【聖書箇所】出エジプト記23:13

 

23:13 わたしがあなたがたに言ったすべてのことに心を留めなければならない。ほかの神々の名を口にしてはならない。これがあなたの口から聞こえてはならない。

 

 

 

「『聖書』において、他の神々を拝むことを禁じている」というテーマで、みことばに沿って見ていきたいと思います。

 

 

 

世の中には、あらゆる「神々」が存在するのですが・・・しかし、聖書においては、そうではなく、「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない。』と言われたのは、まさにそのとおりです。」(マルコの福音書12章32節)とありますように、神さまは唯一だということを言われておりまして・・・それゆえに、天の父なる神さま以外を崇拝することは禁じられています、という点から教えていただいたことを語らせていただきました。もし、よろしければ、お読みください。

 

 

 

【聖書箇所】出エジプト記23:13

 

23:13 わたしがあなたがたに言ったすべてのことに心を留めなければならない。ほかの神々の名を口にしてはならない。これがあなたの口から聞こえてはならない。

 

 

 

「わたし」とは、主なる神さま(イエス・キリスト)のことです。そして「わたしがあなたがたに~心を留めなければならない。」とありますように、神さまのおっしゃったことを心に留めていくことは、大事なことだという風に、理解出来ます。そのあとに、今回のメインのことについていわれています。上記の聖句の中で、「ほかの神々の名を~聞こえてはならない。」とあります。

 

 

 

ところで、世の中には、釈迦、地蔵、仏、アラー等、数多くの神々が存在します。しかし、聖書では「神」について何と言っているか?と言いますと・・・はじめに話しましたように、「唯一」だと言われています。よろしければ、その箇所を、もう一度、見てみましょう。

 

 

 

【聖書箇所】マルコの福音書12:32

 

12:32 そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない。』と言われたのは、まさにそのとおりです。

 

 

 

「律法学者」ということばは、旧約時代の用語ですが、私たち新約時代においては、教会の牧師とか神父とか、つまり、聖書のことばからメッセージをする立場の人のことを言われています。ですから、「律法学者」とは、クリスチャンです。その彼が、「主は唯一であって~」と言われています。つまり、ここで、「主(神さま)は唯一である」ということを言っております。そうです。神は、唯一であって、他に神はいません、ということを、こちらの箇所においてハッキリと語っているのです。

 

 

 

それゆえに、冒頭の聖句にありますように、「ほかの神々の名を口にしてはならない。これがあなたの口から聞こえてはならない。」ということを言われているのです。そして、律法学者、今で言う牧師や神父の立場の人が、そのように明言していますので・・・ゆえに、もし、クリスチャンになった場合に、他の神々の名前を口にしてはいけません、ということを言われているのです。

 

 

 

そして、具体的に、「口にしない」とは、どういうことを言われているのでしょうか?クリスチャンになったら、「釈迦」とか「地蔵」とか「仏」とか、そういうことばを声に出して一切言わない、ということを言われているのでしょうか?もし、そうだとするのなら、こんな風に文章に書くことも、NGを出されてしまいそうですよね?

 

 

 

このことは、当たっているかどうかは分かりませんが・・・「ほかの神々の名を口にしてはならない。」とは、恐らくこういう意味合いではないかと思います。先ほど、「神は唯一」だということを見ましたが、そのことと合わせて見ていくときに、このように言えるのではないかなぁ、と思います。神さまはたったおひとりしかおられないので、それゆえに、他の神を拝むのはダメ!ということなのだと思います。絶対にそうです~、とは申しませんが、その根拠となる聖句がありますので、よろしければ紹介しておきますね。

 

 

 

【聖書箇所】出エジプト記20: 3-5

 

20:3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

 

20:4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。

 

20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、

 

 

 

