聖書箇所 ヘブル人への手紙12:26,27

 

12:26 あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。「わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。」

12:27 この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。

 

「選り分け」というテーマで、御言葉に沿ってみていきたいと思います。

 

突然、証をしたいと思うのですが・・・7月の中旬に夢を見ました。礼拝の中でも証をしたことですが、ある人と私は会っていました。その人はかつての職場の同僚でした。未信者の方ですが、私よりもその職場に先にいた方で、色々と助けてくださったり、困っていた時に助言もいただいたりしました。また、時にこんなことも言っていました。「人にしたことは・・・特に悪いことをしたら必ずそれは自分自身に返ってくる」と。当時私は信仰生活から離れていましたが、「たしか聖書にもそんなようなことが書いてあった気がするし、そうだ、きっとその通りだ」と思いました。そう、キリストのことを受け入れてはいませんでしたが、とても誠実でまじめな人でした。なので、ある機会を見計らってトラクトや聖書を渡すことができました。そして喜んで受け取ってくださったのですが・・・その方と先日夢の中で再会をしました。しばらくの間二人で何か話をしていたのですが、目の前の団地のような建物から突然出火して、ほとんどの部屋が全焼していました。とてもびっくりして、「うわぁ、何これ?ちょっと大変じゃない!」と発したのですが、その人は笑みを浮かべながら、「こうなったのは当然なんじゃない?」と私に言いました。「なんで?火事が起こって、大変なことになっているのにそんなことを言うの?」と聞くと、「クリスチャンがあまりにも神様に対して反発的だから、こういうことになったんじゃないの?」と言いました。そしてハッと気がつくと、大半の部屋という部屋が焼かれている中で、ポツン、ポツンと、害を受けずに残っている部屋がいくつか、いえ、ほんのわずかだけありました。そこで目が覚めました。見た夢が果たして神様からなのか、そうでないのか、すぐには分かりませんでした。でも、少しずつ時間が経って、また、その数週間後に弟子訓練の集会で聞いたメッセージを通して、やはり神様からの夢だ、ということが分かりました。

 

証はこんな感じなのですが、証を通して申し上げたいのは、冒頭のみことば「決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれる」です。つまり大半のクリスチャンが揺り動かされて、夢で言えば、部屋が焼かれて燃えてしまう、そう、取り除かれる、つまり滅んでしまうということを言われていると思います。また、「揺り動かす」のことばは、黙示録でも使われています。

 

参照 黙示録6:13

そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。

 

ここでも「揺られて」ということばが使われていて、まさに「揺り動かす」のことばに通じると思います。「天の星」とは、個々におけるクリスチャンを指します。クリスチャンは、本来は天、つまりこの世に属さないはずなのですが、「地上に落ちた」と書かれているように、終末は多くのクリスチャンが地、すなわちこの世に着くことを言われています。そして「振り落とす」と書かれているように、天の御国から振り落とされる、外される、すなわち御国に入れなくなるということを言われているのではないかと思います。そのみことばの前には大きな地震が起こって、太陽が黒くなり、月の前面が血のようになったことについて書かれています。「太陽」や「月」は、キリスト教会の大きな器、人々から賞賛されるような偉大なる働き人を指します。そういう人たちが、黒くなったり、血のようになる、と言われているのです。このことにもたとえの意味合いがあって、「黒」は「白」()の反対、つまり罪とか不義に通じます。すなわち罪に陥っていくということを言われているのです。「血」は、霊的なたとえです。ここでは悪い意味合いの霊、つまりそういう器が変な霊にやられていくことを言われています。そう、それこそ証の中で大半の住まいが焼かれてしまったということですが、多くの教会やクリスチャンが罪に陥り、結果としておかしな霊にやられていくということを前もって暗示しているのでは?と思います。そしてこのこと、「揺り動かし」を通して主が語りたいことは、これからは、もしくは今の終末の時代はキリストが真の花嫁、つまり永遠を共にする人を探す時、そのために地震を起こす、すなわち「揺り動かし」を通してクリスチャンを選り分けていく、そんなことを言われていると思います。「揺り動かし」ということばでは今ひとつピンと来ないかも知れませんが、要は試練、もっと言うと天の御国にふさわしいかどうかの試験がなされていく、そのことを通して真に残る人を集めると、27節のみことばは言われているのです。合格できれば残るし、不合格なら、「揺り動かされるものが取り除かれる」と書かれているように、神の前から除かれる、つまり悪い意味合いで選り分けられてしまうということを言っているのです。なぜ、こんなことが書かれているのか?と言うと、さっきも申し上げたように終末は多くのクリスチャンがこの世のものにどんどん引っ張られていき、信仰やみことばを投げ捨てていく時なので、そういったことが許されるのです。また、「天も揺り動かす」とあるように、地に着いたクリスチャン、つまり世的なクリスチャンだけでなく、真に主に着く天的なクリスチャンに対しても、こういった揺り動かしが許されるのです。それこそみことばに「選民をも惑わす」ということが書かれていますが、選民、つまりたとえ御国に入る有力候補のクリスチャンであっても、試練、試みの連続になっていくということを言われているのです。でも、そんな中で最後まで堅く主に着く人に対しては、「決して揺り動かされることのないものが残る」のみことばが良い意味合いで成就していく時でもあるのです。

 

繰り返すようですが・・・また、こういうことはキリスト教会で言われないことかも知れませんが、真の花嫁を、永遠に共にいる人を主はこの時代、探し、そして求めておられるのです。昨今、クリスチャンと名が付けば、皆、天の御国と言わんばかりのメッセージが幅を利かせているので、「選り分け」なんてことを言うと、「ハァ?何言ってんの?」と言われてしまうかも知れませんが、冒頭のみことばにこのように書かれている以上、そうなのかも知れない?と思って、歩みをされたほうが良いのでは?と思います。レムナントキリスト教会でも度々語っていることですが、みことばに書かれているようにこれからも進んでいきますし、成就していきますので、ぜひ本日のことばにも恐れを持っていきたいと思います。こういった点に関してもみておいていただけたらと思います。