Ⅰテモテへの手紙3(17) 2013.11.3

 

3:1 「人がもし監督の職につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである。」ということばは真実です。

3:2 ですから、監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、

監督の教会での役目について

参照 使徒20:28

20:28 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。

エペソの長老たちに対して語られたことば

教会を牧する人が監督

神は教会に対して監督という職を与える

子ども(霊の子ども=信者)を従わせる

教会は無秩序で、上下関係が無いわけではない→権威に従う

権威の下で牧会をし、保っていく

みことばに従っていくときに、恵みに入り、入るべきところに入る

群れの牧会&監督によって教会が守られる、そしてそれを神が目指している

聖書の方法を尊重していくことに大いにポイントがある

男性は監督(牧師)になれるよう、求める

監督の下の立場:神の定めた方法を尊重していくときに恵みがある

従わないときに、おかしな方向へ行ってしまう

監督は必要に応じて信者を従わせたり、注意を与える

参照 使徒20:26,27

20:26 ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。

20:27 私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。

正しくみことばが語られることと、受けることは、また、別

語るけど、その通りに実行するかどうかは分からない

正しく語っても、皆が聞くかは別

正しく行うなら恵みに入り、行わないなら裁きを招く

聞くのは1つのこと、しかし行うのは別、行ってなんぼ

黙示録によれば、エペソは7つの教会の最初の教会→教会時代の預言

現実に起きる未来についてパウロは語っている

参照 使徒20:29

20:29 私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。

これから起きる教会の歴史を暗示している

訳の分からない教理を教会に入れてくる、そういう時代に我々はいる

Ex:マリヤ礼拝

参照 使徒20:30

20:30 あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。

教会は内から外からどんどん変質、変形してしまう

これが教会の客観的な姿

参照 使徒20:32

20:32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。

教会の人、監督でさえ、惑わされたり、違うことを言うかもしれない

しかし唯一変わらないみことばに目を留める

正しくみことばに立つなら、みことばによって育成される→御国を受け継げる

今の多くの問題点:多くのクリスチャンがみことばを行わなくなった

Ex:カトリック→みことばを無視している、プロテスタント→艱難前携挙説を推進⇒いずれも滅びる

参照 使徒20:34,35

20:34 あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。

20:35 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

パウロのように仕事をしながら牧師はできる

監督や牧師や教会の奉仕に関して:『受けるよりも与えるほうが幸いである。』→このことに徹底しなかったらやってられない、つまり損得を考えたらダメ

このことを尊重していくときに恵みがある

時間、お金、エネルギーを捧げていく、これに徹底していくときに、霊的に大いに恵みを受ける

みことばを守り、実践していくことに大いに恵みがある

 

3:3 酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、

:たとえの意味合いもある、霊的なことのたとえ

酒飲みでなく(KJV):酒に渡されたりしない→霊に引きずり回されない

これは奉仕や牧会に携わっていくときに大事なこと→教会全体が引っ張られてしまうから

Ex:艱難前携挙説を唱えるときに信者全体にその教えが浸透してしまう

それぞれの惑わしに霊がある

霊に渡されてしまうことのないように、祈りが大事

聖霊に触れて奉仕をする→正しい道に行く

 

3:4 自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。

3:5 ――自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。――

実際的に子どもをしつけられないなら、問題

言うことを聞かない信者にちゃんと対応する

 

3:6 また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。

これも大事

 

3:7 また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。

外の人からも評判の良い人

 

3:8 執事もまたこういう人でなければなりません。謹厳で、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利をむさぼらず、

3:9 きよい良心をもって信仰の奥義を保っている人です。

3:10 まず審査を受けさせなさい。そして、非難される点がなければ、執事の職につかせなさい。

3:11 婦人執事も、威厳があり、悪口を言わず、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません。

3:12 執事は、ひとりの妻の夫であって、子どもと家庭をよく治める人でなければなりません。

3:13 というのは、執事の務めをりっぱに果たした人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について強い確信を持つことができるからです。

3:14 私は、近いうちにあなたのところに行きたいと思いながらも、この手紙を書いています。

3:15 それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。

3:16 確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」