Ⅱコリント人への手紙11章 2012.7.1,7.8,7.15

 

11:1 私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたいと思います。いや、あなたがたはこらえているのです。

11:2 というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。

11:3 しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。

良い麦、毒麦があるように、花嫁にも2種類いる

3節に書かれているように、エバのように欺かれる花嫁もいる

いきなり、蛇に騙された、このことは、命の木(永遠の命)から退けられるパターン

きちんとキリストの花嫁になる人と、騙される人がいるというのが、聖書の一貫して語られていること

蛇は無意味にやってくるのではなく、ひっかかる人がいる

蛇の悪巧みは意味があって書かれている

真実と貞潔:(kjv)単純さ

サタンの惑わしの一つの方法:複雑なことを言ってきて話をはぐらかしたり騙したりする

単純さと悪巧みは反対の意

クリスチャンの歩みや考えのポイント→単純さ、すなわち、言われたことに従っていく

訳の分からない複雑なことや論理を言っている人は、まともな信仰にならない

Ex:律法学者、パリサイ人は訳の分からない論理で神の御言葉を違う方向に引っ張っていった

神のことば:否は否、しかりはしかり

Ex:弟子の歩みをするか?しないか?

単純さを見失っては、いけない

ペテロやヨハネやヤコブが究極の人

屁理屈ばかり言っていたら、なんの成長も無い

どんな御言葉でも行うことにポイントがある、そうでないと、得るべきものを得ない、恵みを得ない

 

11:4 というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なった福音を受けたりするときも、あなたがたはみごとにこらえているからです。

別のイエスを宣べ伝えたり→このことはキリスト教会で起きるという預言

4節全体は未来の預言

今のキリスト教会で成就している

 

参照 Ⅱコリント人への手紙11:13,16

11:13 こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。

11:16 くり返して言いますが、だれも、私を愚かと思ってはなりません。しかし、もしそう思うなら、私を愚か者扱いにしなさい。私も少し誇ってみせます。

 

にせ使徒とかが出る預言

悪魔礼拝者が、にせ使徒になるという預言

Ex:トロントの集会

サタンが偽装して、にせ使徒として登場する→トロントの集会は御言葉の成就

でも、そのことをそのまま言うと怒る人がいる→ペンテコステ派の人をはじめ、皆、怒った

別のイエスが宣べ伝えられる可能性がある

Ex:艱難の前にキリストが一度来て、艱難が終わったら、もう一度降りてくる、これは、まさに、にせのイエスの教え

このように聖書に書いている以上、こういう福音がくるということに関しては正しくとらえておく

今のキリスト教会は別物が多い

異なった霊:悪霊

Ex:霊を受けた瞬間、笑い出したりする、獣のようになったりする(猿や鳥や馬のようになる)

今は変な霊が溢れている時代

ナイルが血(悪霊)に変わっている、このことは、出エジプトの成就

エジプトの災いの一つにブヨの災いがある

ブヨは、kjvで、ハエという意味、すなわち、悪霊(ベルゼブル)のこと

別の霊を受けるということの成就

冷徹に明確に今の時代にこういったことは成就しているということをきちんと見ていく

異なった福音 Ex:マザー・テレサの福音→死ぬまでヒンズー教でも救われるなど

異なった霊や別のイエスや別の福音を受けてはダメ!!

こういうことが起きることを前提に歩んでいきたい

 

11:5 私は自分をあの大使徒たちに少しでも劣っているとは思いません。

11:6 たとい、話は巧みでないにしても、知識についてはそうではありません。私たちは、すべての点で、いろいろなばあいに、そのことをあなたがたに示して来ました。

パウロはある意味苦闘している

自分は認められていないということが、ありありと書かれている

でも、パウロはそれで良かったのかも知れない、そうでないと高ぶっていた可能性があるから

その人にとってベストな環境が与えられている

実際にパウロは大使徒と劣っていない

でも、こんなことをしょっちゅう言っているのは生きている間、認められなかった可能性がある

そのことを模範にしたい

だから、神だけの誉れを期待するのが良い

イエス様も、そうだった

裸で生まれ、裸でこの世を去った(何も持たずに生まれ、何ひとつ持って帰らなかった)

