聖書箇所 テトスへの手紙1:3

 

1:3 神は、ご自分の定められた時に、このみことばを宣教によって明らかにされました。私は、この宣教を私たちの救い主なる神の命令によって、ゆだねられたのです。――このパウロから、

 

「神の時を尊重して委ねられた奉仕を全うする」というテーマで、御言葉に沿ってみていきたいと思います。

 

冒頭の御言葉「ご自分の定められた時」と、書かれているように、神様が定められた“時”があるのだということが理解できます。そして、神様の時に、御言葉が宣教によって明らかにされたとあります。さらに、パウロは、この宣教は神の命令によって委ねられたと言っています。そう、パウロのように、神様から任命されたのなら、働きを成し遂げていくことに御心があります。

 

ところで、「定められた時」という言葉で思い出す御言葉があります。

 

参照 ダニエル書8:19,11:35

8:19 そして言った。「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。

11:35 思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。

 

ここでも、「定めの時」という言葉が使われています。言わんとしていることは、何をするにしても、「神様の定めた時」というのがある、ということです。ちなみに聖書において、「時」とか「時代」ということに、比重が置かれていることを御存知でしょうか?たとえば、イエス様はこのようにおっしゃっています。

 

参照 マタイ16:3

16:3 朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ。』と言う。そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。

 

また、時を見分けない人たちについて、こんな風に言っています。

 

参照 ルカ12:56

12:56 偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか

 

いずれも、イエス様がおっしゃったことですが、時や時代を見分けない人のことを「偽善者」扱いしています。ですから、私たちが思っている以上に、今がどんな時であるのか?を知ることは、とても大切なことなのです。私たち人間社会において、時を見分けないからと言って、偽善者呼ばわりされるなんてことは、まず、無いですよね。しかし、聖書においては、「偽善者」だと、はっきりと言っているので、このポイントについては、正しく理解しておきたいと思います。

 

さて、話は戻しますが、パウロがその時代にあって、主から任じられた働きを全うしたように、今の時代においても、主から召されている働きというのがあります。「ええっ?そんなはずはない!御言葉は変わらないのだから、どの時代も同じ働きをするに決まっている!」と、言われるかも知れません。そう、たしかに、「天地が滅んでもわたしの言葉は過ぎ去ることはない」と言われているように、これから先も御言葉は変わりません。ただ、ダニエル書には、このような記述があります。

 

参照 ダニエル書12:4

12:4 ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」

 

このところから、終わりの時まで、封じられているものがあることが分かります。このことは、何を言っているのか?と、言うと、黙示録に書かれている「7つの封印」に通じます。「終わりの時まで」と書かれているように、具体的には、世の終わりのことを指します。黙示録の「7つの封印」について、ヨハネが解くことができなくて、泣いていたという風に書かれています。すると、長老がヨハネに、「ユダ族の獅子が、その解き明かしをする」と言われました。つまり、ダニエルの時代にも、ヨハネの時代にも、世の終わりの時の解き明かしはされなかったのです。なぜなら、「終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ」と言われたのは、聖書の著者である神様だからです。そう、世の終わり、これらの封印は開かれていくのです。ですから、聖書によるなら、今の終末の時代に、封印が紐解かれていくのです。今が終末の時代だということは、多くの人がご存知だと思いますが、この時代に適した働き、すなわち封印を解き明かすという働きを、神様は今の時代のクリスチャンに求めているのです。もちろん、皆が皆、解き明かしをするわけではないのですが、少しずつでも紐解かれていったのなら、そういう働きに携わっていくことにポイントがあるのです。たとえば、獣の国がアメリカだとか、再臨の時は背信のクリスチャンは裁かれるとか、艱難を通るからその備えをしなさいとか、そういったことを呼びかけていくことに大いに御心があるのです。なんらか、そのようなことに携わっていくのなら、神様が任じている働きに着いているという風に見なしていただけるのです。また、「ユダ族の獅子」とは、“日本人”のことを指します。k結論として、聖書によれば、封印は日本人が解き明かすと言われていると理解できますので、私たちは、神様が定めた時というのをちゃんと理解して、そのことに応じていきたいと思います。そして、もし、素直に応じていくなら、恵みや祝福に入っていきます。

 

私のちょっとした証ですが・・・レムナントキリスト教会に行く前の私の歩みや働きは、まさに、空を打つような拳闘でした。Ⅰコリント人への手紙に書かれているように、決勝点がどこかも理解せずに、歩みや働きに励んでいたと、そんな状態でした。ですから、時折、「こんなんで、本当にいいのだろうか?」と思うことがありました。そして、次第にそんな思いは強くなり、あることを機会に、「天の御国」について、今一度、真剣に向き合うようになりました。そうこうする中で、エレミヤの部屋のHPのメッセージにたどり着くことが出来ました。ひとつひとつのメッセージを読んでいく中で、私の内側にあったシコリのようなものが少しずつ消えていき・・・「まさに、この働きだ!この歩みだ!神様が今の時代のクリスチャンに対して語っているのはこのことだ!」と。日を追うごとに、そのことを強く確信するようになりました。そして、半年後、レムナントキリスト教会の礼拝に行くようになり、その一ヵ月後には働きや歩みに参加させていただくようになりました。今日に至るまで、ずっと続けていますが、なおなお、このことに徹していかなければ!という思いは益々強くなるばかりです。今は、もう、まったく迷いはありません。これからもイエス様と共に、この一事にひたすら励んでいこう!と、そのように思っています。

 

そう、証を通して言いたいことは、今の時代は、神様からの警告について語っていく時であるということを申し上げたいのです。なぜなら、7つ目のミレニアム、今がまさにそうですが、この時は、御言葉や教理の冒涜が蔓延し、クリスチャンが変質してしまい、多くのクリスチャンが永遠の命を落とす時なので、こういった働きが必要になっていくのです。一昔前、つまり、今から100年、200年前は、どうだったか?と言うと、悪霊のリバイバル集会が行われていたり、艱難前携挙説が言われていたりすることはなかったので、必要無かったのです。言うなれば、クリスチャンが神様を恐れかしこんで歩んでいた時代だったのです。でも、今はどんな時代か?と、言うと、御言葉であるキリストをないがしろにし、神中心ではなく、ヒューマニズム的ないわば人間中心の信仰になっています。失礼ながら、多くのクリスチャンが神様を恐れていない時代に私たちは生きています。裁かれるのは未信者だけとか、地獄は無いとか、クリスチャンは艱難を通らずに携挙されるとか、聖書の御言葉から外れた教理ばかりが語られている時代です。このようなことは氷山の一角に過ぎないことで、そんなことを挙げ出したらキリがありません。ですから、誤りについて、気付かせていただいたり、示されたりしたことに関しては、どんどん語っていきたいと思います。たとえば、反キリストが教会を席巻していくので、仮庵の祭りをすることとか、艱難のための備えをするとか、バビロンゆかりの教理から離れていくこととかです。まさに、今の時代はそのような働きを神様が求めておられると思いましたので、話をさせていただきました。ぜひ、神様が今の時代に語られている働きに応答していき、恵みや祝福に入っていきたいと思います。そして、委ねられたことは、神様の前に忠実に行っていきたいと思います。今日も大切なことを語ってくださった神様に栄光と誉れがありますように。