聖書箇所 Ⅰコリント人への手紙1:20,21

 

1:20 知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。

1:21 事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。

 

「世と分離して神を知る」というテーマで、御言葉に沿ってみていきたいと思います。

 

神様を知るときに、大切なことについて、ここに書かれています。

この世の知識、学問では、残念ながら、神様のことを知ることができません。

もっと、言えば、この世のことと神様のことは、全く関係が無いとも言えます。

たとえば、思想や哲学は、人間的に見れば、知的なものとも言えるでしょう。

しかし、これらのものは世の中から出たものです。

もちろん、私たちは、世の中で生活しているので、世のものを全く用いないわけにはいきません。

食べるもの、着るもの、住むところ、交通機関等、これらのものは、確かに、生活の手段には必要です。

そうだとしても、あまりにも世の中のことに深く引っ張られたり、陥り続けていったりするときに、いつしか、神様のことが分からなくなってしまいます。

21節に書かれているように、神様を知ることがなくなってしまうのです。

それでは、どうしたら、神様を知ることができるのでしょうか。

たとえば、関数を知りたいとします。

関数なので、当然、数学に関係します。

でも、全く関係の無い、文学や社会学を勉強したところで、どうでしょうか。

いくら一生懸命それらのものを学んでも、関数がどんなものであり、何に役立つのか?について、いつになっても、到達することはありませんよね。

でも、数学を学んでいくのなら、関数のことを理解できるようになりますよね。

「神様を知る」ということに関しても、そういったことに通じるのではないでしょうか。

ここに、はっきりと、「この世の知恵によって神を知ることかない」と書かれている以上、いくら、この世の知恵や知識を得ても、無駄なのです。

私的には、この箇所は、こんな風に読み取れます。

世の中と分離することや世の中の考えの逆を行っていく、また、一線を画していくことが、大事だということを言われているのではないかと思うのです。

たとえば、この世の本を読んだり、テレビを見たりする時間があるのなら、聖書を読んだりお祈りをするとかです。

それらを全くするなと言っているのではなく、配分の問題です。

世の中のことが、9で、神様の働きが1になるのなら、神様を知る、すなわち、真理を見ることは難しいと思います。

しかし、その比率を少しずつでも、逆転していくときに、次第に神様を知るようになっていきます。

そして、このことは、かなり、意識して、行っていく必要があります。

なぜかと言うと、この世はサタンが支配しているので、普通にしていたら、あっという間に、世に引っ張られてしまうからです。

 

私自身の証ではありますが・・・

以前から何度も申し上げていますように、私は、数年間、神様と信仰生活から離れていました。

でも、神様の憐れみと助けと導きによって、奇跡的に、再び、神様と信仰生活に立ち返ることができました。

それから、約一年後に、少しずつでも、祈ったり、聖書を読んだりしていこう!と、思うようになりました。

そのときに、ちょうど、「世の中のもの、特に、テレビとか雑誌とか、そういうものから離れたほうがいい」というメッセージを祈祷会か何かの集会で牧師が語っていましたので、そのことを早速実践することにしました。

すると、不思議なことに、言いようも無い、喜びや平安に心が満たされるようになりました。

正直、はじめの頃は、世の中のことに遅れを取るのでは?そうしたら、誰からも相手にされなくなるのでは?という不安が多少なりともあったのですが、聖書を読んだり、お祈りをしたりすることによって、そういった思いからも解放されていくようになりました。

もし、その時に、そんな風に決意もせずに、また、牧師のアドバイスに耳を傾けなかったら、今のような歩みや働きはもちろんのこと、神様のことを知っていくということとは、疎遠になっていたと思います。

 

ですから、私たちは、かなり、意識して、世の中とは、一線を画して、神様の言われていることを実践していきたいと思います。

と、言いますのは、終末の1つの問題点として、異邦人だけでなく、神の民であるクリスチャンの多くが、世の中のものに引っ張られているからです。

この世のトレンドに詳しかったり、やたらと情報つうだったり、それが、全くダメとは言いませんが、聖書を読んだり祈ったりすることよりも、どちらかと言うと、そういう方向に引っ張られてしまっていて、神様を知ることについては、希薄になっているように思います。

でも、そのまま、世の中のことに引っ張られ続けていくなら、永遠のいのちは危なくなってしまうと思います。

なぜなら、聖書に、「世を愛する者に御父を愛する愛はない」と、書かれているからです。

そういったことを事前に回避するために、ある程度の祈りの時間を持ち、聖書を読むことを日課にしていくことをおすすめします。

また、御教えを正しく知り、理解していきたいと思います。

そして、御言葉にとどまるために、ぜひ、実践していきたいと思います。

神様を知ることで、とても大切なことは、聞くだけではなく、知るだけではなく、実践していくことなんです。

ヤコブ書にも、「行いの無い信仰はむなしい」と書かれているんですが、聞いても、行っていかないなら、いつになっても、御言葉がその人の内側に、生きて働かないからです。

絵に描いた餅のようになってしまいます。

そうすると、どうでしょうか。

いくら、クリスチャンと称していても、キリストのかおりが出てこないなら、その人を通して、他の人が神様を知ったり、触れたりする機会が無くなってしまうのではないでしょうか。

そういうことにならないように、気をつけていきたいと思います。

どんな小さなことであっても、御言葉を実践していくときに、真の意味合いで、御言葉である神様のことを知り、理解していくという点についても、ぜひ、とらえておいていただきたいと思います。