パウロは、話し方はうまくなかったかも知れない、しかし、あらゆる知識に溢れ、奥義に通じていた

インチキの教理や知識を受け入れる必要は無い

パウロが言っている知識は得るべき、ぜひ、身に付けていきたい

パウロの言っている知識:聖書を読んでいくこと

聖書の読み込みからメッセージができる

ぜひ、このことに励んでいく

聖書を読む中で知識は与えられる

Ex:獣の国がアメリカであることなど

 

11:7 それとも、あなたがたを高めるために、自分を低くして報酬を受けずに神の福音をあなたがたに宣べ伝えたことが、私の罪だったのでしょうか。

11:8 私は他の諸教会から奪い取って、あなたがたに仕えるための給料を得たのです。

11:9 あなたがたのところにいて困窮していたときも、私はだれにも負担をかけませんでした。マケドニヤから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれたのです。私は、万事につけあなたがたの重荷にならないようにしましたし、今後もそうするつもりです。

11:10 私にあるキリストの真実にかけて言います。アカヤ地方で私のこの誇りが封じられることは決してありません。

献金のこと

9節では、「お金の面であなたたちに負担をかけない」と言っている

原則、神の働き人が十分の一を受けるのは正しい

旧約のレビ人も、十分の一を、もらっていた

そして、イエス様自身も、このように言われている

 

参照 ルカ10:7

10:7 その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。家から家へと渡り歩いてはいけません。

 

しかし、パウロはコリントの人から献金を受けなかった

コリントの人から、献金をもらわないというパウロのようなケースがある、場合によっては、こういう示しがある、受けるべきではないという示しがあった

10節において、伝道者にも誇りがある→「訳の分からない人からお金をもらって食べていない!」「あなたたちにお世話になるつもりはない、お金のために働いているわけではない!!」とパウロは言っている

しかし、主の奉仕は行っていく

そして、御心のある献金はいただく

 

11:11 なぜでしょう。私があなたがたを愛していないからでしょうか。神はご存じです。

11:12 しかし、私は、今していることを今後も、し続けるつもりです。それは、私たちと同じように誇るところがあるとみなされる機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切ってしまうためです。

ここでも献金のことを言っている

あやしい働き人がいるから、そういった人が入り込んでこないために、人々に模範を示すためにパウロは献金をもらわなかった

原則、十分の一をもらうのは正しい

しかし、コリントのように特殊な場合は、もらわないほうがいい

パウロがもらわなかったから、あやしい人が消えていった

献金をもらう、もらわないも、色々な主の導きがある

Ex:ニュースレターに関して、有料にするか?無料にするか?について、主に聞いた、その結果、無料で発行することになった

ケースバイケース、神の方法に従う

お金のことでも、神様の導きや方法を祈り求めていく

神の示しに従っていく

お金をもらわないことによって、他の訳の分からない働き人と区分して、神の働きを進める良いポイントとなる

 

11:13 こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。

11:14 しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。

変装:トランスフォーム

こういう言葉が、キリスト教会で使われていく

神のわざによって変化する、変身する、変えられる、変装する

あやしい人、あやしい預言者が多い

言葉まで「変装」というのを使っている

2000年前にパウロが言っていることが、今、成就している→にせ使徒

Ex:ピーター・ワーグナーは、おかしな不思議としるしを行っている、こういうことに、かぶれてしまう人は聖書を読んでいない

使徒行伝以来、「使徒」という言葉は、1990年代までは強調されていなかった

しかし、今は、言われている、今の時代に、この預言が成就している

サタンの手下:悪魔礼拝者、使徒とか預言者と言っている人たち

Ex:トロントの集会では「獣のしるしを付けろ!!」と言っている

キリスト教会の、ど真ん中で悪霊が下されている

聖書を持っていても読んでいないことがある

聖書を本気にしていない人が多い、思い込みや考えを優先しているから御言葉が入ってこない

神は未来をご存知、知恵や悟りがある、それゆえ、御言葉をどこまでも優先するときに見えてくる

にせ使徒が出てくるという預言

どんな御言葉も人知を超えているとしても、御言葉を優先する

変な霊を受けてはダメ、永遠の命が危なくなる

サタンの使いは永遠の命を奪うために来る

サタンの手下がキリスト教会に入ってくるという恐ろしい預言、今の時代にサタニストが入るかどうかについて、きちんと理解するか否かによって、根本的な事柄にかかわってくる

