聖書箇所 テサロニケ人への手紙1:4

 

1:4 それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたがすべての迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。

 

「忍耐によって永遠の命を勝ち取る」というテーマで、御言葉に沿ってみていきたいと思います。

 

昨今、キリスト教会において、「忍耐」とか「我慢」という言葉が大分薄れつつあるように思うのですが、気のせいでしょうか?今の時代は、永遠の命を得るのは楽勝!というような風潮が教会全体を覆っているので、そういう言葉は、ほぼ言われなくなってきているように思います。クリスチャンと名が付けば、皆が天国に入れるのだから永遠の命を得るための忍耐などは不要だと、ほとんど関係は無いと、私の思い違いでなければ、そのような流れになりつつあるのでは?と、思います。

 

それはそうとして・・・では、そのことに関して、聖書の御言葉はどのように言っているのか?ご一緒にみていきたいと思います。

ちなみに、「従順」のところは、KJV訳では「忍耐」という言葉が使われています。

そして、4節の言葉に続いて、5節にこのような言葉が書かれています。

 

「このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。」

 

「このこと」とは、4節で言われている事柄、すなわち、「従順(忍耐)と信仰を保つ」ことです。それによって、「神の国にふさわしい者」となっていくことが分かります。さらに、繰り返すように、「この神の国のためです」と書かれています。つまり、御国を相続することと、「忍耐」とは、切っても切り離せないことが理解できます。もちろん、「信仰」を持つことも大事です。でも、その前に「従順(忍耐)という言葉が使われていることから、さらにこのことは大切だということが分かります。そしてなぜ、「忍耐」が必要なのか?と、言うと、その答えも4節に書かれています。「迫害」と「艱難」のためです。要するに、神の国にふさわしくなっていくには、「迫害」や「艱難」、すなわち試練を通らなければならないということもお分かりになると思います。そしてそれらのことを乗り越えていくためには「忍耐」が必要になっていくのです。「忍耐」が無いと、敵にあっさりと打ち負かされてしまうからです。「忍耐」については、聖書のあちこちに書かれています。一例を挙げるなら、「ヨブの忍耐」です。

 

参照 ヤコブの手紙5:11

5:11 見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。

 

今、レムナントの午後の礼拝では、ヨブ記から艱難時代やその時に受ける苦難についての学びをしています。色々な困難や艱難にヨブは見舞われるのですが、でも最後まで耐え忍んで、ヨブは神さまから大いる祝福を受けました。それはヨブが最後の最後まで忍耐を貫き通したからでした。

 

また、イエスさまもこのように言われています。「あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。」と。

この言葉の前に、イエスさまは迫害や試練や艱難、困難は来ることについて語っています。しかし「忍耐」を働かせていくことによって、「永遠の命」を得られるということを言われています。そうなんです、単に苦しみに会って、忍耐して、それで終わってしまうのではなく、それには大いなる報いが伴うということをぜひ、ご理解ください。「いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難がある」とか「苦難に会うように定められている」と書かれているように、たしかに正しく歩む人はこれから苦難は通ります。このことはダニエル書や黙示録に書かれているように「3年半の艱難時代」のことを言われています。ではあっても、途中で投げ出してしまって、大切な永遠の命をみすみす逃してしまうことのないように気を付けていきたいと思います。そしてその時には、そういう人が続出するので、気を付けなさいということを語られているように思います。ですので、「苦難」に勝利していくための「忍耐」をきちんと身に付けていきたいと思います。肉体においても、霊の深みにおいても、今からしっかりと体得していくことができるように祈り求めていきたいと思います。祈り求めていくときに、神さまがお一人一人に必要な訓練を与えてくださいます。場合によっては、叱責やムチを与えてくださいます。真に祈り求めていくなら、実現していきます。そういったことに、その都度きちんと向き合っていく中で、おのずと「忍耐」が培われていきます。そして、「忍耐が練られた品性を生み出し、」という御言葉がありますように、日ごとにキリストに似た者と変えられていきますので、ぜひおすすめいたします。

 

メッセージの中で書きましたように、今、教会の午後の礼拝では、ヨブ記を通して、ヨブの苦難や忍耐や艱難時代についての学びをしています。日々の歩みの中で、ヨブほどではないとしても、多少の苦難や困難は多くのクリスチャンが体験していると思います。私自身の上にもそういったことは、許されています。そしてそのことに毎回勝利できるか?と、言うと、そうではなく、敗北することも多々あります。その原因は何か?と、言うと、「忍耐」が無いからです。メッセージでは色々と偉そうに書き連ねてしまいましたが、実際のところ、「ああ、本当に忍耐が無いなぁ」と、思うことばかりです。もちろんそれを放置していてはいけませんので、日々、祈り求めるように心がけているのですが、なんとか艱難時代までに培っていき、その時を乗り越えていけたらいいなぁと、思っています。本日の箇所を通して、「忍耐」について、きちんと向き合っていき、祈り求めていきたい!という思いがさらに心に起こされました。いつも大切なことを語ってくださる主に心から感謝します。