聖書箇所 使徒の働き1:6

1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」

 

「宮の再建」というテーマに沿って、話をしたいと思います。

 

6節では、宮の再建のことを、「国の再興」 と表現しています。

このことは何を言われているのでしょうか。

宮とか国は、教会のことを指します。

つまり、教会が建て直されるということを言われているのです。

世界には約20億人のクリスチャンがいると言われています。

そのために、多くの教会があります。

日本のクリスチャン人口は1%に満たないと言われていますが、それでも教会はあります。

礼拝をするために、教会はなくてはならないものであります。

「すでに立派な会堂があるんだから、今更立て直す必要はないじゃない?!」と、おっしゃるでしょう。

以前、私もこの箇所を読んだときに、そんな風に思いました。

確かに立派な建物をわざわざ解体して新しいものにする必要はありません。

えらいコストもかかりますし、時間もかかります。

ですので、そのようなことをする必要は全く無いわけです。

それではここの箇所で言われている「再興」とはどんなことを言われているのでしょうか。

その意味合いについてご一緒にみていきたいと思います。

 

旧約時代の神の民は「イスラエル」と言われていました。

新約時代のクリスチャンのことを言われています。

「イスラエルのための国の再興」とは、背信の道を歩んでいるクリスチャンが正しい教理に立ち返るための働きのことを言われています。

旧約の神の民も時代を経ていくうちに、神様から離れ、神の民らしからぬものに変質してしまいました。

そのために、旧約時代の終わり、神の民が御言葉に立ち返るために御子イエス様が世に遣わされたのですが、残念ながらほとんどの人がメシア(救い主)であることを認められず、逆に排斥してしまいました。

背教のきわみに達した結末として、十字架につけて殺してしまい、パリサイ人や律法学者をはじめ、そのことに煽動された人たちはひとり残らず裁かれてしまいました。

「旧約の神の民はとんでもない人殺し」だと、誰しもがそのように思うかもしれません。

しかし、このことは旧約の神の民に終わる話ではないのです。

むしろ、新約時代の終わりを生きる私たちへの教訓であると、とらえるのが正しいのです。

時代を重ねるごとに、キリスト教の教理が変質していくことは、聖書を読むと一目瞭然です。

キリスト教界において「平和だ、安全だ」と言っていたとしても、もし、曲がった教理の中を歩むなら、裁きの対象になってしまうのではないでしょうか。

曲がった教理の象徴として、再臨はすべてのクリスチャンにとってハッピーであるとか、裁きの対象は未信者であるとか、クリスチャンと名のついた人は間違いなく天国へ行けるとか、クリスチャンは艱難を通らない、携挙されるから備えは不要等の教えです。

キリスト教界で語られているすべての教理がおかしいというわけではありません。

神様が愛のお方であることや、私たちが心から悔い改めていくなら赦していただけること、救いは無条件に与えられていること等、正しい教えもあります。

曲がった教理は、ひょっとすると、100あるうちの5くらいかも知れません。

しかし、もし、仮にその5%の誤った教理が滅びへと招くものであるならば、ただちに是正しなければいけません。

そのまま鵜呑みにしてしまったことによって、永遠の命を落とす危険性があるからです。

人の目には、全く分からないことですが、神様の目から見て、私たちは誤りや間違いが意外に多いのです。

まず、このことを前提に歩んでいかないことには、教理の正しい見分けにすすむことが出来ないことを、どうかご理解いただきますように。

それでは、なぜ、誤ってしまうのでしょうか。

クリスチャンであれば、皆、聖書を読んでいます。

しかし、どのように読み、理解するかによって、同じようにクリスチャン生活を送っていたとしても、結末は異なります。

私も偉そうなことを言える立場ではありませんが、多くのクリスチャンが聖書を正しく読み取っていなかったり、反芻しなかったり、あるいは聖書よりも教理の本や人からの教えを優先してしまうために、真理に覆いがかけられているような状態です。

