聖書箇所 創世記17:14

 

17:14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。

 

「割礼を受ける」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。

 

「割礼」とは、国語辞書によると「陰茎包皮を切開、その一部を切り取る風習」とあります。この意味合いだけを見るなら男性に関係することであり、女性には無関係だと思われます。しかしそれに続いて、「宗教的には、清め・奉献・契約の印・成人の証明などの意味づけがなされる」ということも書かれています。このことは男性だけでなく、女性にも該当します。但し今お話したことは、この世の国語辞典によるものです。なのでもちろん間違いではありません。この世においては正しいと思います。しかし私たちはクリスチャンですので、聖書の視点に基づいて「割礼」のことを今一度見ていきたいと思います。

 

さて、聖書における「割礼」の意味合いですが、私の知るところによると二つあります。①聖書に詳しい人②肉との分離、です。①については、聖書の律法に関することです。なので今回の箇所とはあまり関係しません。上記みことば「包皮の肉」とありますように、②肉との分離、ということにポイントがあります。「肉」と聞いて何を連想しますか?やれ、ステーキだのソテーだの、ということを思い浮かべるでしょうか?あるいは最近少し太ってきたからダイエットをして少し痩せなきゃ、肉を落とさなくちゃ、なんて思うでしょうか?たしかにそれらも「肉」ではありますが、しかし聖書で言われている「肉」の意味合いのひとつに「生まれつきのもの」というものがあります。他に、「肉の思いは死」とも言われていますように、「肉」は「罪」をあらわすたとえでもあります。ですから、「包皮の肉を切り捨てられていない」とは、生まれつきのものとか罪との分離ができていない、それらが切り取られていない、ということを言われているのです。そしてもし、生涯のクリスチャン生活の中で「割礼」がなされないのなら、「その民から断ち切られなければならない」という結末に至ってしまうのです。これは何を言っているのか?「その民」とは、それ以前の節を読むと分かるのですが、「アブラハムの民」のことです。現代においては、新約のイスラエル、クリスチャンのことです。しかし、「その民から断ち切られなければ」とありますように、「割礼」を受けていないというときに、神さまの前にクリスチャンと見なされなくなってしまうことを言われているのです。洗礼を受け、毎週教会に通って礼拝にも出席して、また、奉仕やお祈りや聖書を読んでいても、「割礼」が無いなら、「わたしの契約を破った」とありますように、神さまとの契約が無効になってしまうのです。ちなみに「契約」とは何を言っているのでしょうか?それに関して少し見てみましょう。

 

参照 創世記17:713

17:7 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。

17:8 わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」

17:9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。

17:10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。

17:11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。

17:12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。

17:13 あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。

 

7節で「わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約」と言われていますように、このことは神さまとあなた(アブラハム)の子孫であるクリスチャンとの永遠の契約についてのことです。そしてそれはどういう契約なのか?と言うと、8節の「永遠の所有を与える」という契約です。要はそれは「天の御国」とか「永遠の命」のことを言われているのです。続いて9節で「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない」と言われていますように、「天の御国」に入るため、「永遠の命」を得るために、「わたし(神)の契約を守りなさい」ということを言っているのです。もし、そうするなら、「天の御国を永遠に相続できますよ」ということなのです。さらに10節で、「次のことが~あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい」とありますように、神の契約の中で「割礼」を受けることが奨励されています。しかも13節で「必ず割礼を受けなければならない。」とありますように、「割礼」は天の御国に入るためには「必須」だという風に理解できますよね?これは裏返すなら、「割礼」を受けていない、いわば無割礼という場合に、はたまたその状態でクリスチャン生涯を終えてしまうなら、「天の御国」に入れない、ということを言われているのではないでしょうか?そしてそのことばは、冒頭のみことば「その民から断ち切られなければならない」と符号するのでは?と思います。そう、割礼を受けていないのなら、その民、すなわちクリスチャンとは見なされないので、天の御国に入れないという公式が成り立ってしまうのです。ゆえに思いのほか、「割礼」を受けることは非常に大事だということが分かりますよね?ノンクリスチャンからクリスチャンへと新生するのは尊いことなのですが、しかしクリスチャンとして歩み出したのなら、肉、要は生まれつきのものや罪からどんどん切り離されていくことに御心があるようです。そしてそのことを本当に実践していくのなら、それはそのまま「御霊による歩み」に通じていくのでは?と思います。ちなみに「生まれつきのもの」とは、悪いものだけでなく、才能とか知能とかをはじめ良いものも含まれます。ですから徐々ではあっても、そういうものから切り離されていくように祈り求めていきたいと思います。せっかくクリスチャンとして歩んでいるのでしたら、やはり天の御国は受け継ぎたいですよね?しかし、そのためには「割礼」を受けることが条件のようですので、ぜひそのことにも心を留めていきたいと思います。

 

繰り返しますが、生まれつきのままで生涯を終えてしまうときに、天の御国を受け継ぐ可能性は非常に危ないものとなります。また、生まれつきのもの、いわゆる肉によって歩んでいくときに、「肉にある者は神を喜ばせることができません」とローマ人への手紙に書かれていますように、神さまに喜んでいただけませんので、そして神さまにその歩みは受け入れていただくことはできませんので割礼を受ける歩み、いわば御霊にある歩みをおすすめいたします。御心を感じましたらぜひ、実践してみてください。

 

大分前に、ある男性が礼拝の中で証をしていました。その方は駅前で配布していたトラクトを読んで救われて教会へ行くようになったそうです。そして彼は洗礼を受けた後、このように決意されたそうです。「今までは自分のために生きてきたけれど、これからは自分のためにも十字架で死んでくださった神さま(イエスさま)のために生きていこうと思います。」と。

 

その証を聞いて大分経ってからですが、後にみことばが示されました。Ⅱコリント人への手紙ですが、「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」のみことばです。その男性はまさにこのことばを実践しようとされていたのだなぁと思いました。また、それはそのまま「割礼」に通じることなのでは?と思いました。元々は自分のために生きる者だった、しかしそれをやめて神さまのために生きていこう!という志は、生まれつきのものではなく、天来のものだと思います。私はその方よりも大分前に洗礼を受けていたのですが、彼の証を聞いて、自分のことをとても恥ずかしく思いました。と、言うのは当時の私は「割礼」ということばの霊的な意味合いは悟っていなかったものの、そのこととは程遠い歩みをしていたからでした。でも、その証を聞いてから、「自分も変わらなくては!」なんてことを思うようになり、内面が少しずつ変えられるように祈り求めていくようになりました。神さまの目から見ると、変えられなければならない部分がまだまだ残っていると思いますので、これからもお祈りの中で少しずつでも「肉」の部分が削られていくようにしていきたいと思います。今回も大事なポイントについて語ってくださった神さまに栄光と誉れがありますように。