聖書箇所 テサロニケ人への手紙2:1012

 

2:10 また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。

2:11 それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。

2:12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。

 

「惑わしを送る神」というテーマで、御言葉に沿ってみていきたいと思います。

 

「神の愛」が強調されているキリスト教会において、神さまが惑わしを送るなんていうことは、なかなか受け入れられないことかも知れません。場合によっては、「そんなことは異端だ!」と、即座にブーイングを受けてしまうかも知れません。しかし本日の御言葉(11)には、そのことがはっきりと書かれていますので、あまり気にせずに話していきたいと思います。

 

申し上げましたように、11節にはハッキリと神さまが惑わす力を送り込まれることについて言われています。しかも「真理」を信じるようにではなく、「偽り」を信じるようにです。なぜ、真理の神さまがそのようなことをなさるのでしょうか?また、誰に対してそういうことをするのでしょうか?その答えが10節と12節に書かれています。それは、クリスチャンが救われるための真理を喜ばずに悪を喜んでいるからです。そしてこの言葉は今の世の終わりに、成就しつつあります。パウロの時代にもすでにそういった兆候はあったのかも知れません。でも以前からよく話していますように、聖書に記述されている大半のことは終末や艱難時代、そして再臨に焦点が当てられていますので、こういったことが世の終わりに本格的に成就していく、という風に考えるのが妥当なのでは?と思うのですが、いかがでしょうか?ちなみに12節の「さばかれる」の部分ですが、KJV訳では「地獄落ち(永遠の罰)を宣告された」とか「地獄に落とされた」と訳されています。また、「悪」と書かれているところは、「公正でない」「よこしまな」「罪深い」と訳されています。世の終わりには、多くのクリスチャンが罪の中に陥っていくことが暗示されているように思います。もし、悔い改めずに最後まで罪の中を歩み続けていくなら、「永遠の刑罰」に入っていくということを言われているのです。これって、どう思いますか?とても恐ろしいことですよね。しかも神さまが示している「真理」を拒否し続けていくときに、「偽り」を信じるように「惑わす力」が送り込まれてしまうのです。その結果として死後、悪い報いを受けるということが、たった3つの御言葉の中に要約されているのです。サタンからならともかく、神さまから送られてくる惑わしですよ!もし神さまからそんな力が送られたら、どうやって逃れることができるでしょうか?そのことに関して私たちはまじめに考えなくてはいけません。

 

参考までに神さまから送られる「惑わし」に関して、他の箇所からも少し見てみたいと思います。

 

参照 Ⅱ歴代誌18:1822

18:18 すると、ミカヤは言った。「それゆえ主のことばを聞きなさい。私は主が御座に着き、天の万軍がその右左に立っているのを見ました。

18:19 そのとき、主は仰せられました。『だれか、イスラエルの王アハブを惑わして、攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせる者はいないか。』すると、ある者は一つの案を述べ、他の者は別の案を述べました。

18:20 それから、ひとりの霊が進み出て、主の前に立ち、『この私が彼を惑わします。』と言いますと、主が彼に『どういうふうにやるのか。』と尋ねられました。

18:21 彼は答えました。『私が出て行き、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』すると、『あなたはきっと惑わすことができよう。出て行って、そのとおりにせよ。』と仰せられました。

18:22 今、ご覧のとおり、主はここにいるあなたの預言者たちの口に偽りを言う霊を授けられました。主はあなたに下るわざわいを告げられたのです。

 

ここでは預言者ミカヤがイスラエルの王アハブとユダの王ヨシャパテに、災いについて預言をしました。しかしその前に、ミカヤ以外の偽預言者400人は良いことばかりを預言したので、イスラエルの王はミカヤの預言に対して不満を言いました。そのことに対してミカヤが語ったのが、上記御言葉です。いずれも偽預言者に対して語っていることです。19節では、主がイスラエルの王アハブを惑わすと述べています。それに対してひとりの霊、すなわちサタンが「すべての預言者の口で偽りを言う霊になる」と言っています。それに対して神さまが「やめなさい」と止めに入ったか?と、言うと、そうではなく、「そのとおりにしなさい」と、惑わすことを承諾しているのです。そうですよね、だって「アハブを惑わす」と先におっしゃったのは神さまですから止めるどころか、奨励するのが当然ですよね。そして結果として、ミカヤを除く400人の預言者は、みな惑わされたのです。しかも神の許可のもとに、です。

