Ⅰコリント人への手紙13章 2011.12.4

 

13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

愛が尊いこと

愛が無くても賜物がある場合がある

:神やキリストの愛、隣人を愛する愛

賜物を持っていても愛が無いということがある、愛を追い求めていきたい

 

13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。

13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

これは本当のこと

愛することに関して我慢して耐えることがある

主に従っていくときに耐えることや我慢することが赦される場合がある

御言葉に忠実になるときに、人からの批難・中傷等に耐えるかどうかの選択がある

すべてを犠牲にしても御言葉にとどまるかどうか?!

御言葉にとどまるなら主が道を開いてくださる、御言葉に期待して信じるなら報われる

キリストへの愛・奉仕に忠実なことにポイントがある

 

13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

愛は決して絶えることがありません(kjv):愛は失敗することが無い

預言や知識や異言は失敗することがある

人の知識は完璧にいかない

今の世においての知識は不完全であったり失敗したりすることがある

知識において多少の失敗はあるし、それは神に赦されることでもある

どんな器もどこか間違える

なので、失敗をせめて最小限度にとどめることを目指していきたい

主の憐れみによって正しい知識を教えていただき、何とか掴んでいきたい

預言も失敗する可能性がある

預言や知識の賜物は間違える

しかし愛は失敗することが無い

 

13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。

13:10 完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。

今の肉体において預言することや知識は一部分

大事なことの一部分を、預言を通して知る

賜物は制限がある

不完全な知識の中で忠実に歩んでいく

だからあまり人のことは言わないほうがいい、そうでないと、自分も言われてしまう

 

13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。

知識とか預言のことを言っている

当たることも当たらないこともある

間違えもある

必要な知識や預言を求めていきたい

 

13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

その時:後の日

その時には完全に理解する

慌てて全ての知識を求めようとしなくてもいい

今の時代の制限の中で忠実に仕えていく

私たちが知っているのは一部分、しかし、私たちは神に完全に知られているので心配する必要は無い

 

13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

いつまでも残るものは信仰と希望と愛です(kjv):信仰と希望と愛に忠実にとどまり続けなさい

知識に固執し続けるのではなく、貫かなければいけないのは信仰と希望と愛

とどまり続けるか否かによって結果が変わってくる

とどまり続けていくことによって実を見ていく Ex:ニュースレター

わざわざ、このように言っているということは、とどまり続けない人が多いから

途中で投げ出したりやめるのはNG