Ⅰコリント人への手紙4章 2011.6.26, 7.3

 

聖書は、たとえや謎で書かれている、そのこと(奥義)をみていくときにポイントがある

参照 マルコ4:33,34「イエスは、このように多くのたとえで、彼らの聞く力に応じて、みことばを話された。たとえによらないで話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解き明かされた。」

 

4:1 こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。

4:2 このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。

4:3 しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。

●「神の奥義の管理者」について

奥義:聖書の教えには、明らかに「奥義」(ヘブル語:堅い食物)と言われることがある

奥義の反対語:初歩の教え(柔らかい食物、乳、ミルク)

「奥義」に関して明確な区分を神は与えている

今のキリスト教界の現状は、初歩的な教えばかりを強調している、このことは、曲がっているとも言える

しかし、そういう教会が多いので奥義を語っていることが、異端と言われたり、カルト呼ばわりされたりする

神の奥義とは、特別な教え

初歩の教え Ex:死人の復活、罪の赦し等

毎回のように、初心者の教えが多くの教会で語られ、何十年とクリスチャンとして歩んでいる人が、そのようなことばかり、聞かされているのがキリスト教界における実情

しかし、このことは永遠の命に関係する大切なことであることを正しく理解する

 

参照 Ⅰコリント2:7,8

2:7 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。

2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

 

ここでも、奥義のことについて繰り返し語られている

この世の支配者:宗教界の指導者(大祭司、パリサイ人、律法学者等)

これらの人たち (大祭司、パリサイ人、律法学者等)は奥義を悟らなかった

Ex:ナザレのイエスが真の救い主であることを普通に聖書を読んでいたにも拘わらず、理解できず、十字架につけてしまった、そして、結果として滅んでしまった

ゆえに、初歩の教えにとどまり、奥義を理解しない人は、裁き、滅びに入ると言われている

そして、初歩の教えのみしか言わない人は、このような事柄が今の終末にも再現する

つまり、キリストが再度十字架につけられることが世の終わりにおいても再現する

キリストを十字架につける=奥義を理解しないことの再現

ゆえに、奥義を理解しないことは、永遠の命に直結すると、言えるのではないか?!

 

●神は、必要な啓示や奥義を誰に語るのか?

奥義は管理者に語られる

パウロは奥義を語る管理者となって、受けた奥義をローマやコリントやガラテヤ等の教会で伝えた

神はある特定の管理者を選ぶ=すべての人(クリスチャン)に奥義を示すわけではない

神が選んだ管理者にあらゆる啓示や奥義を示してくださり、任せる

このことは、今の時代にも通じること

(終末)も沢山の啓示を管理者に与える

Ex:獣の国がアメリカであること、クリスチャンが艱難時代を通ること等

このことは聖書のパターンで、かつてのパウロの時代のことが再現する

ある特定の教会や群れに特選の器が出てくる

神が選び、その人たちに啓示を与えられる

パウロはあらゆる啓示が与えられたから、あらゆる書簡を書いた

神が選んだその人(教会)だけに啓示が与えられる

あらゆる啓示が示される 

Ex:日本がユダ族の獅子であること、3月に起きた地震、津波、原発を通して語られていること

これが神の方法

 

●管理者の仕事

「忠実さ」が求められる→実践すると結構大変

パウロは忠実に奉仕をした→ユダヤ人の教会とかで語った

その結果、受け入れる人がいた

しかし、一方では、反対したり、批難したり、裁判に訴えたりする人もいた

でも、パウロは引かずに奥義を忠実に語った

         「忠実」とは、こういうこと

神様はパウロが引かないことを御存知だったので、彼を選んだ

終末の特選の器も同様に、「忠実さ」が求められる

Ex:ニュースレターを毎月発行する、セミナーを2ヶ月に1度開催する、インターネットの働き、音声礼拝のアップ、本の出版等

しかし、このような働きを忠実に行っていくときに、あるいは、本当に神の奥義なら、必ず反対者が出てくる

あらゆる妨害も出てくる、しかし、それに引いてしまったらダメ

とにかく、忠実に行う

そして、これからは忠実さが試される

これからパウロのような色々な試しがくる

 

●悪い評判が立つ

パウロは神から多くの啓示を受けた

しかし正しい啓示を受ければ受けるほど、悪評が立った

決して評判は良くならない

しかし、気にしてはいけない、事実、パウロもそのことを気にしなかった

そういったことを覚悟するのか?それでも、やっていくのか?が、問われる

3節に書かれている「しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。」の御言葉は、非常に暗示的なこと

判決とは、「裁判」を意味する、つまり、「裁判にかけられる」と言っている

そういうことも管理者に起きてくる

そのような時でも忠実にとどまるのかどうか?

本当に忠実な奉仕をしていくときに、人からの評価に一喜一憂してはいけない

「あなたがたによる判定」について

このことに関して、コリントの手紙で、何かを神は語り、位置づけている

参照 Ⅰコリント3:1

3:1 さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。

 

これが、聖書的な位置づけ

「肉的なクリスチャン、キリストにある幼子に対して、神の管理者はどのような扱いをされるのか?」ということについての預言が書かれている

肉的なクリスチャンは奥義を受け入れない、ゆえに、奥義を語る管理者の評判は悪くなると言っている

 

4:4 私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。

肉的な人々によって、訴えられる

 

4:5 ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。

人間的な評価や裁きが大いに起こり得る

 

4:6 さて、兄弟たち。以上、私は、私自身とアポロに当てはめて、あなたがたのために言って来ました。それは、あなたがたが、私たちの例によって、「書かれていることを越えない。」ことを学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して高慢にならないためです。

