聖書箇所 ヨハネ17:17

 

17:17 真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。

 

本日は、御言葉で言われている真理についてテーマ別に考えてみたいと思います。

 

①心の思いをきよめ、命に導くもの

罪や心の汚れを持ったままだと、天の御国に入れてもらえないからです。

心の思いをいつもきよめていく必要があります。

そして、真理だけが心の思いをきよめ、命に導きます。

この世には、哲学や心理学、倫理等のありとあらゆる方法があります

しかし、「真理によって聖め別ってください」と、ここではっきり言われているように真理だけが心の思いをきよめ、命に導きます。

ここで分かることは、きよめられなければ、もっと言うなら聖霊によってつくりかえられなければ、天の御国には入れないということです。

人からでたもの、つまり、人の知識や考えは残念ながら永遠の命に至らないということが理解できます。

 

② 理解しづらく受け入れがたいもの

先にのべたように、真理は人を罪から解放し、きよめる力があります。

真理=御言葉=神御自身=イエス・キリスト=聖霊です。

しかし、いずれも目には見えないものなので、信じがたいものなのです。

もちろんクリスチャンならイエス様のことを信じています。

しかし、神様を知らない人は、イエス様が救い主であることすら、なかなか信じることができません。

また、人の思いや考えを超越したものばかりなので、どれもこれもが受け入れがたいものばかりなのです。

「私が道であり、真理であり、いのちなのです」と言われているように、イエス様が真理そのものであることを、多くのクリスチャンは信じています。

しかし真理を信じているのと、それを見出して受け入れることは別のようです。

このような御言葉を聞いたことはないでしょうか。

「彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず・・・」という御言葉があります。

これはイエス様が言われた言葉です。

多くの人は真理を見たり聞いたりはする、しかし、残念ながら悟る人は少ないと言われているのです。

「彼ら」とは、神様を知らない未信者のことを言われているのではなく、クリスチャンのことを指しています。

悟らなければ受け入れることは出来ません。

どんなに良い教えであっても、そのことをきちんと理解しなければ自分の心のうちにとどめておくことは不可能ですよね。

 

さて、神様はクリスチャンが真理を悟らなかったり、受け入れないことについてとても悲しんでおられます。

この終末、多くのクリスチャンが真理を投げ捨ててしまっています。

また、御言葉ではさらに多くのクリスチャンが背信の道を歩むことについて前もって預言されています。

「いいえ、私は絶対にそんなことない!」と、おっしゃるかもしれませんが、どうか今一度、心の内側を点検してみてください。

偉そうな言い方をしてしまいましたが、このように御言葉を取り継がせていただいている私自身も、真理に立っているかどうか、たとえば、罪を放置したままになっていないかとか人を裁いたり憎んだりしていないか、高ぶったり傲慢になったりしていないか等、絶えず確認しながらの日々だからです。

神様は一人でも多くの人が真理に触れることを望んでおられます。

 

それでは、真理を見出す方法について考えてみたいと思います。

今まで何度も申し上げていますが、方法はとても簡単です。

聖書の御言葉を読み込んでいくことです。

このことを実践していくときに、少しずつ真理を見るようになります。

ちなみにキリスト教界における聖会、教理の本、DVD等、これらのものを優先してしまうと真理に覆いがかけられてしまいます。

聖書の御言葉のみに、徹底してみてください。

祈りながら、読んでいくときに、聖霊の力によって真理を悟るようになります。

私自身が実際にそうでしたので、このことで、少し証をさせていただきます。

かつての私は、聖書の御言葉よりもメッセンジャーが語ることや教理に書かれている本を優先した歩みをしていました。

順境のときはそれでもよいのですが、何かに問題に直面したときに、必ずといってよいほど、行き詰っていました。

答えはとても明白でした。

聖書から解決を求めなかったからです。

牧師や周囲のクリスチャンの意見を聞いたり、教理の本を頼みとしたのですが、そのことを通して根底にあるものが変えられたことは一度もありませんでした。

しかし、あるときを境に、聖書だけを読むように徹していきました。

しばらくしてから、不思議なことに、真の意味合いでの喜びや平安を見出すことが出来ました。

以前は問題が起こるとそのことばかりにとらわれていたのですが、そのような時であっても、御言葉に触れていく中で、問題にすらとらわれなくなっていきました。

たとえ、それが目に見えて全く解決されなくてもです。

「明日のことは明日が心配します、労苦はその日一日で十分です」という御言葉を信じて受け入れたときに、自分におきてくる事柄について思い煩うことが次第に減っていきました。

もし、このことを信じなければ、あるいは受け入れなければ、ありえないことだと思いました。

そして、聖書の御言葉だけにすべての解決方法や鍵があることを理解しました。

 

また、聖書の御言葉を読むことにプラスして、ぜひ、お祈りを習慣とされることをおすすめします。

聖書を読んで、真理を知り、信じることはとても尊いことです。

でも、その次の段階として、悟り、受け入れて実践していくためには、祈りが必須だからです。

祈りを通して、聖霊の力が働かれ、罪から解放され、心の思いがきよめられたり、御言葉を理解していくようになります。

もし、少しでも真理に難癖をつけたり自分の思いや考えに固執してしまうなら覆いがかけられてしまうので、いつまでたっても見ることは出来ません。

御言葉にもあるように、どこまでも幼子のようになって、素直に受け入れていきたいと思います。

人間的には信じがたくても受け入れがたくても、信じて受け入れていくことによって喜びや祝福や感謝に満ちた歩みに入っていかれますし、神様の御業や栄光を目の当たりにもしていくようにもなります。

また、すぐに御言葉を実行できなくても実践できるように信じて祈り求めていきたいと思います。

このことを忠実に行っていくなら真理は、ますます私たちの身近なものになっていきます。

朝も昼も夜も主の御教えを口ずさみ、どこまでも真理にとどまった歩みをして、永遠の命を得たいと思います。