聖書箇所 創世記6:9

 

 

 

6:9 これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。

 

 

 

「神と共に歩む」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。

 

 

 

クリスチャンなら、誰しも「私は神さまと共なる歩みをしています!」と、口に出さないまでも、そんな風に思われていらっしゃるかと思います。そしてそれは素晴らしいことだと思いますし、「神さまと共なる歩み」というのは、「クリスチャンならではの特権」とも言えると思います。かの有名な「ノアの箱舟」の「ノア」も、「神とともに歩んだ」とありますように、彼も神さまと共に歩みました。そのことに関連して、他の箇所にも「神とともに歩んだ」ことが書かれていますので、参考までに見てみましょう。

 

 

 

参照 創世記5:2224

 

5:22 エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。

 

5:23 エノクの一生は三百六十五年であった。

 

5:24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

 

 

 

ここでエノクのことが書かれています。そしてエノクも、「神とともに歩んだ」とあります。しかも2行にわたって、つまり「神とともに歩んだ」ことが二度繰り返されています。クリスチャンなら「神さまと共に歩む」ことは当然とか常識と思うかもしれません。「今さらなぁに?」なんて思う方もおられるでしょう。かつての私も、そのことを深く考えたことはありませんでした。でも、せっかくなので改めて考えてみたいと思います。クリスチャンなら、当然と思われることがあえて書かれていることを、です。しかも二度も強調されているからです。わざわざこのように聖書に記述されているということは、ひょっとするとクリスチャンであっても神さまと共に歩んでいない人が案外多いのでは?だからこそ、それが大事だということを神さまは言われたかったのではないか?と私個人はそんなことを思わされました。そして度々申し上げていますが、聖書はイエス・キリストを証する書です。ゆえにここに登場している「エノク」もイエス・キリストの型だと考えられます。エノクが神さまと共に歩んだように、イエスさまも天の父を仰ぎ見て歩んでいましたよね。そして皆さまもご存知のように、イエスさまの生涯の歩みと言えば、ひたすら天の父に対して従順でしたよね?十字架の死に至るまで、すなわち最後の最後まで神さまに従い続けましたよね?その結果、天において栄光を受けられましたよね?「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」のみことばも、そのことを言われていると思います。つまりこのみことばは、まさに昇天されたイエス・キリストのことを言われているのではないかと思います。

 

 

 

そうなんです、申し上げたいことは、イエス・キリストやノアやエノクのように、神さまと共に歩んだ人が、「天の御国」に入れるのです。「神が彼を取られたので、彼はいなくなった」とは、天に引き上げられるクリスチャンのパターンとも言えるのです。そして「神さまと共なる歩み」とは具体的にどんな歩みなのか?と言うと、それは冒頭のみことばにありますように、「正しい」とか「全き」と言われるような歩みです。これって先ほどお話した「天の父への従順」ということにそのままピッタリ当てはまると思います。分かりやすく言うと、「神さまの御心を行う歩み」です。それは道徳的モラルがあるとか無いとかではなく、神さまの前に正しいのか?全きなのか?従順なのか?ということです。もちろん非道徳的よりかは道徳的なほうがいいですし、モラルやエチケットやマナーを守るのが良いのか?悪いのか?と聞かれれば、守ったほうが良いでしょう。そう、でも、もし神さまの御心を行っていくのなら、こういうことも難なく網羅されてしまうのです。あえて、道徳的にならなきゃ!あるいはモラルやエチケットを守っていこう!なんていう風に意気込まなくても、神さまの御心を行っていくときに自然とできてしまうのであまり心配する必要は無いと思います。結論を言うと、神さまと共に歩むというのは、つまり「神さまの御心を行う」ことなのです。裏返すと、神さまの御心を行っている人は、神さまと共に歩んでいる人と見なしていただけるのです。そして生涯にわたって神さまと共なる歩みに徹していくのなら、ノアやエノクのように、「天の御国」に入れるのです。

 

 

 

反対に神さまと共に歩まないという時に、つまり神さまの御心を行わない、あるいは不従順なクリスチャン生活を送り続けて生涯を終えるなら、恐らく「天の御国」には入れないと思います。ちなみに神さまと共に歩まないという時に、一体誰と歩んでいるのか?と言うと・・・それは「サタン」と歩んでいる可能性があります。皆さまもご存知のように、サタンは「天の御国」を継ぐことは決してありません。「ゲヘナ」(火の池)行きが確定なので、あわやサタンと一緒に滅ぼされてしまうことのないように気を付けていきたいと思います。たった一度きりの人生ですし、「御国」を目指せるのはこの地上においてワンチャンスしかありませんので、ぜひ、神さまと共に歩みをして、「天の御国」に招かれていきたいと思います。

 

 

 

 

大分前のことですが、その日は教会の牧師が不在で、代わりに献身者が話をすることになりました。その時に、ちょうど今回引用したエノクの箇所をメッセージされていました。詳細は覚えていませんが、「エノクは神さまと一緒に歩みました。なので私たちも神さまと一緒に歩んでいきましょう」というようなことが語れていたと思います。比較的短いメッセージだったと思うのですが、「神さまと一緒に歩みましょう」ということばがとても印象的でした。なぜかと言うと、ちょうどその頃から、できるだけ神さまと一緒にいたい!神さまが喜んでくださることを少しでも行っていきたい!と考えるようになっていたので、とても素直にそのことばが心の内側に入ってきました。その後、少しずつ神さまと一緒に歩めるように祈り求めていくようになりました。何をどうしたら良いか分かりませんでしたが、神さまがお喜びになることをほんの少しでもできますように!なんていうお祈りに導いていただいたように思います。実際に出来ているかどうかは自分では分かりませんが、今でもこのことを日々、求めています。今回の箇所を通して、「このことは大事だなぁ」と益々思わされましたので、今後も祈り求めていきたいと思います。そして神さまが許してくださるのなら、生涯にわたって神さまと共に歩んで、天の御国を受け継いでいきたいと思います。いつも大切なことを語ってくださる神さまに栄光と誉れがありますように。