このままでは、多くのクリスチャンが永遠の命を失ってしまう、そのことを事前に回避するために、キリスト教界で言われている嘘・偽りや危険な教えに関して、御言葉をもとに説明し、聖書を正しく解き明かす働きを神様は召された人々に託されるのです。

回りくどい言い方になりましたが、「国の再興」とは、このようなことを言っているのです。

もっと分かりやすくいうと、曲がった教理の建て直しのことなのです。

また、終末は神様の赦しによって惑わす力が送られることが聖書に書かれています。

ゆえに、更に教理は曲がっていくことを想定のもとに歩んでいくことが大切だと思います。

マタイの福音書でバプテスマのヨハネは「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ」と言っています。

この当時も多くのクリスチャンが主の道ではない別の道を歩んでいた、本人はそういうつもりはなくても、主が通れるようなまともな道を歩いている人がほとんどいなかった、だからこそ、バプテスマのヨハネは悔い改めを呼びかけていたのではないでしょうか。

イエス様は、今の私たちにも、このような働きをするように呼びかけておられるのではないでしょうか。

天の御国に通じる道は、とても細いと聖書では言われているのに、もし、私たちが、神様を信じるクリスチャンなら皆天国へ行けるというふうに教えるなら、人々を滅びへ至らせる広い道を案内することになってしまいます。

以前、あるクリスチャンが私に言ったことがあります。

「私たちは、キリストの伝達人に過ぎない存在」であると。

確かに、その人がおっしゃるとおりだと思いました。

ですから、どこまでも、聖書の言葉に基づいて、正しく神様の言葉を取り扱わなければいけないと思います。

聖書以上、聖書以下にならないように気をつけて伝えていきたいと思います。

そのために、イエス様の弟子となって、きちんと訓練を積み重ねて、御言葉を正しく取り次いでいきたいと思います。

祈りと御言葉の奉仕に専念していく中で、神様の語りかけが少しずつ聞こえるようになり、啓示を正しく理解出来るようになります。

本日のテーマ「宮の再建」は、徐々に始まりつつあるのではないかと思います。

なぜなら、聖書に書かれているように、すでに多くのクリスチャンがキリストを敵として歩んでいるからです。

もし、御心を感じましたら、ぜひ、この働きに入られることをおすすめします。

聖書にも「時は縮まっています」とか「主の日は近い」と言われていますので、一人でも多くの人が真理を見出せるよう祈りつつ、命への道について正しく御言葉を宣べ伝えていきたいと思います。

 

3月に行われた第15回目のセミナーで、ユダ族の獅子について学びました。

詳細については、HPUPされる音声ファイルやテキストで確認いただきたいと思いますが、かなり衝撃的なことを教えられました。

なんと、アジアを起点に、黙示録の封印が開かれ、イスラエル(クリスチャン)が回復していくということについて聖書は預言しているのです。

ここでは多くは語りませんが、「すごいっ」と思いました。

日本がユダ族に当てはまることについても御言葉からも解説していただき、「なるほどー」と納得するものがありました。

ただ、今現在、獅子は眠っているのだそうなので、獅子を起こさなければならないとのことです。

日本の獅子である勇士を起こして、目覚めさせる働きをしていくことに御心があることを学ばせていただき

ました。

実は以前、一年位前のことでしょうか、夢の中で「私と一緒にエルサレムの再建をしなさい」という神様の語りかけを受けました。

もしかすると、さきほど、メッセージで語りました御言葉を正しく解き明かす働きが、まさに、このこと(獅子を目覚めさせる働き)に通じるのではないかなぁと思いました。

だとするなら、かなり責任重大なのでは?と、思います。

捉え違いや勘違い、私自身はそのようなことを度々繰り返してしまう者ではありますが、神様が言われている「宮の再建」の働きにわずかでも携われたらなぁと願っています。

夢、セミナー、御言葉を通して語ってくださっている神様の御声に正しく応答していかれたらと思います。