聖書箇所 マタイの福音書2:12


2:12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。


前もって警告を語られる神」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。


冒頭のみことばはどういう状況なのか?と言うと、2章のはじめから読むと分かるのですが、東方の博士たちがベツレヘムで生まれた幼子イエスを拝みに行った直後のことでした。彼らはベツレヘムへ行く前に、ヘロデ王から報告をするように言われていました。しかし、夢を通して、「ヘロデのところへ戻るな」という戒めを受けました。ちなみに「戒め」のところはKJV訳では「警告」と訳されています。そう、彼らは夢によって、警告を受けたのでした。また、彼らが警告を受けたのと同時くらいに、イエスの父ヨセフも夢を見ました。13節には「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています」と書かれています。


博士たちが見た夢と、ヨセフが見た夢には共通点があります。いずれも「ヘロデから逃れなさい」ということを言われています。それはヘロデが幼子イエスを殺そうとしていたからです。そして夢は果たしてその通りになりました。16節には、博士たちにだまされたことに立腹したヘロデが人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させたのです。このことを前もってご存知の神さまが夢を通して危険を語ったのです。そして博士たちとヨセフは、夢で見た警告のことばに従いました。そのおかげて、幼子イエスは殺されずに済んだのです。


御子、イエスさまの命が守られてめでたし、めでたしではありますが・・・それはそうとして、この出来事を通して私たちに語っていることがあります。それはこういうことです。神さまは「これは危険だ!」というときに、事前に「警告」を語ってくださるのです。このケースのように、「夢」を通しても語りますし、それ以外にも、メッセージや証や預言、その他、人々が話していることや起きている出来事やその場の状況などを通して語ってくださるのです。しかしひとつ問題があります。それはどういうことか?と言うと、皆が皆、博士たちやヨセフのように素直に応じるのなら良いのですが、「警告」に対して「自分には関係が無い」とばかりにほとんど耳を貸さない、あるいは聞いたとしても本気にしない、という人が結構多いのでは?と思います。そうなると、何のための「警告」なのか?ということになりますよね?それこそ、「これから津波が来ますので、海岸から離れて避難してください」というアナウンスがあったとします。その時に人々が「いやぁ、大丈夫だよ。津波なんてこないから海水浴を楽しもう!」なんていう風に、海辺のビーチで遊んでいたらどうなるでしょうか?もし、本当に津波が押し寄せてきたら、危険ではないでしょうか?最悪、波にさらわれて命を失うのではないでしょうか?


神さまからの「警告」に関しても全く同じことが言えると思います。そのまま進むと危険だから、場合によっては永遠の命を失う可能性があるから、ゆえに「警告」を語ってくださるのです。ですから、もし本当に神さまからの「警告」だった場合に、全く無視してしまうというときに、別の方向へ引っ張られていったり、災いに入っていったり、そして成れの果てには「滅び」という結末を迎える、なんていうことにもなりかねないのです。


一例を挙げるなら、「地獄は無い」ということをローマ・カトリック教会ではメッセージしているということですが、そのことに対して機会があるたびに、レムナントキリスト教会では異を唱えています。しかしあろうことか、「カトリックの悪口を言っている~、ひどい!」なんていうことをおっしゃって、本気にしないどころか、反対に怒る人もおられます。本当に聖書にそう書かれているなら良いのですが、しかし聖書は明らかに「地獄(火の池)」の存在について語っています。なので、そのことに対しての警告をしているのですが、肝心要のカトリックの信者さんはそのことを信じてくださらないのです。誤解の無いようにひと言申し上げておきますが、個人を非難しているわけではありません。ただ、聖書に書かれている「地獄」の存在を無視して歩みを続けるときに、神さまへの恐れが無くなったり、罪を犯し続けても大丈夫、なんてことになってしまって、本来聖書で語っている信仰の歩みからどんどんかけ離れてしまって、挙句の果てには「天国」に入り損ねてしまったー、なんていう結末を迎えてしまうと思います。そのような恐ろしいことになってしまうことのないように「警告」をしているわけなので、しかも聖書のみことばから語っていることですので、博士たちやヨセフのように、「警告」を受けたときには、ぜひ素直に応じていきたいと思います。


私も、時々「夢」を通して「警告」を受けることがあります。その中のひとつに、「艱難時代の備えをしていきなさい」という語りかけを神さまから受けたことがありました。聖書にも「艱難時代」のことは書かれていますし、当時レムナントキリスト教会のメッセージを通して、いずれ艱難時代が来ることは理解していましたので、すぐさま備えをすることにしました。今はまだ、三年半の艱難時代ではありませんが、しかしそのことは、日々の歩みの助けにもなっています。信仰生活は順風の時もありますが、反面逆境や苦難に置かれることもあります。そんな時に、「艱難時代」のためのお祈りがとても有益になっています。その時に思うことがあります。「あの時の夢は神さまからだったのだなぁ。そして素直に従って良かったなぁ」と。それ以外にも、様々な方法で神さまは私に色々な警告を語ってくださり、そのたびに応じてきましたが、きっとこれからもそうなっていくと思います。中には一見警告とは思えないようなこともありますが、でも、お祈りを通して確認していく中で、「やはり、神さまからの警告だった」というものもあります。もちろんすべて理解しているわけではありませんし、見落としも多々あるのですが、いずれも従ったほうが安全である、ということは言えると思います。


私の体験はこんな感じなのですが・・・繰り返しますが、神さまから何らかの形で「警告」を受けたときには、ぜひ、応じていきたいと思います。神さまは愛をもって危険を語ってくださるお方ですので・・・しかもきちんと応じるなら、守っていただけますので、ぜひ、おすすめいたします。もし、御心を感じましたら、実践してみてください。今回も大事なポイントについて語ってくださった神さまに栄光と誉れがありますように。