御言葉を信じないなら、にせ使徒に惑わされる

 

11:15 ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。

サタニスト的な働きは、ろくなことにならない

Ex:キャサリン・クルーマンは癌で亡くなっている

 

11:16 くり返して言いますが、だれも、私を愚かと思ってはなりません。しかし、もしそう思うなら、私を愚か者扱いにしなさい。私も少し誇ってみせます。

11:17 これから話すことは、主によって話すのではなく、愚か者としてする思い切った自慢話です。

11:18 多くの人が肉によって誇っているので、私も誇ることにします。

11:19 あなたがたは賢いのに、よくも喜んで愚か者たちをこらえています。

色々とキリストのために苦難した、でも、これは、肉のこと

キリストのための苦しみは尊いこと、しかし、それは肉による自慢話

しかし、ただ、自分が偉いと言っているわけではない

なぜ、パウロが、そんなことを言ったのか?→パウロはコリントの人に使徒と認められていなかった

仕方無しに、彼は自分の働きのために、愚か者としての自慢話を、あえてした

単に自慢話で終わるのではなく、働きや従いの良い模範となるなら語るべき

肉の自慢話と分かっている、しかし、他の人の益のために語る

 

11:20 事実、あなたがたは、だれかに奴隷にされても、食い尽くされても、だまされても、いばられても、顔をたたかれても、こらえているではありませんか。

それ以前の前の節にかかっている

にせ使徒とサタンの使いが天使に偽装している

今、そのことが成就、実現している

Ex:トロントの集会

こういったことは受け入れがたくても、私たちの常識と違っていても神様の言葉を正しいとするなら真実が見えてくる

御言葉に立つのが正しい

それにともなって正しいことが見えてくる

にせ使徒に捕まると、罪の奴隷にされたり、インチキの教えをつかまされたり、いばられたりする

これからも更に、にせ使徒が登場してくる

 

参照 黙示録

13:17 また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。

 

クリスチャンの背教のゆえにクリスチャンが望んでいる通りになっている、たとえば、艱難に会いたくないから艱難前を喜んで受け入れている

サタンの手下どもがキリスト教会に入り込んで、愚かなクリスチャンがこのような目に会うという預言

インチキ使徒とは、人を罪の奴隷とする

騙されても→天の御国に入らない

いばられても→使徒と預言者は極端な権威を強調する

終わりの時代のひとつの大事なポイントは、「にせ使徒、にせ預言者」

アメリカを中心にこういったことが広がっている

キリスト教会が、益々、おかしくなっていく、非寛容な方向へと進む

Ex:ペンテコステ派、カリスマ派

正しいクリスチャンを排除するという運動

サタンの手下によって、排他的、非寛容、正しいクリスチャンへの攻撃が行われる

 

11:21 言うのも恥ずかしいことですが、言わなければなりません。私たちは弱かったのです。

私たちは弱かったのです。しかし、人があえて誇ろうとすることなら、私は愚かになって言いますが、私もあえて誇りましょう。

色々なことを働き人として誇っている(経歴など)、自分に拍を付ける

しかし、基本的に、こういったことは愚かだと聖書は言っている

「あえて誇りましょう」:語ることによって働きが進んだり受け入れてもらえるのなら、「そうしましょう」と言っている

 