4:7 いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。

肉的なクリスチャンは誇りやすい

キリスト教界の分裂分派は、肉的なクリスチャンによって起こされる

 

4:8 あなたがたは、もう満ち足りています。もう豊かになっています。私たち抜きで、王さまになっています。いっそのこと、あなたがたがほんとうに王さまになっていたらよかったのです。そうすれば、私たちも、あなたがたといっしょに王になれたでしょうに。

コリントの人は王様になっている

肉的なクリスチャンは王になる

名目はともあれ、現実は霊的な意味合いにおいて、教会の王になる

実際にキリスト教界に起きる

真の王はキリストにも拘わらず、肉的なクリスチャンが教会の王となってしまう

 

参照 黙示録16:13,14

16:13 また、私は竜の口と、獣の口と、にせ預言者の口とから、かえるのような汚れた霊どもが三つ出て来るのを見た。

16:14 彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。

 

全世界の王たちとは、キリスト教界の王のことを指す

このことは、終末に再現する

キリストを押しのけて、神の御心と違う働きに入っていく

キリストをさしおいて、人が主となる、しかし、このことは神から裁きが下される

このことは肉的なクリスチャンに成就する

これが霊的な実態

神がそのように見なしたら、実際にそうなっていく

つまり、建前ではなく、実態が問題

今のキリスト教界が、盲目となっているのは、自分たちが王になり、奥義を理解しないから

しかし、本当にキリストを王としているなら、キリストの声が聞こえてくる

 

 

4:9 私は、こう思います。神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして引き出されました。こうして私たちは、御使いにも人々にも、この世の見せ物になったのです。

パウロは諸教会においても、あらゆる書簡を通してもメッセージを語った器、ゆえに、キリスト教界の功労者とも言える、にも、拘わらず、この当時、ひどい目(死罪)に遭っている

 

4:10 私たちはキリストのために愚かな者ですが、あなたがたはキリストにあって賢い者です。私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あなたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。

卑しめられている

肉的なクリスチャン(訳の分からない神学によって知的になっている人等)と霊的な王の対比について

肉的なクリスチャンが教会をばっこする時に9節のようなことが黙示録の時代に起きてくる

正しい人が見せ物になっている→黙示録の時代のハルマゲドンの戦い

ハルマゲドンの戦い:肉的なクリスチャンが霊的な正しいクリスチャンに戦いをいどむこと

しかし、霊的or肉的か?このことは永遠の命に直結する

 

4:11 今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。

4:12 また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、

4:13 ののしられるときには、慰めのことばをかけます。今でも、私たちはこの世のちり、あらゆるもののかすです。

虐待は現実に起きたこと

それは、パウロが悪かったからではない

パウロが生まれた時代が悪かった

旧約聖書の終わり、つまり、堕落した最下端にパウロはいた

ゆえに、正しいことを語っていたにも拘わらず、ひどい扱いに入っていった

このことは、新約の世の終わりにも再現する

 

参照 黙示録11:8,9

11:8 彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。

11:9 もろもろの民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめていて、その死体を墓に納めることを許さない。正しく御言葉を伝える人は死罪とされる

 

終末は義と不義が逆転する時代

ゆえに、正しい人が「ちり、あく、かす」と言われる

しかし、そのことを神学校では言わない

パウロのように、主の御言葉を用い、正しく主の働きに携わるときに、正しければ正しいほど、卑しめられたり虐待されたり辱められたりする可能性がある

まやかしの教理がキリスト教界に溢れている Ex:艱難前携挙説

惑わし、目くらましの教理が世界のキリスト教に広まっている→しかし、このことは、永遠の命が危ないことを正しく理解する

今、正しく備える人が、艱難時代に正しい対応ができる

アメリカを主導に正しいクリスチャンを迫害するムーブメント、トレンド、風潮が起きている

Ex:正しいクリスチャンを病原菌扱いする、正しく語らない教会は税の優遇処置がなされる

 

4:14 私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。

4:15 たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。

キリストにあって、パウロを生んだ

 

4:16 ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。

パウロはコリントの人たちにたいしておすすめをしている→信仰の成長のため

他の信者に対して、私の真似をしろ!と、言っている

このことは、キリストに従っていく人の成長を促すためのポイント

確かにパウロはメッセンジャーだった、しかし、きちんと実践もしていった

ゆえに、メッセージを語るだけではなく、行いも大事!→このことはある意味24時間

私たち自身の歩みも大いに問われる

日曜日だけの奉仕ではない

模範となる教師やクリスチャンがいる

真似をしていくときに、信者が育っていく

歩みが大いに関係する、責任がある

正しく歩むなら正しいクリスチャンが生まれる

変な方向にいくなら、とんでもないクリスチャンが出来てくる

 

4:17 そのために、私はあなたがたのところへテモテを送りました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。

自分が行けなくても、信徒の子どもであるテモテを送った

霊的な子どもを作っていく

きちんと育てば、テモテのように働きを担っていく→教会で、子育てがポイント

忠実な歩みをしていく人に大きなポイントがある

忠実な人が伸びる、実を見る、主に用いられる

忠実とは、毎日続けてやめないこと Ex:祈り、聖書通読、預言の訓練等

そういったことを引かずに行っていく

そうすると、テモテのようにパウロの代わりに働きを担っていく

不忠実だと、ずっこけてしまう

 

4:18 私があなたがたのところへ行くことはあるまいと、思い上がっている人たちがいます。

4:19 しかし、主のみこころであれば、すぐにもあなたがたのところへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。

4:20 神の国はことばにはなく、力にあるのです。

4:21 あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。

愛と優しい心にポイントがある