 

ここで分かることは、この当時にもやはり偽善的な人たちがいて、そういう人々には「惑わす力」が送られるということです。しかもミカヤ一人だけがそのことから逃れたのです。あとの400人の預言者は、みな惑わされたのです。1400ですよ。どうですか?そんな風に聞くと、たった一人のミカヤだけが間違えで、他の人たちは正しいかのような錯覚を起こしそうですよね。でも、そうではありませんでしたね。世の中は「多勢に無勢」かも知れませんが、神の前にはそうではないようですね。神の前には正しいことは正しい、間違えは間違えと公正に判断されますし、人数は関係無しに、良いことにおいても偽善的なことにおいても、それ相応の報いをされる恐るべき神であるということはきちんと理解しておきたいと思います。ミカヤの時の400人の預言者も、恐らく真理よりも悪を喜ぶような歩みをしていて、神さまはそのことに対してさばきをなさったのではないかと思います。さらにここで分かることは、神さまから来た「惑わし」というのは、逃れようがないということです。神さまが「惑わす」と決めたら、それは本当にその通りになってしまうのです。ですから私たちは、くれぐれも気をつけていかなければいけません。真理に対して反発したり拒否したり、あるいは神さまから何度も懲らしめや叱責を受けてもどこまでも心を頑なにしてしまって悔い改めないときに、惑わす力が神によって送りこまれて、霊的に盲目になってしまいますので気をつけていきたいと思います。たとえば艱難時代を通ることが聖書に書かれているにもかかわらず、いつまでも艱難前携挙説を手放さなかったり、トロントのベニー・ヒンのリバイバル集会は悪霊が働いているのですがそれに対して「そんなことない!」と猛反発しておかしな霊を受け続けていくときに、本日の御言葉がそのまま成就してしまう可能性がありますので、気をつけていきたいと思います。聖書に書かれていないような嘘・偽りを喜んで受け入れて続けていくときに、神によって惑わす力が送り込まれてしまいます。そして悔い改めないのなら、死後、行きたくもない「永遠の刑罰」に入ってしまう可能性がありますので、神さまから罪を指摘されたり真理を示されたときには直ちに従っていきたいと思います。特に終末は、神さまだけではなく敵からの惑わしも大いに許されますので、御言葉である神さまに常に恐れをもって歩んでいきたいと思います。

 

最近、「惑わされやすいことを前提に歩みをしなさい」という神さまの語りかけを受けたように思いました。レムナントキリスト教会では預言の訓練や働きをしていて、そのために日々、預言の訓練を個人においてもしているのですが、その中でそのような示しを受けました。メッセージにも書きましたように、終末はというのは非常に特殊な時でありまして、「惑わす力」というのが、ひとつのキーワードになっていくように思います。Ⅱテサロニケの同章には「不法の秘密はすでに働いています」という御言葉があって、それに続いて惑わしのことについて書かれているので、私たちはすでに惑わしの中にいるということを認識しながら、いつも神さまに恐れをもって歩むことが大事なのでは?と、思いました。「惑わし」といっても一様ではなく、「教理」「霊的」といった二つの側面があると思います。御言葉から正しい教理を受けるだけでなく、霊において、いつも聖霊に満たされていくことができるように祈り求めていかなければとも思います。また、「選民をも惑わそうとする」という御言葉もあって、今の時代は弟子として歩んでいても、十二分に惑わされやすい、ゆえに例外的に惑わしから免れられるように日々、意識して祈り求めていくことは大切なのでは?と思います。補足ではありますが、もし、「自分は大丈夫、惑わしなんてまったく関係無い」と思っておられましたら要注意です。とても失礼な言い方で恐縮ではありますが、そう思う時点で、もうすでに惑わされていると思います。そう、いつも「惑わされやすい」ということを前提に歩みをされることをおすすめいたします。もしそのような志で神さまの前に恐れをもって謙って歩んでいくのなら、たとえ一時的に惑わされてしまっていても、神さまが憐れんで助けてくださいます。惑わしからも解放していただけます。でも、そうでないときに・・・本日の御言葉がその人の上に成就してしまう可能性がありますので、ぜひ気をつけていきたいと思います。いつも大切なことを語ってくださる神さまに栄光と誉れがありますように。