聖書箇所 出エジプト記2:1,2

 

2:1 さて、レビの家のひとりの人がレビ人の娘をめとった。

2:2 女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。

 

「心の美しさ」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。

 

ここでは、モーセが生まれたときのことについて書かれています。ちなみに、こちらの箇所は、ヘブル人への手紙でも、おなじようなことが書かれていまして、その中で、ギリシャ語の原語の意味合いのことを礼拝の中で教えていただきましたので、そのこともふまえて、話したいとおもいます。

 

参照 へブル人への手紙11:23

11:23 信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。

 

冒頭のみことばで、「かわいい」のことばは、ヘブル人への手紙では、「美しい」とあります。それで、「その子の美しい」ということばですが、ギリシャ語では、「神の前に美しい」という意味合いだそうです。また、この「美しい」ということばになぞらえて、下記みことばが、それと関連するのでは?とおもわれますので、よろしければ、みてみましょう。

 

参照 Ⅰサムエル記16:7

16:7 しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

 

ここでは、「容貌」とか「背の高さ」とか、いわば人の外観のことがいわれています。そしてある意味、容貌の良さとか、背の高さというのは、外側の「美しさ」と関連します。けれども、主は何といわれたか?というと、「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。」といわれました。つまり、主は、外側の美しさにはまったくこだわっていないことがわかります。さらにおいうちをかけるかのように、「人が見るようには見ないからだ。」とまでいわれております。そして、ここでハッキリと、「主は心を見る」といわれています。このことから、「神の前に美しい」とは、まさに、「心の美しさ」ということをいわれているのでは?とおもいます。

 

では、さらに・・・「心の美しさ」に関して、具体的にどういうことをいわれているのかについて、こんなことかな?と、わたしなりに示されたことを、すこし話したいとおもいます。

 

参照 Ⅰテモテ2:9,10

2:9 同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、

2:10 むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい

 

当たっているかどうかはわかりませんが、「良い行ない」というのが、「心の美しさ」に一面関係するのでは?とおもいました。さきほど、Ⅰサムエル記から、肉体の外観のことについてチラッと話しましたが・・・ここで、「はでな髪の形」とか「金や真珠」とか「高価な衣服」とあります。ただ、このことに関しても、いずれも、外面的なことについていわれています。もちろん、こういうことは実際的な面でもあるかもしれませんが、しかし、たとえでいわれている事柄でもあるとおもいます。

 

わかる範囲で説明したいとおもいますが、「金」は、「立派な信仰」のたとえではないかとおもいます。また、「真珠」とは、「賜物」のたとえだとおもいます。「高価な衣服」とは、「神さまのすばらしい義」のことではないかとおもいます。たしかにこれらは、どれもこれもすばらしいものではあるのですが、けれども、いずれも、外側のことをいわれています。そして、10節「良い行ないを自分の飾りとしなさい」とありますように、「良い行い」にこそ、ポイントがあることが理解できます。実際にそんなふうにおもえるかどうかは別として・・・しかし、みことばにおいて、神さまの視点においては、「良い行い」こそが、さきほどの、はでな髪の形とか金や真珠や高価な衣服に優る、ということを語っているとおもいます。そしてこのことは、「心の美しさ」にそのまま直結するのでは?とおもいます。

 

今回の要点をまとめます。まず、神さまの視点と人の見所は異なる、ということです。みことばに書かれていますように、わたしをはじめ、多くの人は、まず、人のうわべを見やすい、ということです。けれども、神さまが見ているところは、そうではなくて、お一人一人の「心」なのです。そして、「心の美しさ」というものに、主は、とてもこだわっているようにおもいます。また、「心の美しさ」というのは、わたしの示しや理解では、「良い行ない」と、かなり密接な関係にあるのでは?とおもいます。立派な信仰、聖霊の賜物、神さまの義、いずれもすばらしいものですし、尊いものであるとはおもいますが・・・しかし、「心の美しさ」とか「良い行ない」こそに、神さまは視点を置き、重きを置き、大事にされているのでは?とおもいます。

 

そしてまた、「良い行ない」というのは、どれもこれも他の人の心を癒すものなので、「御霊の実」を結ぶこととも直結するのでは?とおもいます。ですから、こういうことに価値を置いて実践していくときに、神さまの前にも、人々の前にもよろこばれますし、生涯にわたってこのことに目を向けて歩みをしていくときに、そのまま天の御国に入っていくのでは?ともおもいます。ですので、ぜひ、「心の美しさ」とか「良い行ない」に目を留めて、のちに神さまから誉れを受けていきたいとおもいます。よろしければ、こういうこともご理解いただけるとさいわいにおもいます。