11:22 彼らはヘブル人ですか。私もそうです。彼らはイスラエル人ですか。私もそうです。彼らはアブラハムの子孫ですか。私もそうです。

パウロも出身に関しては何も恥じることは無い

彼らはアブラハムの子孫ですか:kjvでは、子孫の部分は「種」と訳されている

アブラハムは信仰の父

パウロもアブラハムの種

アブラハムという信仰の種からパウロという働き人が出来た

どんな種かによって信仰が変わってくる

艱難前携挙説は、バビロン由来の種

種によって変わってくる

真に御心に叶った種(どういう種)を蒔くかどうかによって結果が変わってくる

 

エレミヤ牧師の証

十数年前から今日に至るまで終末に関する種を蒔き続けた

そういう種を与えられて蒔いていくうちに、結果を刈り取るようになった

メッセージを通して歩みを正した人が現れるようになった

 

どんなに小さな種であっても、蒔き続けていくときに本当に受け入れた人は芽が出てくる

真実を見るようになっている

どのような御言葉を蒔くかによって、育つクリスチャンや集まってくるクリスチャンが変わってくる

真の意味の生えるべき芽が生えてくる

 

11:23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。

11:24 ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、

11:25 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。

11:26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、

11:27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。

パウロの奉仕は大変

25節は、原文では「むち」ではなく、「棒」と訳されている

狂気したように言いますが:「ここだけは譲れない!」ということを言っている

パウロにとってキリストのしもべは譲れない、根幹にかかわること

ちなみに「しもべ」の部分は、英語では「ミニストリー」、ギリシャ語では「使い走りのために走る」と訳されている

「使い走りのために走る」とは、主人がいる、主人から用事を言われるというニュアンスがある

パウロはミニストリーで色々な苦難を受けている

パウロは性格が悪いからこういう目に会っているのではなく、主人の命令に従っているから、そのような苦難に会っている

奉仕で、こういうことがある

遣わされた奉仕にともなって困難に会っている

パウロが主に言われたことを正しく語ったため

もし、いい加減な奉仕をするなら、こんなひどい目に会わない

本当の福音を語っていくときに大変な目に会う

真理とかけ離れたことをしていくなら会わない

本当にいのちにかかわることを語るときに似たようなことに会う

本当の奉仕に着いているなら気落ちするようなことや、やりづらいなぁということが、しょっちゅうくる

Ex:ニュースレターを拒否されるなど

本当に神が遣わされた奉仕を担っていくときに、こういったことが標準となる

罰ばかり

曲がった時代の中で真理を語っていくなら、こういったことが起きてくる

毎回拍手喝采だったり、誉められたりするなら怪しい

でも、やればやるほど、悪口を言われるならポイントをつかんでいる

そのあたりは正しくとらえておく

 

11:28 このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。

11:29 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。

牧会的な痛みがある

人のことで祈る

 

11:30 もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。

前の節と関係している

すべての誇りは肉的で愚かなこと

あえて誇るなら自分の弱さを誇る→キリストの前に正しいこと

逆説的

人間の常識と御言葉のほとんどは異なる

人間の常識を理解するなら理解できない

自分の弱さを誇ったり弱いときに強いというときに神の栄光を見る

幼子のようにひるがえって御言葉を受け入れていくことが大事

このことをマスターしなければ、天の御国に入れない

 

参照 マルコ10:15

10:15 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」

 

金持ちは御国に入れない→お金や能力や才能など、色々な持ち物を持っているため

弱さを誇るというポイントについて見ておく

弱いから主に頼っていくときに弱さを通して神の栄光を見る

いったん、常識を降ろして御言葉を読んでいくときに真実が見えてくる

 

11:31 主イエス・キリストの父なる神、永遠にほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないのをご存じです。

11:32 ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕えようとしてダマスコの町を監視しました。

11:33 そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました。

31:パウロはムチ打ちを本当に受けたという風に証言した

本当の真実は神しか知らないということがある

そしてパウロに関して実際に起きたことは真実

パウロはキリストの証言の歩みをした、だから、コリントの手紙に残っている

ここに学びがある

人の前では明らかにならないことがあっても真実なら神が証明してくださる

人に弁解しなくても神が弁解してくださる

人からは信用されないことがある

コリントの手紙が残るようにされたのは神御自身

真実なら主のときに必要に応じて弁解や弁護してくださる