しかし、主はその日のために備えなさいと繰り返し語られているのです。

人が言っていることと、主が言っていることは、全く逆のことです。

でも、どちらが正しいでしょうか、賢いあなたなら、もう、お分かりのはずです。

もちろん、聖書で言われていることが正しいのです。

艱難を通らないなんて、クリスチャンにとっては、とても都合がいいですし、ありがたいことですよね。

でも、残念ながら、それは、耳に良いだけのもの、根拠の無い安心感を抱かせるだけのもの、はたまた、クリスチャンに備えを怠らせて滅びへと至らせるためにサタンが人を通して勝手にでっち上げた作り話に過ぎないものなです。

どんなに良いと思うことでも、人の知恵や考えは所詮、神様の知恵にはおよばないのです。

ですから、少し辛辣な言い方にはなりますが・・・神様の教えや知恵や方法をないがしろにして、人の知恵や考えや教えや方法を優先するのなら、いのち(永遠のいのち)に至ることはないのです。

もっと言うなら、この世の教えや考えに陥り続けていくのなら、それは、滅び(永遠の刑罰)へと直行してしまうのです。

 

また、神様が「知者になるために愚かになりなさい」と言われたのは、この世の教えや言い伝えから離れなさい、私の言葉だけに関心を寄せなさい、そうでないと、真理の御言葉を扱うための知者にはなれないということを私たちに語りたかったのではないでしょうか。

 

私自身のことで恐縮ではありますが・・・

私も、こんな風に、わずかながらも、御言葉を扱う奉仕をさせていただいているので、このように申し上げることが出来るのですが、世の中のことに片足を入れながら、つまり、世の中ともうまくやりながら、こういった働きをすることは出来ないということを学ばせていただいています。

偉そうな言い方で恐縮ではありますが、いかに、世の中と分離していくか?いや、可能な限り、世と分離したり線引きできるように、絶えず祈りながら、働きに携わっています。

そうでないと、真理に対して盲目になってしまったり、あやふやになってしまったり、別のものをつかんでしまったりするからです。

それでも、世で生活しているので、よほど、こういったことに関して意識していないと、あっという間に引っ張られてしまいます。

ですから、「知者になるために愚かになりなさい」と言われた神様の言葉は、本当に正しいなぁと思います。

 

「世をも世にあるものをも愛してはならない」という御言葉もありますので、私たちクリスチャンは絶えず、世とは一線を画していき、純粋に神様のことを知っていくようにしていきたいと思います。

極端な言い方をするなら、主イエス・キリストのみを知ることに徹していきたいと思います。

そのことを実践していくときに、神様の知恵や知識、英知に満たされていくようになります。

具体的に何をしたらいいのか?もし、これまでの私のつたないメッセージを読んでくださったのなら、御理解されておられると思います。

お祈りと聖書通読です。

それにプラスして、本日、メッセージさせていただきましたように、世と線引きしていくこと、それから、世の中の教えや情報に振り回されないことです。

もちろん、すべてが嘘というわけではありませんし、中には真実もありますし、ある程度は知っておくことも大切かもしれません。

でも、色々な情報、たとえば陰謀のこととかにしても、仮に、それが真実だとしても、あまりにも、そのことばかり引っ張られることには御心は無いように思います。

なぜかと言うと、それらのことがそのままキリストの救いに直結することは、ほぼ、ありませんし、神にあっての喜びや平安で内側が満たされることもありません。

何を申し上げたいのかというと、今の時代のクリスチャンは、良い意味合いにおいても悪い意味合いにおいてもあまりにも情報通で、そっちのほうがメインになってしまって、肝心な御言葉が、どこかにとんでしまっていることが多いからです。

ですから、色々な問題に対して、堂々巡りをするだけで、なかなか真の解決に至らないのです。

でも、お祈りと聖書の読み込みに徹していくときに、ひとつひとつのことを聖書的にとらえていき、正しい対応が出来るようになっていきます。

また、あらゆることに関して、それらが神様から出ていることなのか、単に人からのものなのかという分別力も、次第に培われていくようになります。

そうしていくときに、人々に真理だけをお伝えしていくようになります。

特に、今の時代は、嘘・偽りが真とされ、反対に、真理の教えがカルトと呼ばれている時代ですので、そういった点についても、正しくとらえていき、賢く対応していく必要があると思います。

繰り返すようですが、人の知恵や能力に頼らずに、神様の知恵や力や方法を祈り求めていくことをぜひ、おすすめいたします。