聖書箇所 マルコの福音書10:28

 

10:28 ペテロがイエスにこう言い始めた。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」

 

「何もかも捨てて、イエスさまに従う」というテーマで、みことばに沿って見ていきたいと思います。

 

上記聖句において、イエスさまに従うべく条件のようなことをペテロが語っています。「私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」と書かれています。ペテロは12弟子の一人でしたが、その彼が、「何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。」ということをここであえて言われております。このことから私個人は語りかけを受けました。イエスさまに従う、というときに・・・まず、「何もかも捨てる」ということが大前提なのては?ということであります。なぜかと言うと、「従ってまいりました」のことばの前に、「何もかも捨てて」ということが言われているからです。イエスさまに従ってから捨てるのではなく、順番としては、まず、こちら側が捨てるべきものを捨ててから従う、とそんな風に読み取れます。なぜ、従う前に捨てなければいけないのでしょう?当たっているかどうかは分かりませんが、捨てるべきものを保留にした状態では、恐らく敵に立ち向かえないからなのでは?と思うのです。それこそ、「また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようとするときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうかを、まずすわって、考えずにいられましょうか。」(ルカの福音書14章31節)と書かれている通りでありまして、敵の前に立つことが出来なくなってしまうのです。そしてあっさりと打ち負かされてしまうのではないかと思うのです。また、私たちがこれもあれも、と持ったままの状態でいるときに、イエスさまに自由に用いていただけないからなのでは?その結果として、主のご栄光を反映出来なくなってしまうからなのでは?と思います。

 

つまり、イエスさまに従う、というのは、見えない敵とのサバイバル戦で勝利を取っていくことやご栄光をあらわしていくことも含んでのことだと思うのです。そうであるがゆえに、ありとあらゆるものを手放さない、というときに、敵には敗北、神さまの栄光が反映されない、という結論に至ってしまうと思われるのです。それゆえに、何もかも捨てて従う、ということが、イエスさまに従っていくことの条件である、という風にご理解いただけるかと思います。

 

では、具体的に、どんな風に捨てていくのか?ということについて話したいと思います。大分前にエレミヤ牧師が土曜日に旧約聖書からおすすめされていたことがあって・・・その時に、「献身の第一歩は自分自身を捧げることです。捧げないと、神さまが用いようにも、用いることが出来ないからです。」ということをおっしゃっていました。そのことを聞いて、「なるほどー。」と思いました。そして恐らく、「何もかも捨てる」ということは、すべてを神さまにお捧げしていく、ということではないかと思いました。あれもこれも捧げていく歩みに徹していくことなのでは?と思います。

 

さらに言うなら、すべて神さまにお任せしていく、委ねていく、ということではないかと思います。ちなみに「捨てて」のところは、KJV訳では、「捨てる」のほかに「任せる」「委ねる」ということが書かれていましたので、そういうことが言えるのでは?と思います。そのことばに関して、某教会のHPに、「イエスさまをご自分の救い主と信じて受け入れるなら、クリスチャンになれます。しかし、天国に入れる人は、生涯にわたって、イエスさまにすべて委ねて歩みをしていく人です。」ということが書かれていましたが、それはたしかにもっともだと思いました。なぜかと言うと、イエスさまを筆頭に、ペテロやヨハネやヤコブをはじめ、天の御国を受け継いだ人たちのパターンがまさしくそうだからです。彼らは、ありとあらゆるすべてのことを捧げて、委ねて、最後まで神さまに従順に従って、永遠の命をみごとにゲットしました。

 

ですから、もし、私たちがイエスさまに従う、あるいは天の御国に入りたい、と言うのなら、ペテロたちのように、すべてをイエスさまに明け渡していく歩みに徹していくことなのでは?と思います。そう、まずは私たち側がイエスさまにすべてを捧げて、そしてイエスさまに従っていく、というのが聖書で言われているパターンであります。もし、このことを躊躇することなく行っていくときに・・・この章の29,30節に書かれていることがそのまま成就していくのでは?と思います。

 

「イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。」(マルコの福音書10章29,30節)ということが言われています。「後の世では永遠のいのちを受けます。」とありますように、すべてを捨てて、あるいは捧げて最後までイエスさまに従うのなら、「永遠のいのち」がそのまま約束されるのです。何と素晴らしいことでしょう?!実践に値するのでは?と私個人はそんな風に思うのですが、いかがでしょうか?もし、そうかも知れない・・・なんて思われましたら、ぜひ、行っていきたいと思います。

 

そして、すべてをお任せする、捧げていく、ということに関連して、付け加えてお話させていただきますと・・・それはたとえて言えば、旅行の際に旅行会社に「お任せパック」というプランに申し込むようなものでして・・・そうするなら、事前に宿泊先や航空チケットの手配なんてしませんよね?何せすべて旅行会社に任せてあるのですから。イエスさまに関しても同じようなことが言えるのでは?と思います。私たちのほうでは、特に深く考えずに、その時々に示されることに従って、行っていけば良いのでは?と思います。そうしていくことが、そのままイエスさまにお任せする、捧げていく、ということに自ずと通じるのでは?と思います。いつも大切なことを語ってくださった神さまに、栄光と誉れがありますように。