聖書箇所 ヨハネの黙示録13:5,6

 

 

 

13:5 この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。

 

13:6 そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。

 

 

 

「艱難時代は期間限定」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。

 

 

 

冒頭のみことばはどんな背景か?と言うと、ズバリ!3年半の艱難時代の時のことです。キリスト教会や周囲のクリスチャンがどんな風に言っているかはともかく、聖書では私たちクリスチャンが艱難時代を通ることについて言われていますし、艱難を経て、なおかつ主に従っていく人、主にあって真に残る人が、「永遠の命」を得ていく、ということが繰り返し言われています。なので、艱難を通らずにその前に天に挙げられるとか、艱難中にクリスチャンが天国に携え上げられるという教えは、聖書のみことばを真っ向から否定する教えだ、ということになります。イエスさまの公生涯の3年半も、まさに艱難時代でした。そしてイエスさまを筆頭に、主に従った弟子たちも、艱難時代を経て、なおかつ残った人々として、天の御国へとみごとにゴールしたのでした。そう、みことばの「試みを経た石」とはイエスさまのことを言われていて、イエスさまと同じように歩みをした弟子たちも、まさしくそうなのです。そして旧約時代の終わりに起きた艱難時代は、新約時代の末にも同じことが再現します。冒頭のみことはば、これから迎える艱難時代の時に起きるであろうと思われる事柄について言われていることです。

 

 

 

艱難時代に何が起きるのか?ということが6節で言われています。「彼」とか「獣」とは、反キリストとか、獣の国のことです。そして獣の国や反キリストを中心に、「天に住む者たちの、ののしり」が艱難時代に起きるのです。いえ、もうすでにこのことは起きつつあります。レムナントキリスト教会では、獣の国はアメリカだと理解しています。「天に住む者たち」とは、天的なクリスチャン、すなわちイエス・キリスト(聖書のみことば)に忠実なクリスチャンのことです。そしてアメリカでは、聖書のみことばに堅くつく正しいクリスチャンを迫害したり、逮捕したりしています。なんでも、路傍伝道でメッセージをしていたクリスチャンが逮捕されたということを最近聞きました。日本ではまだ起きていませんが、恐らくアメリカでは州によって正しいクリスチャンを迫害するにあたって有利となる法律が制定されているのでしょう。だとするなら、逮捕するのにきちんとした理由が立ちますよね。そしてそういうムーブメントは、アメリカのみにとどまらず、やがては全世界に及んでいくでしょう。おかしな法律が各国で施行されて、正しいクリスチャンを迫害や逮捕や訴訟沙汰に追い込んだり、はたまた投獄や死刑等とかが起きてくるでしょう。それが本格的に、つまり全世界に施行される時が、「四十二か月間の活動」の時、つまり艱難時代だと思われます。

 

 

 

なので正しくみことばにつくのでしたら、艱難時代を通るということを肝に銘じて歩んでいく必要があるでしょう。そうでないと、「なぜ?こんなに正しく歩んでいるのに??」ということになるでしょうし、起きていることがサッパリ理解できない、なんてことになってしまうと思いますので。でも、ある程度、覚悟を決めてしまえば、「ああ、そんな時が来てしまったなぁ。聖書に書かれていることが実現しているのだから、なんとか耐えていくしかない」と思えるでしょう。

 

 

 

そう、そしてそこで今からきちんと理解しておきたいことがあります。それは、艱難時代の期間のことです。5節に書かれているように、「四十二か月間」です。ピッタリかどうかはわかりませんが、聖書に書かれていることなので、概ねこの期間と考えていれば良いでしょう。無限だとは言っていませんので、要らぬ心配をすることがないようにしましょう。そうなんです、私たちがいつまでか?ということを知るのは大事なんです。レムナントの礼拝でも言われていたことですが、「期日が決まっているのと、そうでないのとでは、心構えが違います」ということをエレミヤ牧師がメッセージされていましたが、私たちが極度な不安に陥ったり心配したりすることのないように、神さまの配慮によって期間が定められている、ということについては、よくよく理解しておきましょう。「四十二か月間」の他にも、「千三百三十五日」「千二百六十日」「半週」という表現で、期間のことが言われていますので、過度に心配することのないように気を付けたいと思います。

 

 

 

