聖書箇所 コリント人への手紙9:5

 

9:5 そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなたがたの贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。

 

「神の恵みを分かち合う」というテーマで、御言葉に沿ってみていきたいと思います。

 

ここでは、第一義的な意味合いとして、「献金」について言われています。

「お金」も、たしかに、神様の恵みの一部です。

そして、私たちは、その恵みの一部を神様にお返しするという意味合いで献金をします。

また、信者の献金を通して教会の働きが進められていくことも事実です。

ある意味、献金をすること自体、働きの一部に参加していると、そんな風にも理解できますので、ここに書かれているように、心から喜んで進んで感謝しつつ、献金をしていきたいと思います。

 

さて、このことは聖書の表の部分で言われていることですし、もちろん大切なことですので、ぜひ、実践していくように心がけていきたいと思います。

 

ところで、ここに書かれている「献金」という言葉ですが、第二義的な意味合いとして、「豊富」という意味合いもあります。

このことは、レムナントキリスト教会の礼拝の中で教えていただいたことですが、英語では「豊富さ」とか「豊かさ」という風に訳されているそうです。

以前から話していますように、聖書には、表面だけを読んで理解するということもありますが、そのことにプラスして、隠された奥義の意味合いやたとえの理解をしていくということについても、積極的に行っていきたいと思いますので、そのようなことを踏まえて、お読みくださると幸いです。

逆に、そういったことを通して、本来、主が語ろうとされていることが明確になっていくということも事実ですので、そのような概念や視点をお持ちくださると幸いです。

 

さて、「豊富さ」とか「豊かさ」というのは、いったい、何のことを言われているのでしょうか?

それは、そのあとに書かれている8-10節の御言葉を見ていただけると、ご理解いただけると思います。

こんな風に書かれています。

 

参照 Ⅱコリント人への手紙9:8-10

9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。

9:9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。

9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。

 

8節の「すべての良いわざ」とか10節の「食べるパンを備えてくださる」「あなたがたにも蒔く種を備え」「あなたがたの義の実を増し加えてくださいます」と書かれているように、神様のわざや御言葉に関連することについて、ここでは言われています。

つまり、私たちになして下さった神様の御わざや神様の御教えなど、すなわち、神様の恵みについてのことを言っているのです。

もし、そのようなものを受けたのなら、兄弟姉妹と共に、恵みを分かち合いなさいと、そのようなことを言われているのです。

そういったことを通して、お一人一人の霊的な建て上げがされていったり、励ましや慰めや喜びを受けたりすることができからです。

しかも、5節の後半で、「好意に満ちた贈り物として用意しておいてください」と書かれているように、そのことを喜んでしていくことにポイントがあるのです。

そのことに関連して、同章の7節では、「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。」と書かれているのですが、この御言葉は、あたかも5節で書かれている「この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。」の言葉を後押しするかのようです。

神様の恵みに関して、具体的には、メッセージや証等を通して語っていく機会があると思いますが、その際、先に申し上げた献金と同様、ぜひ、喜んで積極的に行っていきたいと思います。

また、こういったことは、日々の歩みにも、大いに反映していくと思います。

どんなに些細なことであっても、心から喜んで感謝してひとつひとつのことを行っていくときに、主からの喜びや平安に益々満ち溢れていくようになっていきます。

たとえば、人に親切に接するとか、気遣っていくとかです。

聖書に、「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」なんて御言葉がありますけど、相手の人に見返りも何も期待しないで行っていくときに、主はとても喜んでくださいます。

それは、人に対して行っているようで、実は、神様に行っていることだからです。

繰り返すようですが、神様からいただいた恵みをはじめ、あらゆることに関して、心から喜んで捧げていくように、ぜひぜひ、心がけていきたいと思います。

そうしていくときに、7節の後半部分に書かれている「神は喜んで与える人を愛してくださいます」の御言葉が実現していきますので、ぜひ、おすすめいたします。

 

前から話していますように、もともとの私の性格は、かなり内向的で、口下手で、特に人の前で話をするのは、大の苦手です。

なので、レムナントキリスト教会に行く以前は、人の前で証をするということに関して、ほとんど無縁の状態でした。

でも、あるときを契機に、証を通して主からの恵みを共有したり、霊的な建て上げがなされていくということを学んでいく中で、そういったことに力点を置くことにポイントがあるんだ!!と、いうことを自分なりに少しずつ悟るようになり、ほんのわずかでも、主がしてくださったことについて語っていこう!と思うようになりました。

幸い、レムナントキリスト教会の礼拝の中では、「証の時間」というのを設けていますので、その時に証をさせていただくようにしています。

はじめの頃は、どんな風に話したらいいのかなぁ?とか、聞いている人が分かるかなぁ?とか、そんなことばかりを気にしていたのですが、主の恵みの証なのだから、主に向けて語っていくようにしよう!と、決意していくようになってから、徐々にではありますが、御霊さまが語らせてくださるままに話をしていくことができるようになっていきました。

これからも、主がなしてくださったことや教えてくださったことについて、可能な限り、人々に宣べ伝えていかれたらいいなぁと、本日、メッセージを書きながら、そのように思いました。

今日も大切なことを語ってくださった主に栄光と誉れがありますように。