聖書箇所 創世記19:13

 

19:13 わたしたちはこの場所を滅ぼそうとしているからです。彼らに対する叫びが主の前で大きくなったので、主はこの町を滅ぼすために、わたしたちを遣わされたのです。」

 

「災いを起こす前に御使いを遣わす神」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。

 

この箇所はどんな場面か?と言うと、二人の御使いがアブラハムの甥のロトのところに遣わされた時に言われたことばです。なぜ、二人の御使いが遣わされたのか?その理由について冒頭のみことばは語られています。「主がこの町を滅ぼすために」とありますように、神さまが、ロトが住んでいるソドムの町を滅ぼすためなのです。そして結論から言えば、ソドムは硫黄の火で本当に滅ぼされてしまったのです。まさに二人の御使いが言われた通りになってしまったのです。しかしこの時、ロトと彼の家族は例外的に助けられました。厳密には家族全員ではなく、ロトと娘二人はその災いから何とか逃れることができたのです。

 

さて、このことから神さまが語っていることを少しずつ見ていきたいと思います。この話を聞いて、「神さまってひどい!何も滅ぼさなくてもいいじゃない?情けも何も無いもんだわ!」なんてことを思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、神さまは理由も無く、むやみやたらに滅ぼすお方ではありませんし、何の予告も無く突然災いを下されるわけでもないのです。「彼らに対する叫びが主の前で大きくなったので」とあります。これはどういうことを言われているのか?と言うと、創世記18章20節に、「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い」とありますように、彼らの「罪」のためなのです。しかも二人の御使いを通してそのことを前もってロトに語っていますよね?はたまた、18章のことばは、アブラハムに対して神が言われているので、ロトのみならず、アブラハムにも災いについて語られていたことが分かります。そしてなぜ、御使いを通して語られたのか?そんなことは改めて私が説明しなくてもすでにお分かりだと思いますが、罪を悔い改めたり、災いから逃れたりするためなのです。「災いに巻き込まれると滅んでしまいますよ。だから罪を悔い改めたり、災いに巻き込まれたりすることのないように逃れるのですよ!」という神さまからの愛のメッセージなのです。分かりますか?神さまは、本当は滅んで欲しくないのです。好き好んで、趣味で滅ぼすわけではないのです。しかしいかんせん、神さまの前に限度を超えてしまったのです。なのでやむを得ず・・・そのような行動を取ることになってしまったのです。しかしだからと言って、すべての人を滅ぼすのが御心ではありませんでした。義人ロトのように、神さまの前に正しく歩んでいる人に対しては、何とか救われるように手を差し延べたのです。それゆえに二人の御使いが彼のところに遣わされたのです。そしてその御使いはロトと彼の家族に「いのちがけで逃げなさい」と声を掛け、彼らはそれに応じて何とか災いから免れることができたのです。

 

よろしければ神さまが災いを下されることに関連して、さらに別のところも参照してみましょう。

 

参照 エレミヤ書18:7,8

18:7 わたしが、一つの国、一つの王国について、引き抜き、引き倒し、滅ぼすと語ったその時、

18:8 もし、わたしがわざわいを予告したその民が、悔い改めるなら、わたしは、下そうと思っていたわざわいを思い直す。

 

8節に「わたしがわざわいを予告したその民」とありますように、ここでも神さまが前もって神の民に対して、災いを語るということが理解できます。そしてその後半には「悔い改めるなら、わたしは、下そうと思っていた災いを思い直す」とあります。たしかに悪事に対して神さまは怒りを発し、また、それだけでなくそれに対して災いも下されるお方ではあるのですが、けれども、それに対して前もって語り、そしてそれだけでなく、もし悔い改めるなら、災いを思い直してくださるのです。いかがでしょうか?少しホッとしませんでしょうか?ここの箇所でも、神さまがやたらとむやみに災いを下されるお方ではないこと、そして悔い改めて災いから逃れることを親切に促してくださっていることが分かりますよね?

 

ですので、今回のポイントは二点あります。ひとつは、神さまは罪とか悪いことに対して怒りを持たれ、そのことが神さまの限界を越えてしまうか?というときに、災いが来てしまうということです。そしてそのことを御使いとかアブラハムやエレミヤなど、預言者を通して前もって語るのです。もうひとつのことがあります。それは、神さまは予告無しには災いを下されない、ということです。できるなら、そうなる前に悔い改めて、災いを下さない方向へと導こうとされているのです。ですからここで言えることは、もし、御使いや働き人などを通して神さまが前もって警告していることを聞いたのなら、その声に応じていくことをおすすめいたします。そうでないときに、ソドムやゴモラのような運命を辿ってしまうことになりますので、このことはよくよく肝に銘じておきたいと思います。また、聖書の中で「滅び」とか「災い」ということばが所々出てきます。この世においてもそうかもしれませんが、しかしこれらのことばは決して良い意味合いではありませんよね?また、「滅び」は、ともすると「永遠の刑罰(火の池のさばき)」について言われている可能性もありますので、くれぐれも気を付けていきたいと思います。たかが警告、などと軽視したりすることなく、もしかすると神さまが語っているかもしれない!と思われましたら、すぐさま応じていきたいと思います。そして永遠の命、天の御国に入っていきたいと思います。

 

証と言えるか分かりませんが・・・土曜日のおすすめや礼拝の中で学びをしたときに、ソドムとゴモラが滅んでしまった理由のひとつとして挙げられるのが「同性愛」ということを理解しました。何を根拠に?と思われるかもしれません。それに関して、創世記19章5節のみことばに、「今夜おまえたちのところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼をよく知りたいのだ」とあるのですが、これってもしかすると、一部同性愛のことも言われているのでは?と思います。でも、そうは言っても、それは創世記の昔の話、今の我々には何ら関係が無い、と思われる方もいらっしゃると思います。本当にそうなら良いのですが、しかし私にはそうは思えません。なぜかと言うと、時々メッセージの中でも話をしていますように、アメリカでは同性愛の結婚が認められていたり、日本でもニューハーフとか女装とかが大いに入り込んできているからです。しかもそれはこの世の中だけでなく、教会においても、同性愛のことは徐々に入り込んできつつあるそうです。ゆえに創世記に書かれているソドムやゴモラのことは、まさに終末に再現されつつあるのでは?と思うのです。なので、もし、教会内にこのようなものを受け入れていたりするのでしたら、吟味したり一考したりする必要があるのでは?もしくはいくら立派な牧師さんや親しくしている兄弟姉妹がおられたとしても、そこから出て行ったほうが良いのでは?と私個人としては思います。そうでないときに、教会と共にさばかれてしまったり、滅んでしまったりする可能性があるからです。

 

同性愛のことはほんの一部のことではありますが、レムナントキリスト教会では、こういったことをはじめ、警告の働きを細々と行っています。神さまから「これは危ないぞ!」と示しを受けた時には、何らかの導きや方法によってキリスト教会に発信するようにしています。それは「こういうことが神によって開かれた、すごいでしょう?」ということではなく、それこそ命(永遠の命)を得ていただきたいから、ただそれだけの理由で行っております。もちろん素直に受け入れていただけることを望んではおりますが、しかしたとえ多くの人に反発されたとしても、真理を見るべき方、悔い改めて救われるべき方が一人でも多くおこされるように祈り、願い、とりなしつつ行っております。私自身も、ほんのわずかではありますが、このような尊い働きに携わらせていただいていることを心から感謝しています。これからも何らか神さまの語りかけを受けたときには、ぜひ伝えていきたいと思います。今回も大切なポイントについて語ってくださった神さまに栄光と誉れがありますように。