聖書箇所 マタイの福音書4:5,6

 

4:5 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、

4:6 言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」

 

「聖書のことばをよく知っているサタン」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。

 

突然ですが、皆さまは「悪魔」(サタン)に関してどのような認識を持っているでしょうか?意外や意外、聖書には、「サタン」がどういう存在なのか?について書かれている場所はあまり見当りません。また、具体的に「サタンとはこういう存在ですよ~」などと親切に説明されているところもほとんど見かけません。しかし、よくよく聖書を読むと、たとえとして書かかれていることに気付きます。「サタン」は「御使い」であり、兄にもたとえられ

て、私たち人間よりも能力が高い存在です。しかも分からないように、いわば密かに私たちに攻撃を仕掛けたり、妨害をしたりしてきます。私たちの姿はサタンからよく見えています。肉体の姿もそうですが、内面的なものも、彼らはよく知っています。こと、弱点もよく分かっていて、そのあたりを執拗以上に、「これでもかぁ?!」というくらいに攻撃してきます。しかしこちらからはサタンの姿は見えません。ゆえに攻撃をされても、少なくとも仕返しをすることはできません。何があっても、決して姿を現わさないのが「サタン」なのです。そういう観点から考えると、「敵の特徴はこうです。だからこんな風に対応すれば良いのです!」なんていう風に「サタン」に対して自信なんて持たないほうが良いと思います。と、言うのは、これはクリスチャンの間でよく言われていることですが、仮にこちらがお祈りによって罪に勝利したり、弱点を克服したとしても、サタンは別の部分を攻撃することを考案したり、同じ方法は用いないからです。なので、「サタン」のことを過小評価したり、軽く考えたりしないほうが良と思います。では、どうするのか?と言うと、その都度神さまに助けを求めていくことをおすすめします。何せサタンは、神よりは低い存在ではありますが、少なくとも私たち人間よりは高い地位にいますので、しかもそれは神さまによって許されていますので・・・しかしだからと言って「泣き寝入りしろ!」なんてことは言われておらず、「悪しき者から守られるようにお祈りしなさい」とイエスさまが言われていますので、私たちは絶えず、悪魔(サタン)からイエスさまに守っていただけるように、祈り求めていきましょう。

 

さてさて、はじめに話しましたように、聖書にはサタンの具体性についてあまり書かれていないことはたしかです。もちろん大きな特徴として、「人殺し」とか「惑わす者」とか「試みる者」とか「誘惑する者」ということは挙げられます。これらを通してサタンが何をしたいのか?と言うと、一人でも多くのクリスチャンを永遠の命から外したいのです。さらに別の特徴があることを冒頭のみことばは語ります。このことばは荒野でイエスさまが悪魔の試みを受けられたときのことですが、なんとこの時サタンは聖書のみことばを引用してイエスさまを試みたのです。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」と。たしかに『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』のことばは、詩篇にも同じようなことが書かれています。つまりサタンは聖書のことばをよく知っているのです。しかもみことばの一部を強調して誘惑してくるのです。そのサタンのことばに対してイエスさまは、「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある」と言って、サタンのことばを打ち消しています。「神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ~」ということばも、聖書のことばなのでこれは真実です。しかしだからと言って、神さまを試して下に身を投げて良いか?と言うと、そうではありません。イエスさまがおっしゃるように、主なる神を試みてはならない、ということも書いてあるからです。

 

さて、ここで質問させていただきます。果たしてサタンはイエスさまが言われた「あなたの神である主を試みてはならない」のみことばを知らなかったのでしょうか?私の想像ではありますが、恐らくサタンはすべての聖書のみことばを知っていると思います。その上で、それを分かっていて、イエスさまを罠に引っ掛けるためにあえて一面だけを語ったのではないかと思います。これっていわば、「神は愛です」とか「神はどこまでも愛のお方なので人を地獄へは行かせない」なんていう教理がそうだと思います。たしかに神さまは愛のお方なので、それは正しいのですが、しかしだからと言って、地獄の存在を否定するのは間違えています。そうなんです、サタンは直接私たちに語ることはありませんが・・・しかしみことばを扱う奉仕者を通して、真理の中に「偽り」を混ぜるという方法を用いるのです。あるいは永遠の命の根幹に関わることについては口を閉ざす、なんていうことをするのです。「神の愛」だけを強調して、反面の厳格な裁きや地獄の存在に関して覆いをかけてしまうのです。聖書のことばをよく知っているゆえに、人々がどんな風に聖書の言葉を理解して、どのように歩めば永遠の命を得られるか?については、きっと私たちクリスチャンよりもサタンのほうがよくよく分かっている可能性があります。なので肝心要の部分について、隠してしまうのではないかと思います。そして残念ながら、往々にしてサタンの餌食になってしまう働き人が意外と多いのではないかと思います。もちろんすべてのメッセンジャーや教師や伝道師がサタンに用いられるわけではありません。しかし真理に堅くつかなかったり、つこうとしない働き人はあっさりとサタンの意向を行ってしまうのではないかと思います。それこそ聖書に書かれてもいないようことを語ったり、たとえば艱難の前にクリスチャンは天に挙げられるとか、一度クリスチャンになればさばかれないなんていうメッセージがそうです。また、語るべきことを省略してしまう、なんてこともあり得ます。特に神さまのさばきに関してはほとんど耳にすることがありません。どういう人が地獄に入ってしまうのか?なんてことは聖書のあちこちに書かれているのですが、そのことはほとんど強調されていません。もし、そのようなメッセージばかりを語っているなら、それはサタン来のメッセージの可能性がありますので、最悪神さまからの御怒りを招いてしまうでしょう。ゆえに気を付けなければいけません。特に片方だけを強調し、いわば祝福ばかりを語り、呪いや災いに関して語らないのは非聖書的と言えます。聖書はたしかに祝福や恵みについても語りますが、しかしどちらかと言えば、「呪い」や「災い」に多くのページを割いているからです。にもかかわらず、神さまの愛や恵みや祝福ばかりがメッセージされているなら、要注意だということはひと言申し上げてきますね。そんなことに、もしお心あたりがありましたら、それは直ちに悔い改めていきたいと思います。