3節においても、「ほかの神々」があってはいけませんよ~、ということを言われています。このことは、「神は唯一」ということと、同じことを言われていると思います。そして、4節では、「偶像を造ってはならない。」とあります。「偶像」のところは、英語の聖書(KJV訳)では、“image”と書かれています。つまり、唯一の神さま以外の、別のイメージを造らないで(KJV訳:刻まないで)ください、ということを言われております。ですので、残念ながら、釈迦とか仏壇とか地蔵とかを造ることは、聖書では禁じております。更に5節では、「それらを拝んではならない。」と書かれています。そうなんです。このことばから、どのようなものであっても、唯一の神さま以外のもの、刻んだイメージ(像、偶像:釈迦、仏壇、地蔵等)を拝むことを禁じている、ということがお分かりになりますよね?

 

 

 

ですから、もし、クリスチャンになった場合に、こういったものから離れていかなければならない、ということは、ご理解いただきたいと思います。イエス・キリスト(神さま)も信じる、でも、他の神さまも大切にしたい・・・ということは、人間的には何の問題も無いように思えるのですが、しかし、残念ながら聖書ではNGを出しております。それこそ5節に、「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、」ということが書かれていますので、クリスチャンとして歩んでいながらも、しかし、他の神も拝む、という場合に、神さまから妬みを買ってしまいますので、ぜひ、唯一の主である天の父なる神さま(イエスさま)だけを、崇めていきたいと思います。

 

 

 

参考までですが・・・大分前に、あるご夫妻から聞いたお話があります。本当に随分前のことですので、うろ覚えではありますが・・・そのご夫妻は40代でクリスチャンになりました。それまでは、仏教徒で、とても信仰心の熱いご夫妻でした。そんな中、娘さんがクリスチャンになりました。まだ、洗礼は受けていませんでしたが、当時、彼女(娘さん)は学生さんでした。でも、その頃、まだ、クリスチャンではなかったご両親(ご夫妻)は、毎朝、娘さんが登校する前に、「そこの仏壇に手を合わせていきなさい。」ということをおっしゃっていたそうです。しかし、娘さんは、仏壇の前には行ったものの、それをただ、じーっと見つめるだけで、一切、手を合わせなかったそうです。つまり、拝むことをしなかったそうです。

 

 

 

それから数年経って、あることをきっかけに、お母さん(奥さん)が教会へ行くようになり、イエス・キリストを信じてクリスチャンになりました。しかし、お父さん(ご主人)のほうは、一向に教会へ行く気配は無く・・・けれども、そんなある日、奥さんと娘さんに誘われて、やっとのことで教会に足を運んだそうなのですが・・・なんと、そのご主人も、その時、クリスチャンになったのです。

 

 

 

それから数ヵ月後、親子揃って洗礼を受けることが決まり、その当日、長年拝んでいた仏壇を教会まで持ち運んで、そこで処分されたそうです。その後、無事、洗礼を受けたそうですが、「とても気持ちがスッキリした!」とおっしゃっていたそうです。

 

 

 

私個人は、とても素晴らしい証(体験談)だなぁ・・・と思うのですが・・・ただし、残念なことに、そのご主人は数年前にお亡くなりになりました。(キリスト教用語:天国に召される)でも、最後まで、唯一の神さま(イエス・キリスト)だけを崇めて、無事、天国に入る(キリスト教用語:昇天)ことが出来たそうです。聖書に書かれている通りに、最後の最後まで、唯一の神さま(イエス・キリスト)だけを崇めることを貫かれたそうです。

 

 

 

ですので、もし、クリスチャンになったのでしたら、今お話しましたご主人のように、唯一の天の父なる神さま(イエス・キリスト)だけを崇めていきたいと思います。そうしていくときに、天の父なる神さま(イエス・キリスト)は、とても喜んでくださいますし、聖書の別の箇所には、「わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」(出エジプト記20章6節)とありますように、「恵み」が約束されていきますので、しかも、それは「千代」にまで及んでいきますので、よろしければ、ぜひ、おすすめいたします。