Ⅰコリント人への手紙16章 2011.2.12,2.19

 

16:1 さて、聖徒たちのための献金については、ガラテヤの諸教会に命じたように、あなたがたにもこう命じます。

聖徒たちのために送る献金について

ユダヤ人

献金に関しても、御言葉のとおりに行ったときに、御言葉通りの恵みを得る

10分の1の献金をささげるときに経済が守られる

 

16:2 私がそちらに行ってから献金を集めるようなことがないように、あなたがたはおのおの、いつも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい。

献金も計画的に蓄える

 

16:3 私がそちらに行ったとき、あなたがたの承認を得た人々に手紙を持たせて派遣し、あなたがたの献金をエルサレムに届けさせましょう。

コリントの人々(異邦人)はエルサレムに献金を届けに行った

霊的に恵みを受けているのなら、物質的なものをもって奉仕するのは聖書的

社会で収入を得ている場合、10分の1を返すかどうかによって受ける恵みが変わる

人を騙すことはできても、神を侮ることは出来ない

どこの教会へ行っても聖書の原則は変わらない、忠実に行っていく人は霊的なものをきちんと見る

聖書の言葉は尊重する

私たちの理解や思惑を超えて実現していくから

 

16:4 しかし、もし私も行くほうがよければ、彼らは、私といっしょに行くことになるでしょう。

16:5 私は、マケドニヤを通って後、あなたがたのところへ行きます。マケドニヤを通るつもりでいますから。

16:6 そして、たぶんあなたがたのところに滞在するでしょう。冬を越すことになるかもしれません。それは、どこに行くとしても、あなたがたに送っていただこうと思うからです。

16:7 私は、いま旅の途中に、あなたがたの顔を見たいと思っているのではありません。主がお許しになるなら、あなたがたのところにしばらく滞在したいと願っています。

16:8 しかし、五旬節まではエペソに滞在するつもりです。

16:9 というのは、働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大ぜいいるからです。

9節はエペソのことを言っている

9節は、具体的にどういうことを言っているのか?

 

参照 使徒の働き19:1,8-12

19:1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、

19:8 それから、パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。

19:9 しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。

19:10 これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。

19:11 神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行われた。

19:12 パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。

1節:エペソにパウロは行っている

8-12節:エペソのユダヤ人たちはパウロを受け入れなかった、しかし、10節のことが起きた、続いて11,12節以降のことが起きて、神のことが広まった

エペソで働きの門が開かれ、神のわざが始まった

パウロの上に神の御手がのぞんでいた、パウロが神の御心をとらえていたゆえ

新約聖書の中でパウロの書簡が一番用いられた

教理や必要な教えの啓示が開かれた

今の時代も同じ

主が必要な啓示を開いたら働きは広がっていく

Ex:レムナントに働きの門が開かれていく

神が門を開く、主の御心の働きなら開かれる Ex:インターネット、セミナー、ニュースレター、出版など

ポイントをついていくときに働きは開かれる

しかし、賛成者ばかりではなく、反対者も大勢いる

 

参照 使徒19:9

19:9 しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。

ここで、パウロは罵られた

 

参照 使徒19:23-29

9:23 そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。

19:24 それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、

19:25 彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。「皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです。

19:26 ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。

19:27 これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」

19:28 そう聞いて、彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ」と叫び始めた。

19:29 そして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって劇場へなだれ込んだ。

大混乱に陥った

門が開かれるとともに、反対者が出てくる

このパターンは正しくとらえておく

妨害するのはサタン、人を通して出てくる Ex:イスカリオテのユダ

人の感情や思いに働いてきたり、攻撃したりしてくる

この時のデメテリオは妄想が広がった、彼の心の中で気持ちが燃え上がって暴動を起こした

サタンは、惑わされた人や未信者に働く

基本的には群集の歩みをしているクリスチャンに働く

怒り、憤りはNG、行ったことに対しての報いを得てしまう、もし、悔い改めないなら、永遠のさばきに入ってしまう可能性がある、サタンの惑わしに乗ることなく、成すべきことを成していきたい

 

16:10 テモテがそちらへ行ったら、あなたがたのところで心配なく過ごせるよう心を配ってください。彼も、私と同じように、主のみわざに励んでいるからです。

テモテもパウロと同じように主の御わざに励んでいる

ある人は主の御わざに励み、ある人はそんなことを意に介さない

主のみわざに励むクリスチャンとそうでないクリスチャンがいる

働きをしていくときに恵みを受ける

さぼっている人は見えるものがみえない

機会があるなら励むことにポイントがある→主の御わざや栄光を見る

励むことによって見えるものがある Ex:獣の国がアメリカ、アメリカが近々イランを攻撃するなど

色々な終末の大事に啓示が開かれてくる

主がかねてからこんな風に言われているように・・・

「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです」と、あるように、主のためにいのちを失うなら、反対にいのちを得る!!

