聖書箇所 ルカ5:16

 

5:16 しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた。

 

ここに書かれているように、イエス様は、荒野、現在で言うと、地下教会で祈られていました。

一般的には、認知されていない教会のことです。

 

「荒野に退いて」のところに、語りかけがあります。

荒野とは、食べ物も飲み物も人気も何も無い寂しい場所のことです。

荒野の反対は町や都です。

一般的に町や都には、建物をはじめ、日常に必要なものが揃っていて誰しもが便利な場所だと感じているはずです。

聖書で言われている、町や都というのは、会堂のある教会、あるいは、認知されている教会のことを指すと思われます。

町や都に、ずっと留まることも出来たはずなのに、わざわざそこを出られ、自ら荒野を選んで祈っておられました。

ちなみに、バプテスマのヨハネも荒野で悔い改めを呼びかけていました。

 

先に話しましたように、荒野とは、決して整えられた所ではありません。

雨や風をよけられるような、屋根も無いような過酷な場所とも言えます。

しかし、荒野、すなわち地下の教会にこそ、神様の御心があるのです。

 

このことは、今の時代、終末を生きるクリスチャンへの主からの警告であると思われます。

今は、不法の力が勢力を増してきています。

時代を正しく見るなら、嘘・偽りの教えや世的なものが、教会の中に入り込んできている時代です。

また、御言葉にも、不法の力はすでに働いているだとか、荒らすべき者が聖なる場所に立つのを見たら山へ逃げなさいとか言われています。

ちなみに、山とは、地下教会のことを指すと思われます。

「聖なる場所」も教会のことを言っています。

正統と言われている一般的な教会が荒らされるわけですから、同じような場所に逃げても意味が無い、その時にはそこから出て、地下教会に行きなさいと言われているのです。

なぜ、荒らすべき者が立つのでしょうか?

それは、クリスチャンがあまりにも不信を重ねてしまったからです。

聖書に書かれている御言葉よりも、人の教えや考えを優先したり、艱難前携挙をはじめとする聖書には書かれていない嘘・偽り・空想話を盲信し、御言葉に聞き従わないことに対する、神の怒りのゆえに、反キリストが擁立されるのです。

その結果、教会から、聖霊が追い出される時がくることを前もって語られているのです。

教会を出たほうが良いなどと言うと、「不信仰な!」と、思われるかも知れません。

しかし、聖書は、このことについて、明確に語られています。

 

そのように理解していくと、この時のイエス様が荒野に退かれて祈られていたということに合点がいくかと思います。

私たちは、今がどのような時代で、これから何が起きてくるのかということについて、御言葉と照らし合わせて理解する必要があります。

イエス様はこのように言われました。

「偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。」

この言葉は、クリスチャンに対して、語られたことです。

今の時代を正しく理解していないと、どこを歩んでいるのか、はたまた、どこへたどり着くのかについても分からなくなってしまいます。

つまり、闇の中を歩いているということになります。

このように申し上げるのはおこがましいのですが、レムナントキリスト教会では、一人でも多くのクリスチャンが光の中を歩むことが出来るように、今、まさに主が語っていることについて、主が開いて下さった啓示や御言葉から警告のことを発信させていただいています。

あらゆる先入観を捨てて、主に祈り、御言葉を通して、真に主が私たちに語っていることについて、正しくとらえていきたいと思います。

繰り返しになりますが、時代を正しく見分け、正しく御言葉につく人に、御心があります。

確かに、荒野には、食べ物も飲み物もありません。

しかし、このことは霊的なたとえであり、神様は荒野に住む人の避けどころとなり、神様の不思議や守りや助けによって、養っていただけるのです。

都は、一見、飲食には不自由ないように思われるかも知れません。

しかし、これからは、霊的に必ずしも良い影響を及ぼすものとは言えないのだと思います。

主が出なさいと言われた時に、荒野に退く歩みをする人に御心があることを理解し、主の導きに従って歩んでいきたいと思います。

 

※荒野に関する参照箇所

申命記1:31

また荒れ野でも、あなたたちがこの所に来るまでたどった旅の間中も、あなたの神、主は父が子を背負うように、あなたを背負ってくださったのを見た。」

 

申命記2:7

事実、あなたの神、主は、あなたのしたすべてのことを祝福し、あなたの、この広大な荒野の旅を見守ってくださったのだ。あなたの神、主は、この四十年の間あなたとともにおられ、あなたは、何一つ欠けたものはなかった。」

 

参照 使徒7:37,38

7:37 このモーセが、イスラエルの人々に、『神はあなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。』と言ったのです。

7:38 また、この人が、シナイ山で彼に語った御使いや私たちの先祖たちとともに、荒野の集会において、生けるみことばを授かり、あなたがたに与えたのです。

 

教会の紹介をすることが主旨ではありませんが、レムナントキリスト教会は地下教会です。

私が、レムナントキリスト教会に行き始めたのは、2年前の秋でした。

きっかけは、エレミヤの部屋のホームページのメッセージでした。

それまで、キリスト教界で言われている常識とは、全然違うことが語られていて、はじめは、多少なりとも衝撃を受けました。

しかし、順番に読んでいくうちに、どれもこれも納得のいくものばかりでした。

なぜかと言うと、聖書から、解き明かされていることだからです。

半年ほど祈り、その後、主の導きによって、レムナントキリスト教会で礼拝に集うようになり、弟子の歩みに入り、働きを担わせていただけるようになり、感謝でした。

キリスト教界で語られていることが、すべてが嘘というわけではないのですが、聖書は、カソリックもプロテスタントも背教が起こり、多くのクリスチャンが信仰を捨てる時が来ることが前もって預言しています。

そのように考えていくと、教理に関して、吟味を怠ってはならないということを痛感させられます。

また、荒野にいるから大丈夫だと考えるのではなく、その中で、きちんと、主に従っていくこと、御言葉に堅くついていくことこそが安全であり、そのことを死守していく時に、主からの守りや助けが与えられていくのだと思います。

見ること、聞くことに注意し、主の視点で正しく時代を見分け、これから起きてくることについて、きちんと対応できるように、備えていきたいと思います。

また、すべての御言葉は、必ず成就するので、常に恐れを持って、主にお仕えしていかれたらと思います。