 

繰り返します。サタンは聖書をよく知っています。だからと言って真理を正しく解き明かすか?と言うと、そうではないことは正しくとらえておきましょう。特に「永遠の命」の根幹に関わる事柄に関しては、口を封じるという傾向があります。メッセンジャーに良いことだけを強調させて、悪い面、呪いやさばきや災いを語らせずに人々を地獄へと道連れにする、という思惑に乗せられることのないように気を付けていきたいと思います。こんなことを申し上げたら怒る人もいるかも知れませんが、メッセージとひと口に言っても、すべてのメッセージが必ずしも神からのものとは限らないのです。逆にサタン来のメッセージもあるのでくれぐれも注意しなければいけない、ということは心に留めておいたほうが良いでしょう。そして誤解の無いように申し上げておきますが、サタン来のメッセージと言っても、この世のこと、たとえば政治や経済とか芸能人や歌手のこととかを語るのではありません。きちんと聖書は用いるのです。そう、聖書のことばを用いながらも、しかしなおかつサタンから来る、いわゆる滅びのメッセージがある、ということです。そのあたりは、正しく判断していきたいと思います。また、正しく判断するために、日々の聖書通読にきちんと励んでいきましょう。聖書全体を通して神さまがどんな風に語っているか?について正しくとらえていく習慣も少しずつ身に付けていきましょう。祝福や恵みも尊いことではありますが、しかし反面の呪いやさばきや災いに関してもきちんと学びをして、永遠の命を獲得していきたいと思います。

 

ちなみに艱難時代は、惑わされたクリスチャンが聖書をもとに攻撃してくると思います。一例を挙げるなら、カトリックとのエキュメニカル運動に反対するクリスチャンは非難や迫害の対象となるでしょう。もちろん聖書において、カトリックとの合同に関してNGを出しているのですが、惑わされたクリスチャンは「聖書にはすべての人と平和を保ちなさいって書いてあるでしょう?互いに愛し合いなさいって言っているでしょう?なのにエキュメニカルに反対するなんて、聖書のことばにタテをついている」なんていう風に、です。なので、かつての預言者が聖書を事細かく丹念に調べていましたように、私たちもその歩みに準じるべきなのです。特に艱難時代は聖書のみことばをしっかり握っているか?否か?がキーとなりますので、はたまたそれが永遠の行き先を左右する可能性がありますので、サタンがすすめるような読み方ではなく、イエスさまのように正しく理解していきたいと思います。こういう点に関しても、よろしければ見ておいていただけたらと思います。

 

もうすぐで聖書通読をはじめて20回になります。聖書通読が習慣になったのは、つい6,7年前のことで、それまでは好きな場所を気が向いた時に読む、という感じでした。なので聖書全体を通して神さまが言われている事柄に関して、理解に至ることはありませんでした。しかし聖書通読をするようになってから、聖書の読み方や理解が一変しました。すぐに、というわけにはいきませんでしたが、回数を重ねていくごとに徐々に全体像が見えるようになっていきました。もちろん今でも分からない箇所のほうが多いのですが、しかしこれからキリスト教会やクリスチャンにとってどういう時代になるのか?獣の国がどのように台頭して艱難時代に入っていくのか?そしてその時にどんな対応をすれば良いのか?そのためにはどういう備えが必要なのか?などについて少しずつ理解するようになりました。特に聖書の大半の記述は「終末」に焦点が置かれているので、今の時代にとても為になることばかりだなぁと思います。また、かつては聖書のみことばがほとんど理解できなかったために不安が多かったのですが、今では少しずつ方向性を捉えられるようになり、内側に平安を得られるようになりました。私事ではありますが、昔から本を読むのは大の苦手なので、聖書も得意か?どうか?と聞かれれば、やはり答えは“No!”ですし、読む速度も遅く時間がかかるのですが、神さまから力や助けをいただいてこれからも読んでいきたいと思います。今回も大事なポイントについて語ってくださった神さまに栄光と誉れがありますように。