【聖書箇所】出エジプト記22:1

22:1 牛とか羊を盗み、これを殺したり、これを売ったりした場合、牛一頭を牛五頭で、羊一頭を羊四頭で償わなければならない。

 

「盗んだり、殺したりすることは、聖書でも禁じられている」というテーマで、みことばに沿って見ていきたいと思います。

 

この世の法律もそうかも知れませんが・・・聖書においても、盗んだり、殺したりすることを禁じております。そして万が一にも、そのようなことをしてしまった、という場合は、「償わなければならない。」とありますように、「償い」をする必要がある、ということを言われております。

 

たとえば窃盗をして警察に捕まった場合、どうなるのか?と言うと、それこそ賠償金や保釈金があれば、それを払えば済むのかも知れませんが・・・しかし、大半の人はそもそもお金に困って、そのようなことをしてしまうわけですので・・・そうするとしばらくの期間留置場に入れられてしまうわけですよね?それがいわゆる「償い」になると思うのですが・・・勿論そのようなことは法律でも禁じていることですし、聖書でもNGを出していますので、はじめからやらない、ということに越したことはないのですが・・・けれども万が一にも、そういったことをしてしまった場合は、もう二度と、そのようなことをすることのないように気を付けていきたいと思います。

 

それで・・・聖書の中で、「盗み」に関連することがいくつか書かれているのですが、そのことを少し見てみたいと思います。

 

【聖書箇所】Ⅰコリント人への手紙6:9,10

6:9 あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、

6:10 盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。

 

ここに「盗む者」ということが書かれています。そして、私たちが人のものを盗む、あるいは盗む習慣から抜け出せない、という場合にどうなってしまうのか?と言いますと、「神の国を相続することができません。」ということが実現してしまうのです。私たちクリスチャンは、「神の国」のことを「天国」のこととも理解しているのですが・・・このことはつまり、「天国」に入ることが出来なくなってしまいますよ~、ということを言われていると思います。ですから、もし、万が一にも、こういったことにお心当たりがありましたら、直ちに悔い改めていきたいと思います。

 

かつてある人から聞いたお話ですが・・・その人のお知り合いに子どもの頃から時々、人のものを盗んでしまう習慣を持った方がおられたそうです。勿論その方の心の内側に「悪い」という思いは常々あったようですが、しかし、なかなかそのことをやめることが出来なかったそうです。けれどもあることをきっかけに、その方は教会へ行くようになり、そこで聖書の学びをしたり、牧師さんのメッセージを聞いたり、お祈りをするようになってから、真にそれは「悪いことだ!」と理解して・・・神さまの前に悔い改めて、それからピタッと盗むことをしなくなったそうです。

 

その方のように・・・もし、万が一にも、そういった習慣があるのでしたら、直ちにそれはやめていきたいと思います。もし、やめる力が無い、という場合には・・・イエスさま(神さま)にそのことをお祈りしてみましょう。心から願っていくなら、良い方向に導いてくださいますので、信じてお祈りしていきましょう!たとえ悪いことをしていたとしても、はたまた、なかなかやめることが出来なくても、しかし私たちが祈り求めていくときに、イエスさま(神さま)は、どんな罪でも解放してくださり、助けや力を与えてくださいますので、ぜひ、そうしていきたいと思います。

 

また、皆さまもすでに御存知のように・・・人を殺すことも、聖書では固く禁じておりますので、このことも守っていきたいと思います。そして、エレミヤ牧師が時折メッセージの中でおっしゃっていることなのですが・・・勿論聖書において、物理的に人を殺すことも当然NGを出しておりますが、しかし、もう一面の意味合い、裏の意味合いとして、たとえ、この世で言われる「殺人」の罪を犯さなくても、けれども、人のことを憎んでしまう、というときに、それもまた、「人殺し」という風に見なされてしまう、ということをも聖書では一面言われております。かなり信じがたいことかも知れませんが・・・でも、聖書に書かれていますので、よろしければ参考までに紹介しておきます。

 

【聖書箇所】Ⅰヨハネの手紙3:15

3:15 兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。

 

この世の常識はそうではないかも知れませんが・・・しかし聖書において、「兄弟を憎む者はみな、人殺しです。」ということが言われております。そうなんです。先程も申し上げましたように、そしてまた、少し考えがたいことではあるのですが、しかし、人を憎んでしまう、という場合に、「人殺しです。」ということを聖書では言われています。さらに、「だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。」ともあります。ちなみに「永遠のいのち」とは、私たちが死後、「天国」に入るために必要なものですので・・・そして、「だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがとどまっていることはないのです。」とありますように、人を憎んでいる、という場合に、「永遠のいのち」を持たないこととなり、あわや天国に入れなくなってしまうようですので、気を付けていきたいと思います。皆さまにかぎってはそのようなことは無いとは思うのですが、しかし、万が一にも、もし、人を憎んでいる、ということにお心当たりがありましたら、すぐに是正していきたいと思います。このことも、イエスさまに助けを求めていくときに、人を憎むこともやめることが出来ますので、信じて求めていきたいと思います。

 

大分前のことですが・・・某牧師さんから、聞いたお話があります。当時、その牧師さんは憎む、というほどではなかったにしても、しかしある人に対する苦い思いがなかなか消えなかったそうです。でも、ある時、それは良くないことだと思って、何とかそういう思いが消えるように、イエスさまにお祈りされたそうです。そうしたところ、しばらくして、その人への苦い思いが完全に消え去って、しかもそれだけではなく、その人を心から愛するまでに、心が変えられたそうです。

 

はじめから人さまのことを憎んだり、苦い思いを持たないことに越したことはないのかも知れませんが・・・けれども、万が一にも、誰かを憎んでしまったり、あるいはそこまでは至らなくても、苦い思いを抱いてしまったりした場合には、この牧師さんのように、イエスさまに助けを求めていきたいと思います。