Ⅰコリント人への手紙2章 2011.5.29,6.5

 

2:1 さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。

2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。

メッセージの方向性に関してのこと

うまい比喩、ユーモア、弁舌は用いない(メッセージを語るときにうまく話す話術は用いない)

キリストが十字架にかかって死んだ理由

○罪が赦されるため

○生まれつきの肉(能力、性質的に良いものであっても)を十字架につけるため

すべてのものが十字架につけられるように徹底する→今の時代クリスチャンが経験すべきこと

そうでないと十字架が空しくなり別のものを掴んでしまうことになる

十字架を日々負って死を適用する

一つ一つのことを主に頼る

話すとき、決断するときに十字架を適用する

生まれつきの性質、能力をすべて十字架につける

 

2:3 あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。

人間的に弱いことは感謝→主を頼るきっかけになる

 

2:4 そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。

2種類のメッセージの方法がある

○説得力のある人間的な知恵やユーモアを用いる→NG

○御霊と御力のあらわれ:望ましいメッセージ→そのためには祈ること!!祈らないと御霊と御力はあらわされない

 

2:5 それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。

4節に書かれている2種類は、どちらもメッセージ、しかし聞いている人の結果は異なる

前者の人間的な知恵によるメッセージで育った人→人間の知恵に満ちた信者しか育たない、力を得ない、聖書の大事な意味合いが分からなくなってしまう

何を受けるかによって変わってくる

後者の神の力によるメッセージ→信仰がたてあげられる、神の力に支えられ神の御業を見る

 

2:6 しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。

参照 ヘブル人への手紙 乳を必要とする:柔らかい食物を食べる

成人の間で知恵を語る:堅い食物に通じること→たとえの意味合いや御言葉の奥義に通じる

 

2:7 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。

2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

(世々にわたって)隠された知恵があることを聖書は言っている

隠されたもの Ex:イエス様の時代においては、メシア来臨の奥義や意味合いが分からなかった

人間的なものしか見ていない人がイエスを十字架につけた

しかしペテロをはじめ12弟子は正しく理解した

この世の支配者たち:宗教的な指導者のこと、なぜなら十字架につけたのはパリサイ人や律法学者や祭司たちであったから

キリストの来臨を彼らは悟ることをしなかった

だからメシア殺しに加担してしまった→盲目にされるというのは恐ろしいこと

この世の知恵を用いて聖書を理解している人は知恵を悟らない

このようにあってはならないこと(十字架殺し)が世の終わりに再現する

教会はこの世化している→エジプトはこの世の象徴 参照 黙示録:ソドム、エジプト

隠された奥義や知恵を悟らないために再度十字架につけられることが再現する

しかし神様は奥義を御心の教会に示されている

この世の方法を用いている教会や牧師は悟らない

今の時代における隠された奥義:獣の国がアメリカであること、日本がユダ族の獅子であること

逆に奥義を示されたり理解している人は異端扱いをされる

しかし恐れることはない→聖書に書かれている通りのことだから

隠されている奥義が示されているのは聖書的、光栄なこと

しかし、悟らない人が多い

奥義を示されている人は少ない、滅多に示されない

聖書は正しく歩んでいなければ分からない奥義がある

この世の支配者→宗教界を指導していた人(パリサイ人、律法学者)

聖書に隠された奥義がある Ex:キリストはよみがえる→これは旧約には書かれていなかったので奥義を理解しなかった→このことはゲヘナに行くか、行かないか、それは奥義を悟るかどうかで決まること

イエス・キリストは奥義の歩みをした

終末にこのことは再現する

奥義を理解しない人たちは再臨を正しく迎えられずに失敗してしまう

 

2:9 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」

思いもよらなかったことを神はされる

奥義を理解することに真剣にならなければいけない→永遠の命の生死に直結してしまうことだから

クリスチャンのよりわけのために奥義、方法を用いる

啓示を解き、語る→教会の奉仕

正しく歩まない人は啓示・奥義を悟らない

歩みが正しくないとひっくり返される

心に思い浮かんだもの Ex:聖書の暗号

しかし見る人のために奥義を示される

 

2:10 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。

たとえの意味合い、御言葉の奥義は御霊によって示されるので祈ることが大事

御霊の啓示を求めていくときに隠されていることが示されていく

御霊に導かれるなら啓示が与えられる

 

2:11 いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。

2:12 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。

神の霊が人を導く→聖霊が私たちに与えられた

御霊に導かれる人は神の思いを理解し、啓示を理解する

神の霊を求めるなら神と同じ霊が下り、導いていただける

聖霊に導かれることが大切

御言葉と違うことを行うならとんでもない結論に至ってしまう

 

2:13 この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。

説明をするときに、御霊が導く方法がある

 

2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。

クリスチャン、聖書学者といっても、生まれつきの性質しか持っていない人がいる→人間の知恵にすぎないものは御霊からのものを理解できない

どのように聖霊によって理解しているかが問題

理屈や知識ではない

生まれつきの人と御霊に導かれる人との間に論争やぶつかり合いが出てくる

肉的にしか考えていない人はキリストから去っていく

 

2:15 御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。

前半「御霊を受けている人はすべてのことをわきまえます」

御霊を受けたている人はすべてを理解する

嘘、偽りを見抜く

Ex:イエス様のデナリの話(カイザルの)、ユダが裏切ること

後半「自分はだれによってもわきまえられません」

しかし他の人(御霊に導かれていない人)からは理解されない

イエス様のことを理解しない

Ex:イエス様が怒ってムチで縄を作って追い出したこと、ペテロが「あなたが十字架にかけられることがない」と言ったことで叱責されたこと

本当に御霊に導かれることは理解されないことが多い→誤解されることばかり

人から理解されないということを正しく理解する

誰からも理解されない可能性がある

 

2:16 いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。

神様の御心が分からない

しかし私たちが御霊に導かれるなら聖霊によって理解する

Ex:ムチで縄を作ったり、ピネハスが神のねたみを自分のねたみとしたこと等

キリストのやっていることが分からない場合、もっと御霊に導かれるように祈る必要がある