聖書箇所 ルカ22:53

 

22:53 あなたがたは、わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった。しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。

 

「時をとらえる」というテーマで、神様がこの箇所を通して語られていることをみていきたいと思います。

 

この章ではイエス様が祭司長や律法学者たちに捕らえられ、議会に引き渡されたことについて書かれています。

捕らえられた時にイエス様は「今はあなたがたの時です。暗やみの力です」と、冷静に言われています。

すでに、このことが起こることについて、前もって理解されていたような対応の仕方です。

また、実際に弟子たちに話をされていました。

参照 マタイ20:18

さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます

つまり、イエス様が捕らえられることは、予め預言されていました。

そして、「わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった」とあるように、捕らえるチャンスはいつでもありました。
しかし、「今はあなたがたと時です」と言われています。

この、「今は」という言葉に着目してください。

捕らえられることにおいても、時があるということが理解できます。

この、「時」という言葉ですが、聖書には、時について時代とも表現しています。

イエス様は、時や時代を見分けなさいと言われています。

また、時代を正しく見ない人のことを偽善者ともおっしゃっています。

参照 マタイ16:3

朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ』と言う。そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。

参照 ルカ 12:56

偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。

 

なぜ、時を正しく見なければいけないのでしょうか。

 

その前に、皆さんも御存知のように人や状況は時代と共に変化します。

今から約20年前の日本は高度成長期でした。

そして、あたかもそのままの状態がずっと続くようにも思われました。

しかし、そのようなさなか、バブルはあっという間にはじけました。

景気は徐々に悪化し、倒産する企業も相次ぎ、いったんは景気が回復したかのような兆しも見えたのですが、就職するのに困難な時代に入りました。

そのように、時代というのは変化し、よくも悪くも過ぎ去っていきます。

しかし、たった一つだけ不変のものがあります。

それは、神様の御言葉です。

そして、時代とは違って決して過ぎ去ることはありませんし、すべての御言葉は成就します。

 

信仰の歩みにおいて、時代を正しく区分することは、とても大切なことです。

今がどのような時代であり、これから何が起きてくるのかについて把握していないと、正しい方向に歩むのは困難だからです。

単に、神様を信じていれば、それでよいと思うかも知れません。

過去、私も時代の見分けについてそれほど真剣に考えたことはありませんでした。

しかし、明らかにイエス様は時代を見ない人のことについて「偽善者だ」と厳しく言われています。

時代についてきちんと見ていかない、自分ではいくら正しいと思っていても、偽善的な道を歩んでしまうことになるのです。

箴言の御言葉にも「人の目にはまっすぐに見える道がある、それは死の道である」とはっきり書かれています。

主が備えてくださったまっすぐな道を歩んでいくためなのです。

また、偽善的な歩みというのは、真理を正しく見ることが出来ないので信仰を持っていると思っていても、残念ながら命の道に至りません。

 

さて、今の時代はどんな時代なのでしょうか。

このことについて具体的にみていきたいと思います。

今は、7つ目のミレニアムです。

主が天地を創造されてから、すでに6,000年が経過しています。

聖書では、7とか7日目等、「7」という数字が出てきます。

また、7は完全をあらわす数です。

創世記2章には神様が第7日目に天地創造についてなさっていたわざの完成されたことを告げ、すべてのわざを休まれたとあります。

ここで理解できるのは、働きは6日間で終わっていること、7日目は何の働きもしていないことです。

このことが何を言っているのかというと、今は、安息の時だということです。

また、この時に新しい教理が入ってきたら、要注意です。

なぜかというと、7日目にパンは降らないからです。

参照 出エジプト記16:26,27

16:26 六日の間はそれを集めることができます。しかし安息の七日目には、それは、ありません。」

16:27 それなのに、民の中のある者は七日目に集めに出た。しかし、何も見つからなかった。

ですから、今の時代に新しい教えを持ってくる人はインチキ、嘘であることを理解してください。

Ex:キリスト教界におけるトレンド、たとえば、リバイバル聖会や癒しの集会と称して実際は悪霊を下す等

また、御言葉に、「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」とあり、つまり、一日は千年に、たとえられていることを理解していくと、今が7千目であると考えるのは正しいのです。

安息とは、神様の御業を見ていくことを言います。

だからと言って、私たちが神様の働きをさぼるわけではありません。

使徒の働きの中にこのような御言葉があります。

「ダビデは生きていた時代において神のみこころにつかえて後、死んで先祖の仲間に加えられ、ついに朽ち果てました」

この御言葉が語っているのは、ダビデはその時代に仕えたということです。

それと同じようにわたしたちが、今の時代に関して仕え、神様が語っている奉仕を成していくことや必要なことを語っていくことは大切なことです。

 

話しが少しそれてしまいましたが、今は、終末、世の終わり、すなわちキリストの再臨の備えをする時です。

聖書をきちんと読み、時代を悟るなら、そのように考えるのが正常です。

なぜ、そのように申し上げるのかというと、世の終わりは惑わす力送り込まれることや偽預言者の出現について前もってイエス様は語られており、実際に、そのような時代に入っていると思います。

