聖書箇所 出エジプト記18:19

 

18:19 さあ、私の言うことを聞いてください。私はあなたに助言をしましょう。どうか神があなたとともにおられるように。あなたは民に代わって神の前にいて、事件を神のところに持って行きなさい。

 

「『助言』ということばを通して語っていること」というテーマで、みことばに沿って見ていきたいと思います。

 

突然、上記のみことばだけを読んでも、殆ど意味がお分かりにならないと思いますので、背景を少しばかり説明させていただきたいと思います。「私」とは、「モーセの舅イテロ」のことで、「あなた」とは、「モーセ」のことです。そしてイテロは自分の婿であるモーセに対して、「さあ、私の言うことを聞いてください。私はあなたに助言をしましょう。」と述べました。イテロがこのようなことを言われたのは、モーセの状況が察してのことでした。モーセが朝から夕方まで民のさばきを行っていたのですが、ずっと続けていくうちにいずれ疲れて果ててしまうことが目に見えたので、このようなことを言われたのでした。そして、「私はあなたに助言をしましょう。」と言われたように、その後、実際にイテロはモーセに必要な助言をしました。それでモーセは彼の助言に聞き従いました。24節に、「モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、すべて言われたとおりにした。」とある通りです。こういった一連のことを通して、神さまがこのようなことを私たちに語っているかな?と思うことに関しまして、お話させていただきたいと思います。

 

ところで聖書において、クリスチャン生活の中で、「助言」のことが強調されている、ということをご存知でしょうか?かつての私は、そのようなことをあまり、と言いますか、ほとんど考えたことがありませんでした。けれども聖書を読んでいくうちに、また、レムナントキリスト教会の礼拝の中で語られているメッセージや実際の歩み等を通して少しずつ理解させていただいたことなのですが・・・クリスチャンにとって、「助言」は不可欠なものなのでは?常に必要なのでは?と次第に思うようになりました。そして今回は、「助言」に関して、ふたつの側面から話をさせていただきたいと思います。当たっているかどうかは定かではありませんが、聖書の中では二種類の助言について言われているように思います。ひとつは、「人さま」からのもの、もうひとつは、「神さま」(イエスさま、聖霊さま)からのものです。よろしければ、それぞれについて説明をしながら、見ていきたいと思います。

 

①人さまからの助言

 

かつてエレミヤ牧師が、HPのメッセージの中で、「権威」について語られていました。「ひとつはピラミッド型の権威、すなわち神の民の王、そして、王の下に整然と定められた1,000人、100人、10人の長たちです。そしてもう1つは、預言者という神からの直接の権威に従う職務です。預言者の特徴は、神から直接言葉をもらうことです。そこには人が介在しないのです。」ということを述べられていました。

 

「助言」に関しても同じようなことが言えるのでは?と思います。ひとつは、神さまによって配置された権威ある立場の人、教会の中で言えば、監督の任に着いている人、すなわち牧師からの「助言」のことです。そういった人たちからの助言を尊重するべきだということを聖書では言われております。そのようなことを書かれている箇所がありますので、よろしければ見てみましょう。

 

参照 ヘブル人への手紙13:17

13:17 あなたがたの指導者(KJV:支配者、統治者)たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。

 

「指導者たち」とは、まさに牧師のことであります。そして、「あなたがたの指導者(KJV:支配者、統治者)たちの言うことを聞き、また服従しなさい。」とありますように、「指導者」、すなわち牧師の助言を聞き、また、そのことに従っていきなさい!ということを言われています。しかも命令形で、です。ですから、このことはぜひ、尊重していきたいと思います。なぜなら、「この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。」という風に書かれているからです。このことはつまり、きちんと実践していく人は益を受ける、が、しかしそうでない人は、益を受けるとはかぎらない、ということを言われております。たとえば・・・エレミヤ牧師が何かの時に、「私が皆さんに奉仕をお願いするのは、それぞれの人の益になるためにと・・・思って声を掛けているんですよ。」ということをおっしゃっていました。その時に、「ああ、なるほど~」と頷くものがありました。きっとエレミヤ牧師だけではなく、殆どの牧師さんが恐らくそうされているのでは?という風にも思いました。

 

また、旧約聖書のどこかの箇所に、牧師やメッセンジャーは教会の人に奉仕を指定する立場である、ということも書かれていましたので・・・しかもどの牧師もそれぞれの信徒に「良かれ」と思ってお願いしていますので・・・もし、所属している牧師に奉仕をお願いされた場合は、どの奉仕に関しても、快く引き受けていきたいと思います。すでに実践されている方には余計なお世話かも知れませんが、とても大事なことですので、ぜひ、そのようにしていきたいと思います。

 