たしかに「いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難」とイエスさまがおっしゃったように、艱難時代は大変な時なのかもしれませんが、しかし、「永遠の時」とは比較できないと思いますので・・・まして、もし、艱難時代が大変だからといって反キリストを拝んでしまって「永遠に苦しむ」ということを考えれば、正しいがゆえに迫害されたり、困難な目に会ったり、最悪死罪に定められたりしたとしても、永遠の視点で見るなら、それほど大したことはないと思いますので、物事の軽重に関して見誤って大事なもの(永遠の命)を失うことのないように、くれぐれも気を付けたいと思います。もちろん私たちの肉体の命は大事ですし、艱難に会うのが嬉しいか?嬉しくないか?と聞かれれば、誰だって艱難なんかには会いたくないのですが、でも、「永遠の刑罰」のことを考えれば、どちらが得か?と言えば、正しい答えはすでに出ていると思いますので、一時的なことで選択を誤ることのないようにしたいと思います。逮捕、投獄、肉体の脅かし等々、ありとあらゆることが許されていく時なのかもしれませんが、しかし、ダニエルや彼の3人の友がそうであったように、艱難は通るが、けれども神さまの不思議な守りや助けもある、というのも聖書に書かれている一面の事柄なので、極端に脅えたり、怖がってしまうことのないようにしたいと思います。ただし、やはりそのためには「備え」が必要だと思いますので、艱難を経て、なおかつ永遠の命をゲットしたい!ということを真剣に考えていらっしゃるのでしたら、弟子の歩みや仮庵の祭りをしていくことをおすすめします。いまだ群衆の歩みにとどまっていたり、艱難前携挙説をはじめとするおかしな教理に席巻されている教会に居続けているときに、いつの時か足をすくわれてしまうと思われますので、そのあたりに関して霊的に覚醒されたのでしたら、直ちに方向を転換していきたいと思います。もちろん一切強制はありませんが、神さまの前に歩みが正しくないときに、いざというときの守りや助けが保障されなかったり、はたまた反キリストを拝んで永遠の命を損失してしまうなんていう結末を招きかねませんので、よろしければ今から正しく選択をされていかれたら・・・と思います。

 

 

 

繰り返しますが、艱難時代に関して、神さまは明らかな方向性について示しておられ、期間もきちんと定めていますので、その時になって慌てふためいてしまうことのないように今からきちんと準備していきたいと思います。また、みことばに堅く立つゆえに、いくら人間的に不利な状況になったとしても、永遠に苦しむわけでもないですし、いずれも一時的なものばかりですし、はたまた必要な守りや助けも与えていただけますので、決して失望せずにイエスさまを信じて、ひたすら主に拠り頼んでいきたいと思います。しかも艱難時代のあとには、間違いなく、イエスさまが再臨されますので、希望を持ち続けていきましょう!試練は通る、しかし助け出される、という聖書の原則は、今の時代も艱難時代も何ら変わりはありませんし、そして重ねて申し上げますが、期間は限定されていますので、ぜひ最後まで希望を捨てることなく、主にあってあらゆることに耐え忍んで、永遠の命を得ていきたいと思います。

 

 

 

 

メッセージの中でも書きましたが・・・エレミヤ牧師がかつて礼拝のメッセージで語っておられたように、艱難時代に関して、期間が定まっているということを前もって理解しているのは、とても大きなことだと思います。期間が決まっていないと、かなりな不安がありますが、しかし3年半ということがハッキリしているので、今そのことに向けて備えをさせていただけるのはとても感謝です。本日おすすめしたように、弟子の歩み&神さまの奉仕&仮庵の祭りを行っているくらいですが、でも、それがきっと神さまの前に備えになっているのでは?と信じています。なのでもし、艱難時代に入っても、恐らく今とさほど変わらない生活を送るのでは?と思っています。実際に艱難時代に入ってみないと、具体的に何が起こるかは分かりませんが、聖書に書かれていくようになっていくと思いますので、その時になって慌てふためいたり、思いもよらないことで驚嘆したり落胆しなければいいなぁと、祈り求めています。今回の学びを通して、期間限定ということを念頭に、そして思わぬことでひっくり返されないように、引き続き必要な備えや訓練をしていきたいと思いました。本日も大事なポイントについて語ってくださった神さまに栄光と誉れがありますように。