聖書箇所 ヘブル人への手紙1:1,2



 



1:1 神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、



1:2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。



 



「神から遣わされた預言者を通して永遠の命へと導く神」というテーマで、御言葉に沿ってみていきたいと思います。



 



1章全体は御国の相続のことについて書かれています。私たちが御国を相続するというときに、聖書の言葉が唯一の頼みとなります。世の中にもあらゆることに役立つ本は万とありますが、しかし、聖書だけが永遠の命へと導きます。たびたび申し上げていますように、聖書はイエス・キリストを証する書だからです。どんなに良いことが書かれているものであっても聖書以外のものは、残念ながら人を永遠の命に導くことは不可能なのです。そのことを前提に本日の御言葉で神様が語っていることをみていきたいと思います。



 



クリスチャンが手にし、日々、読んでいる聖書ですが、1節にありますように、預言者を通して書かれていることが分かります。「多くの部分に分け」とありますが、このことは、66巻に分けて書かれていることを指すのではないかと思います。「いろいろな方法」とは、神様はそれぞれの時代にご自身が選んだ預言者を遣わして、必要な警告を語られたことを言われていると思います。分りやすく言うなら、聖書の御言葉を解き明かされたということを言われているのでは?と、思います。それは、私たちクリスチャンが永遠の命を持つために成されていることなのです。そして今の時代においても、この法則は変わることがありません。



 



2節には御子、イエス様のことについて書かれています。旧約時代の終わりに、イエス様はこの地上に人としての姿となって、神様から人々の救いのために遣わされました。当時の神の民が、どうしようもなく堕落していたからです。当時の誤った教えを糾し、人々が悔い改めて御言葉に立ち返って御国に入ることができるように、イエス様は世に遣わされたのです。このままでは多くの神の民(クリスチャン)が御国に入れずに滅んでしまう、憐れみ深い神様は、そのことを前もって回避するために、人の形(イエス・キリスト)となられて、この地上に来てくださったのです。しかし、人々の反応はどうだったか?と、言うと、大多数の人たちはイエス様の教えを受け入れられずに、成れの果てにはカルト扱いをし、十字架に付けて殺してしまったのです。そう、イエス様も預言者の一人として、遣わされたのです。しかも神様ですから、何も間違いはなかったのです。ですから教えを受け入れなかった人たちが、おかしかったのです。そしてこのことは、今の新約時代の世の終わりにも再現しつつあります。



 



さきほど、聖書には永遠の命について書かれているということを申し上げましたが、そのことに関して今の時代も色々と曲解されています。たとえば地獄は無いとか、仏教徒やヒンズー教徒にも救いがあるとか、セカンドチャンスがある等です。他にも挙げだしたらキリがないのですが、枝葉末節なことはともかく、永遠の命の根幹に関わる大事なところが曲げられていることは大きな問題です。それによってあわや、クリスチャンが永遠の命を落とす可能性があるからです。



 



ささやかな証ではありますが・・・レムナントキリスト教会では、それこそいろいろな方法を通して警告をしています。おかしな教理に異を唱えたり、誤りや間違いを指摘したりして御言葉から正しい方向を示す働きをさせていただいています。クリスチャンが艱難時代を通ること、獣の国はヨーロッパではなくアメリカであること、カトリックの教理を受け入れるなら救いが危なくなること等。インターネット、ニュースレター、セミナー、礼拝、音声メッセージ等で行っています。でも、人々の反応はどうか?と、言うと、稀に真理を見る方もおられますが、全体としては正直、あまり芳しくはありません。私もその一端にあずかっている者ではありますが、「まぁ、そんなものかなぁ」なんて思いながら、日々、働きに従事しています。もちろん一人でも多くの人が救われるよう、真理を見ることができるように祈ってはいます。ではあっても、現実や状況を受け止めながら奉仕に携わっています。



 



よくよく考えてみるとイエス様もそうでしたし、当時の預言者、イザヤとかエレミヤとかエゼキエルとかもそうでしたよね。皆、正しく語っていたのですが迫害されたり、井戸に投げ込まれたりと、そのような扱いを受けたので、今の時代も、もし、本当に神様から遣わされて真理を語るのなら、彼らに準じるのだと考えて、ほぼ、間違いは無いと思います。ただ、そうではあっても、さっきも申し上げましたように、ごく稀にではあっても、真理を見て悟って悔い改めていく人もいますので、最後までこの奉仕を全うしていきたいと、私個人はそのように思っています。



 



すべてのことを評価されるのは主ご自身ですので、また、自分たちのことはあまり分からないのですが、もし、レムナントキリスト教会がそういった働き(聖書から永遠の命について語る働き)に、神様から本当に召されていると客観的に見て、わずかでも思われるのでしたら、当教会を通して語っている神様の声に、ぜひ耳を傾けていただけたらなぁと思います。別に偉ぶって申し上げているわけではなくて、今の時代においても神様はご自身が選ばれた預言者(教師や牧師)を通して大事なことを語られるからです。もちろん個々の人の判断ですので何一つ強制はありませんが、もし、万が一、そのように思われましたら、神様がお勧めしている方向性に沿って歩みをし、働きをし、備えをされていくことをおすすめいたします。イエス様ご自身も、「預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。」と言われていますので、神様から遣わされた預言者の語ることに応答していくときに、永遠の命へと近付いていきますので、ぜひ、おすすめいたします。そういった点についても、とらえておいていただけたらと思います。