そして牧師は、それぞれの信徒の人たちに必要に応じて助言されることもありますが、「あなたがたの指導者(KJV:支配者、統治者)たちの言うことを聞き、」とありますように、そのような場合は、素直に聞き入れていきたいと思います。そうでないときに、「この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。」ということばが、お互いの間で悪い意味合いで成就してしまいますので・・・しかもそのことは、牧師だけではなく、神さまを悲しませてしまうことになりますので、ぜひ、こういったこともきちんと守り行っていきたいと思います。

 

②神さまからの助言

 

先ほどは、人からの助言、たとえば教会の場合、監督の任に当たっている牧師からの助言への対応について話をさせていただきましたが・・・今度は、神さまが私たちに助言する、ということについて見ていきたいと思います。

 

教会に所属していれば、時として牧師から助言をいただいたり、指導を得たりすることも出来るでしょう。でも、私たちは四六時中、教会にいるわけでもありませんし、また、一人の信徒に常に着ききり・・・というわけにも行きません。しかも、いくら牧師といっても、信徒全員の日常生活までは分かりませんし、ご自分も毎週のメッセージの奉仕をはじめ、色々とで忙しいので個々の信徒の全てのことに関わるわけにもいきません。しかし・・・神さまはそうではありません。24時間、365日、常時共におられます。しかも私たちが希望するのなら、生涯にわたって場所や時間を問わず、つまり、いつでもどこでも、必要な数々の「助言」を与えてくださいます。ちなみに神さまが助言者である、ということをみことばは語っております。せっかくですので、見てみましょう。

 

参照 イザヤ書9:6

9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

 

「ひとりのみどりご」とか「ひとりの男の子」とは、「イエスさま」のことを言われております。そして皆さまもご存知のように、イエスさまは神さまでもありますので・・・「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」とありますように、神さまが私たちに「助言」を与えてくださる、ということを理解出来ますよね?そうなんです。たとえ牧師が不在であっても、また、牧師でなくても、何か相談出来るクリスチャン仲間が今のところはいない、という場合であっても、しかし、神さま、つまりイエスさまや聖霊さまが、私たちの助言者となってくださり、助けてくださったり、力を与えてくださったりするのです。しかも、人と大きく違う点がありまして・・・たしかに牧師をはじめ、人さまからの助言も素晴らしいのではありますが、しかし時として誤りや勘違いがあるかも知れません。しかし神さまの場合は、預言で外れが無いように、助言に関しても誤りやミスは皆無であります。そして助言を聞いて、きちんと従っていくなら、あらゆることを最善へと導いていただけるのです。

 

また、先ほどは私たちが希望すれば与えられる、ということを申し上げましたが・・・たしかにそれもそうですが、しかし私たちの歩みが神さまの目から見て今ひとつ芳しく無い、あるいはこのまま進んで行くと危ない!というときに、神さまのほうから私たちに分かるような形で、助言や忠告を与えてくださるのです。その時々において方法は異なるのかも知れませんが、しかしきちんと聞き入れて従っていくときに、危険から守られたり、事前に回避したりすることが出来るのです。もしかすると、人を通して語られるかも知れません。あるいはトラブルを通して語るのかも知れません。しかしいずれにしても、助言に耳を傾けていく人、従う人に御心があるのはたしかです。そして、「不思議な助言者」とありますので、クリスチャン、ノンクリスチャンにかぎらず、全ての人の助言者になってくださるのでしょう。

 

ですから、もし、私たちが何か助言が必要、というときには神さまに求めていきたいと思います。どんな方法で助言をいただけるのか?と言うと、「お祈り」を通してそれは可能だと思います。何か困ったことや問題があるときに、一体どうしたらいいのか分からない・・・というときには、すかさず神さまに祈って、アドバイスをいただきたいと思います。神さまは誠実なお方ですので・・・私たちが真に助けを求めていくなら、どんなことであっても応じてくださいますので、信じて祈り求めていきたいと思います。そして神さまが与えてくださった助言は、どれもこれも尊重して従っていきたいと思います。

 

ちなみにレムナントキリスト教会は、特にどこの教団にも属していないので、教会をリードする立場の人からのアドバイスを受けることがないのですが・・・でも、その代わり、と言っては何ですが、神さまに助言を求めるようにしています。先ほど話しましたように、お祈りを通して神さまの語っている声を聞くようにしています。そうすると不思議なことに、働きや歩みに関して色々と語ってくださるのです。そのことに順次応答していく中で、さらに神さまが語ってくださって・・・そういった繰り返しの中で、歩みや働きを進めております。人さまからの助けはほとんどないのかも知れませんが、しかし神さまがいつも助けてくださっていますので・・・これからも神さまが語る助言に耳を傾けて、従っていきたいと思っています。

 

今回は「助言」に関して、「人さまから」&「神さまから」の二点から話をさせていただきましたが、多少なりともご理解いただけましたでしょうか?いずれも大事なことをみことばは語っていますので、どれもこれも尊重して従っていきたいと思います。よろしければ、このようなこともご理解いただけると幸いに思います。