逆説的ではありますが、こういったポイントについても正しくとらえておく

 

16:11 だれも彼を軽んじてはいけません。彼を平安のうちに送り出して、私のところに来させてください。私は、彼が兄弟たちとともに来るのを待ち望んでいます。

奉仕者を軽んじてはダメ

 

16:12 兄弟アポロのことですが、兄弟たちといっしょにあなたがたのところへ行くように、私は強く彼に勧めました。しかし、彼は今、そちらへ行こうとは全然思っていません。しかし、機会があれば行くでしょう。

16:13 目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。

特に終末に関連して「目を覚ます」

目を覚ましていない型→ゲッセマネの園で眠りこけてしまった弟子たち

きちんと祈らないとズレたり引かされたりしてしまう

 

参照 イザヤ56:9,10

56:9 野のすべての獣、林の中のすべての獣よ。食べに来い。

56:10 見張り人はみな目が見えず、知ることがない。彼らはみな口のきけない犬、ほえることもできない。あえいで、横になり、眠りをむさぼる。

眠りをむさぼってしまっている:世の終わりのたとえ→食べられてしまう

終末の特徴:目を覚ますべき人が眠ってしまう、しかし、目を覚ますことにポイントがある

そして、獣がやってくる、だから角笛を吹き鳴らす、終末は眠りかける

 

参照 Ⅰテサロニケ5:2

5:2 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。

参照 黙示録3:3

3:3 だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。

正しく目を覚まして見るか見ないかがポイント、そして言っていく

神は「盗人」ということを、どうしても言いたい

聖書で、よく使われる言葉のパターンとして、「御言葉を盗む」という言葉がある

これは、主の再臨やあらゆる終末の教理が別のものにすりかえられ、盗まれることを言われている

Ex:獣の国がEUとか、艱難前携挙説等

主の再臨、あらゆる終末の教理は、特には盗まれている

 

16:14 いっさいのことを愛をもって行ないなさい。

すべての奉仕を愛をもって行っていく→真の意味合いで隣人のために行っていく

真の愛は優しい言葉をかけるばかりではない

人が目を覚ますように、たとえ、方法は乱暴であっても、目が覚まされれば、それでいい

たとえ悪く思われても、真の意味合いで、その人に愛があればいい

 

16:15 兄弟たちよ。あなたがたに勧めます。ご承知のように、ステパナの家族は、アカヤの初穂であって、聖徒たちのために熱心に奉仕してくれました。

16:16 あなたがたは、このような人たちに、また、ともに働き、労しているすべての人たちに服従しなさい。

奉仕者に対して服従する

教える立場の人に対して必要に応じて服従していく

成長のため、恵みのため

従うべきときは従っていく

何でもかんでも逆らうと自分自身の道を狭めてしまう

服従という点に関して正しくとらえておく

 

16:17 ステパナとポルトナトとアカイコが来たので、私は喜んでいます。なぜなら、彼らは、あなたがたの足りない分を補ってくれたからです。

16:18 彼らは、私の心をも、あなたがたの心をも安心させてくれました。このような人々の労をねぎらいなさい。

16:19 アジヤの諸教会がよろしくと言っています。アクラとプリスカ、また彼らの家の教会が主にあって心から、あなたがたによろしくと言っています。

16:20 すべての兄弟たちが、あなたがたによろしくと言っています。聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。

16:21 パウロが、自分の手であいさつを書きます。

16:22 主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。

クリスチャンにとって主を愛するのは大切なこと→戒めを守る→結果として呪われない

主のことばをないがしろにするなら呪われる、災いに入る

義税を払っても守ることにポイントがある、徹底して主の御言葉を守る

 

16:23 主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。

16:24 私の愛は、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべての者とともにあります。アーメン。

主にあっての愛を保っていく