Ⅰテモテへの手紙1(820) 2013.10.13

 

1:8 しかし私たちは知っています。律法は、もし次のことを知っていて正しく用いるならば、良いものです。

1:9 すなわち、律法は、正しい人のためにあるのではなく、律法を無視する不従順な者、不敬虔な罪人、汚らわしい俗物、父や母を殺す者、人を殺す者、

1:10 不品行な者、男色をする者、人を誘拐する者、うそをつく者、偽証をする者などのため、またそのほか健全な教えにそむく事のためにあるのです。

旧約に律法が書かれている

同じように新約にも律法はある

律法の位置&意味合いについて

律法は正しい人のためでなく、守らない人のためにある

Ex:法律、交通法規も同様

正しいことをしている時は、律法は関係ない

悪いことをすると関係してくる→良いことだけを行っていく

律法で裁かれないような歩みをする

表の面&たとえの面の二重の意味合いで適用されないように!

主の憐れみによって律法を守れるように祈り求めていきたい

主の言われた正しい教えから外れてしまったり、背いてしまったり、それてしまったりするときに、この律法が俄然と意味を成し、災いとなり、悪い意味合いで報いを受けてしまう

これはクリスチャンに対する警告(聖書の律法を読むのはクリスチャンなので)

健全な教えに背くことの一例として、「艱難前携挙説、レフトビハインド」等が挙げられる

こういったことを提唱する時に、災いを受ける

参照 ゼカリヤ書5:14

5:1 私が再び目を上げて見ると、なんと、巻き物が飛んでいた。

5:2 彼は私に言った。「何を見ているのか。」私は答えた。「飛んでいる巻き物を見ています。その長さは二十キュビト、その幅は十キュビトです。」

5:3 すると彼は、私に言った。「これは、全地の面に出て行くのろいだ。盗む者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれ、また、偽って誓う者はだれでも、これに照らし合わせて取り除かれる。」

5:4 「わたしが、それを出て行かせる。――万軍の主の御告げ。――それは、盗人の家にはいり、また、わたしの名を使って偽りの誓いを立てる者の家にはいり、その家の真中にとどまり、その家を梁と石とともに絶ち滅ぼす。」

巻物:聖書

3節で「巻物」が災いを及ぼすと言っている→律法のことばが呪いとなる

盗む:神のことばを盗む 

Ex:カトリックは、「神はあまりにも愛だから、人を地獄に入れることはできない、地獄はそれぞれの人の心の中にあり、実在しない」と言っている、しかしこれは災いになる

4:(教会)が崩壊するぞ!と語っている→実際の建物はいざ知らず、教会の秩序&仕組みのことを言っている

Ex:日○は、戦前キリストを否定した、そして戦後、色々と問題が起きた

こういうことは教会だけではなく、個人においても同じ→神のことばに逆らっていると、信仰が崩壊する

 

1:11 祝福に満ちた神の、栄光の福音によれば、こうなのであって、私はその福音をゆだねられたのです。

1:12 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。

私はその福音をゆだねられた(KJV):私を忠実な者と認め、務めに任じた

主の働きを担ったり、任じられたりするのは光栄なこと

しかし、まず、神はその人を忠実な者かどうかを判断して、忠実と認めたら任じる

この順番を理解する

神はお一人一人の歩みや働きを見ている

神の前に忠実に歩んでいくときに認められる

人からも認められるに越したことはないが、しかし神に認められることが光栄

たしかに人も人を見ている、しかし神はそれ以上に見ている

そしてパウロが天からの召しに従って神の働きを全うしたように、そういったことが私たちにもある

しかし、まず、忠実なことが大事

忠実に歩むようになって、務めに任じられる→この順番は大事なので尊重する

ここでのポイント:神ご自身が任じられるので、神に認められるのが大事、そしてこのことは永遠に残る働きとなる

 

1:13 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。

1:14 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。

パウロも以前、律法を無視していた

本当はパウロにも罰が来るはずだった

でも、知らないでしたことなので、憐れみを受けた

しかし、知っているのなら、憐れみを受けづらいので、気をつけていきたい

 

1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。

罪のあるまま主の前に出て、きよめていただく

主は罪を赦すために来られた

罪や問題から救うために来られた

 

1:16 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。

忍耐を尽くし、主はパウロを救いに導いた

主はパウロのことを、忍耐をもって対応し、悔い改めへと導いた

私たちも必要に応じて、忍耐をもって対応する、そして祈る

パウロは自分が「見本」だと言っている

パウロは主によって「見本」として立たされた→永遠の命を得るための「見本」として

永遠の命を得るというのは、まかり間違えても、やりたい放題やっていて、得るとは言っていない

この世のスポーツアスリートは、金メダルを獲得した人を模範として訓練に励んで金メダルを目指すように、私たちクリスチャンも永遠の命を獲得するために、模範となる人に目を留める

永遠の命を得るための模範がある

そして模範通りにしていったほうがよい、もし、そうしないなら、ゲットできない可能性がある

永遠の命ゲットは難しい

しかしパウロのような歩みをしていくなら、間違いはない

参考までにパウロの歩みとは?→愛&寛容を尽くす、迫害する者のためにも祈る、忠実な歩み等

そして主の働きに忠実だった

「見本」と書いてあるので、パウロを模範にしていきたい

 

1:17 どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。

目に見えない唯一の神(KJV):唯一知恵のある神

世の中には知恵のある人は沢山いる

しかし聖書は、「唯一知恵があるのは神ご自身」だと言っている

本当に知恵があるのは神ご自身のみ→このことを尊重する

神がされることがベスト

神の知恵は人間の知恵を超えている

人間の知恵は狭い範囲、そして時代が過ぎたら通用しないこともある

理不尽なことを言われたり、されたりしても、神がされることが正しい、これは神の知恵

神の導かれる知恵は、人の知恵に優ったもの

 

1:18 私の子テモテよ。以前あなたについてなされた預言に従って、私はあなたにこの命令をゆだねます。それは、あなたがあの預言によって、信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜くためです。

預言は大事

預言を通して語られたことは大いに意味がある

預言を求めることは大事

 

1:19 ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。

1:20 その中には、ヒメナオとアレキサンデルがいます。私は、彼らをサタンに引き渡しました。それは、神をけがしてはならないことを、彼らに学ばせるためです。

クリスチャンとして歩んでいても、正しい良心を捨てると、その報いを刈り取ることになり、御国に入れなくなる

サタンに引き渡しました:歩み方次第で、御国に入れなくなる

それぞれの自己責任によって、ゴールが変わる

ある人は命に至る、しかしみことばに「滅びに至る門は大きく、その道は広い。そこから入っていく人が多い」とあるように、滅ぶ人も多い

正しく永遠の命をゲットする