聖書箇所 マルコの福音書4:2629

 

4:26 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、

4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。

4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。

4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」

 

「『実』や『かま』ということばを通して語っていること」というテーマで、みことばに沿って見ていきたいと思います。

 

冒頭のみことばはイエス様が種蒔きのたとえ話の解説をされていた延長線上で言われたことばです。そしてこちらの箇所は先日の礼拝のメッセージにおいても引用されていまして、とても大事なことを語っていましたので、今回はそのことを紹介させていただきたいと思います。すでに音声でお聞きになっている方におきましては重複する内容かも知れませんが、でも何度聞いても良いのでは?天の御国に入るための大事なポイントとなるのでは?と私個人は思いましたので、よろしければお読みいただけると幸いに思います。以下、エレミヤ牧師によるメッセージです。

 

「神の国」とは、「教会」のことです。「人」は、イエス・キリストのことを言われています。ここでのポイントは、「かま」を入れることです。このことばは、黙示録の「かまを入れる」ということに通じます。そして「かま」を入れるポイントとしては、「実」です。「実」は、「御霊の実」に通じます。ポイントはつまり、「御霊の実」を結ばせることです。神は、「御霊の実」を結ぶことに注目しています。そうです。私たちが御霊の実を結ぶかどうかということをご覧になっています。そして、「実」が出来たら、刈り取ります。けれども、「実」が出ていないクリスチャンは刈り取られません。そういう意味で、クリスチャンの大事な部分は「御霊の実」である、と言えます。「実」が無いと、刈り取られませんので、ゆえに「御霊の実」を結ぶことに注目していきたいと思います。

 

さらにその前の週でも「実」についてメッセージされていましたので、その箇所も紹介したいと思います。

 

【聖書箇所】詩篇128:3

128:3 あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。

 

「実」を結ぶことが結構大事なことだということをここでも言われています。「実」とは、ガラテヤ人への手紙に書かれている「御霊の実」のことを言われています。そして主を恐れていくときに、御霊の実を結ぶようになります。ポイントとして、御霊の実を結ぶことはクリスチャン生活に必須なので、そのことを心掛けていきたいと思います。「実」に関して、マタイの福音書にも書かれていますので、そこも見ていきましょう。

 

【聖書箇所】マタイの福音書3:710

3:7 しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

3:8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

3:9 『われわれの先祖はアブラハムだ。』と心の中で言うような考えではいけません。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

3:10 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

 

8節の「実」は、「御霊の実」のことです。そして10節では、御霊の実を結ばないと大変なことになることを言われています。一見、オーバーに聞こえます。でも、聖書に書かれていることは、皆実現していきます。歩みを糾す、悔い改めが大事ということをここでは言われています。ゆえに御霊の実を真剣に求めていかなければいけません。そうでないと、10節のことが実現してしまうからです。ちなみに10節に書かれていることは、後の世のことではなく、現世のことを言われています。以下、みことばがそのことを証しています。

 

【聖書箇所】マタイの福音書13:40

13:40 ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。

 

「この世の終わり」とあります。そしてそれは、次の時代のことではありません。ゆえに、先ほどの10節のことは現代のことで、来世のことではないことが理解出来ます。今、まさに起きることを言っているのです。そして「火に投げ込まれる」とか「火で焼かれる」とは、来世の地獄のことではなく、「惑わしの霊」のことを言われています。おかしな霊に引っ掛かっている人がまさしくそうだと言えます。そういう人は火、すなわち惑わしの火で焼かれているのです。そうなってしまうのは、良い実を結ばないからです。肉の実ばかりを結んでいる人は、惑わしの火に投げ込まれてしまいます。しかも今、このことが起きているのです。また、火で焼かれている人は、まさか自分が火で焼かれているとは思っていません。けれども、良い実を結んでいない人は、火で焼かれてしまいます。ゆえに御霊の実を結ぶことは急務と言えます。賜物よりも、御霊の実を結ぶことをどんどん求めていきたいと思います。

 

以上のこと、すなわち、「御霊の実」を結んでいくことに関して、二回にわたってエレミヤ牧師がメッセージをされていました。私個人としては、このことも非常に大事なことでは?と思いましたので、紹介させていただきました。メッセージの中でも言われていましたように、「御霊の実」とは、ガラテヤ人への手紙に書かれていることです。「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」です。もし、私たちがこれらの実を結ばせることに着眼して歩んでいくのなら、刈り取られる、すなわち天の御国に入ることができる、ということを言われておりました。もし、そうかも知れない・・・なんて思われましたら、ぜひ実践してみてください。いつも大切なことを語ってくださる神様に栄光と誉れがありますように。