聖書箇所 創世記25:23

 

25:23 すると主は彼女に仰せられた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」

 

「後の世は人が継ぐ」というテーマで、みことばに沿ってみていきたいと思います。

 

冒頭のみことばの背景を少し説明します。「彼女」とは、イサクの妻リベカのことです。24節に書かれているように、リベカは双子をみごもりました。それが兄エサウと弟ヤコブのことです。「二つの国」「二つの国民」とは、たとえの意味合いとして、まさにこの二人のことを言われています。そして兄(エサウ)が、弟(ヤコブ)に仕える、ということを言っているのです。

 

一般的に、特に幼い頃に兄と弟を比較すると、兄のほうが弟よりも、力が上ですよね?それこそ取っ組み合いのケンカなんかしたら、弟のほうはコテンパンにやられてしまうと思います。これは人間的なごくごく普通の話ではありますが・・・ちなみに聖書において兄(エサウ)は御使いをあらわすたとえとして、また、弟ヤコブは人間の型として描写されています。ゆえに先ほどの人間の兄弟の関係と全く同じく、御使いのほうが人間よりも知恵、力、能力をはじめ、すべてにおいて上、ということになります。しかしそうではあっても、聖書では何と言っているか?と言うと、「兄が弟に仕える」とあるのです。「ええっ、御使いが私たちに仕えてくれるの?」と不思議に思うかもしれません。ただし御使いと言っても、良い御使いもいますし、しかし敵となる御使い、すなわちサタンもいます。前者はたしかに私たちを助けてくださいますが、しかし後者は、つまりサタンは私たちに仕えることはありません。少なくともこの世においては、そうです。でも、「兄が弟に仕える」と書いてある以上、必ずそういう時が来るのです。そしてそれはいつなのか?と言うと、このみことばが成就するのは恐らく「のちの世」においてだと思います。なぜかと言うと、この世はサタンの支配下にあり、この世が過ぎ去るまでは、ずーっと彼らの支配が続くからです。でも、今の世が過ぎ去って、キリスト統治の時代になると、立場が逆転するのです。以下、このように書かれています。

 

参照 ヘブル人への手紙2:5

2:5 神は、私たちがいま話している後の世を、御使いたちに従わせることはなさらなかったのです。

 

 

上記に、「後の世を、御使いたちに従わせることはなさらなかった」とありますように、後の世は御使いたちに支配する権威が与えられていないことが理解できます。続いて6‐8節で「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これを顧みられるのでしょう。あなたは、彼を、御使いよりも、しばらくの間、低いものとし、彼に栄光と誉れの冠を与え、万物をその足の下に従わせられました。」と言われています。「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう」とありますように、神さまは後の世を御使いではなく、人間に継がせると言っていることがここでも理解できますよね?そして「人の子が何者だというので~万物をその足の下に~」とあるのですが、「人の子」とはイエス・キリストのことを言われていまして、人間が後の世を継ぐということはある意味、イエスさまにおいて成就しました。イエスさまは神でありながら、私たちを罪から救うためにこの地上に来られ、私たちと全く同じ姿、人となって、歩みをしました。そしてさいごは罪人として十字架に付けられ、命を落としました。もちろんそのバックには悪い御使い、すなわちサタンの存在があったのですが、地上においてのイエスさまの姿はあたかも悪魔(サタン)に敗北したかのように見えました。しかし実際はそうではなく、その逆で悪魔(サタン)のわざを打ち砕くことに成功し、天に挙げられ、神さまの右に着座されました。そう、イエスさまこそサタンにみごとに勝利をして、後の世を受け継ぐことに成功したパターンなのです。

 

そして世の終わりにも、同じようなことが再現すると思います。何を申し上げたいのか?と言うと、イエスさまのような歩みをするクリスチャンにおいて、これから悪魔(サタン)のありとあらゆる試みが許されていく中で、きちんと勝利を得ていくというときに、イエスさまと同じく、悪魔(サタン)のわざを打ち砕くことが実現するのです。迫害、逮捕、投獄、殉教と、人間的には苦難の連続のように思われるのですが、しかしきちんとクリアしていくなら、後の世において勝利の栄冠を得られるのです。そしてその時に御使いと立場が逆転するのです。けれども、エサウ、つまり悪い御使いのように俗悪なクリスチャン、サタンの思惑を行ってしまうクリスチャンで生涯を終えてしまうというときに、この地上では苦難を受けなくとも、それどころか人に苦難を与える立場に回ってしまってキリストにある苦難をしないというのなら、恐らく後の世を受け継ぐことはないかと思います。この世でいくら優位であっても、悪い意味合いで後の世に逆転される可能性があるので要注意であります。

 

繰り返しますが、この地上においてはサタンのような歩みをするクリスチャンが有利な立場かもしれません。しかし後の世においては、立場が完全に逆になる、ということを念頭に置いて歩んでいくことに御心があります。たしかに兄と弟の関係を普通に考えれば、兄のほうが断然優勢に見えるのですが、しかしそれはこの世のことだけであります。御使いと人間との関係も同じです。しかし、御使い(サタン)は神さまの御心を行わないので、そればかりではなく、悪いことばかりしているので御国を受け継ぐことはありません。いくら「兄」の立場にいたとしても、です。たとえばある二人のサッカーをする男の子、A君とB君がいます。A君は幼少期の頃からずっとサッカーを習っていました。一方B君は中学生になってはじめてサッカーをすることになりました。その時からA君とB君は一緒のチームで練習をすることになりました。時が経って、部活の顧問の教師がどちらかをメンバーにすることにしました。両者の動きを見て、B君を選びました。そのことを不満に思ったのかA君は「なぜ、僕は選ばれなかったのでしょうか?B君よりもサッカー歴は長いのですよ。」と顧問に訴えました。それを聞いた顧問の教師は「たしかにそれは事実だ。二人ともドリブルがうまいのは分かっている。しかしね、B君はそれだけでなく、パスもトラップもできている、残念だが君よりもレベルが高いから彼を選んだ」と答えました。

 

御使いも私たちより寿命が長く、力も上です。でも、神さまの御心を行わないというときに、いくらこの世に長くいるとはいえ、神さまには認められないのです。サタンはいわば堕天使なので、後の世を受け継ぐ基準に達していない、と見なされてしまい、そのお鉢が人間に回ってきた、ということなのでしょう。もちろんそれはきちんと神さまの御心に歩んでいく、ということが前提ではありますが・・・そして重ねて申し上げますが、逆転はこの世においてではなく、後の世ですので、そのあたりは勘違いすることのないように気を付けていきたいと思います。この世の主権は「御使い」(サタン)ということはわきまえて、しかしそれでもなおかつ御心を行って御国を受け継ぐにふさわしいと神さまから見なされていきたいと思います。