使徒の働きに書かれていることですが、ペテロの時代からすでに時代は曲がっていました。

神様の前に正しく歩んでいるクリスチャンは少数でした。

そして、曲がった時代から救われなさいとも言われています。

今の時代も、同様です。

多くのクリスチャンが艱難の前に挙げられるとかクリスチャンになってしまえば皆天国というふうに考えているので、再臨の備えを正しくしている人はほとんどいないのが現実です。

でも、背教が起きて、反キリストが立ち、かつてもないような今後もないような艱難の時を迎え、それかえら万物の終わりの時が来ることについては、以下の御言葉が証明しています。

 

マルコ13:14-30

13:14 『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならば(読者はよく読み取るように。)ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

13:15 屋上にいる者は降りてはいけません。家から何かを取り出そうとして中にはいってはいけません。

13:16 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

13:17 だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。

13:18 ただ、このことが冬に起こらないように祈りなさい。

13:19 その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。

13:20 そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。

13:21 そのとき、あなたがたに、『そら、キリストがここにいる。』とか、『ほら、あそこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。

13:22 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。

13:23 だから、気をつけていなさい。わたしは、何もかも前もって話しました。

13:24 だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、

13:25 星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

13:26 そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。

13:27 そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。

13:28 いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。

13:29 そのように、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

13:30 まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。

 

もし、奇遇にもこのメッセージにアクセスされた方で、獣の国はヨーロッパだとか反キリストは擁立するとしても、クリスチャンはその前に天に携え挙げられるから何の心配もしなくても平気と思っていらっしゃっていましたら、どうか、ただちに方向を変えられることをおすすめします。

今、アメリカを起点に、キリスト教界で言われている教理は聖書の御言葉を曲げているものばかりであることを正しく御理解ください。

ここでは詳しく触れませんが聖書(ダニエル書)で解き明かされている獣の国はアメリカであり、多くのクリスチャンがアメリカ由来のインチキな教えに侵食されている時代です。

獣の国はヨーロッパだから、まだまだ大丈夫とかさっきから何度も申し上げているように、クリスチャンは携挙されるから備える必要は無いなどというのは、根拠も無い安心感を持たせたインチキな教え、すなわちクリスチャンの永遠の命を奪うための敵の罠であることをどうか御理解いただきますように。

皆さんが時々でも行かれている聖会や教理の本、そして、日曜日ごとに受けているメッセージが本当に聖書的なのかどうか、聖霊にあって今一度吟味されてください。

聖書に書かれていることが真実です。

御言葉に堅くついて歩んでいくなら、真理を見ますし、時代を正しく見分けていくことも可能です。

教理から聖書を読むのではなく、ぜひ、御言葉から神様がわたしたちに語っていることについて理解されることをおすすめします。

正しく時をとらえ、今なすべきことが何であるかを知り、慎んで御心を行い主の再臨に対応していきたいと思います。

 

ある教会に行っている方がこのようにおっしゃっていました。

教会のメッセージを聞いても恵まれないと言われました。

話を聞くと、今の時代について、また、神様の裁きについてほとんど語られていませんでした。

それどころか、神様が忌み嫌う魔術的要素を含む「ヤベツの祈り」を取り入れているとのことです。

私も以前その教会に行っていたので、状況は何となく分かっていました。

聖書解釈は少し異なるものの、その姉妹もヤベツの祈りは、おかしいと思っていたようでした。

ヤベツの祈りが魔術の法則であるもの、そして、本来のヤベツの祈りの意味について簡単に話をして、

「御言葉を土台としていないと、おかしなものが真実に見えてしまったり、真理がそうでないものに見えてしまうんですよ、だから、弟子の歩みが大切なんです。そんな風に歩んでいても惑わされてしまうのに、群衆の歩みをしていたら、惑わされていることすらも分からなくなってしまうのです」と言いました。

また、すでに不法の力(御言葉に反した教理を語る人)が働いていることと、聖書にはそのような人が立ったのを見たなら、そこから出なさいと言われている事についても話をしました。

私は2年前に、その方が行っている教会から出て、レムナントキリスト教会に行くようになりました。

理由は一つです。

行っていた教会が、アメリカ由来のインチキの教えに少しずつ侵食されていて、このままでは永遠の命が危ないと思ったからです。

嘘、偽り、惑わす力が送り込まれるという聖書の言葉は成就しているんだなぁという風に恐れを抱き、弟子の歩みにも入らせていただきました。

エレミヤの部屋のホームページを通して弟子として歩んでいかないと大変なことになる、わけが分からない歩み、いわゆる群集の歩みにとどまっていることには御心が無いと理解していましたので弟子の歩みがはじめられたことは、とても感謝でした。

また、前もって何が起きるのかを理解しているなら、たとえ苦難の時が来ても、それほど驚くこともないと思います。

常に時代を正しく見分けられるように祈り求め、主の助けと導きによって、歩んでいきたいと思います。

本日、このようにメッセージを書きながらも、改めてそのような思いが起こされたこと、主に感謝です。