Ⅰテモテへの手紙5(1125) 2013.12.8

 

5:11 若いやもめは断わりなさい。というのは、彼女たちは、キリストにそむいて情欲に引かれると、結婚したがり、

5:12 初めの誓いを捨てたという非難を受けることになるからです。

やもめ→結婚の一形態、また、結婚の奥義について言われている、そしてエペソ人への手紙に書かれているように、結婚の奥義は重大

参照 エペソ人への手紙5:3032

5:30 私たちはキリストのからだの部分だからです。

5:31 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」

5:32 この奥義は偉大(重大)です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。

また、「やもめ」ということに関して、16節に書かれているように、「ほんとうのやもめ」と、そうでないやもめがいる

12節で言われているのは、非難を受けるやもめ

そして15節では、天の御国に入れないやもめについて書かれている

「やもめ」に関してバリエーションがあり、2つの区分がある

ほんとうのやもめ→数えられる、すなわち天の御国に入る

ちなみに「やもめ」とは、元々夫がいた、しかし、今はいない、このことはクリスチャンにおいても同じ、かつて未信者であったがキリストを信じてクリスチャンになった、が、しかし、夫であるキリストは地上にはいない、そしてこのことは、後の日に再臨される主に真実かどうか?夫であるキリストは、今は目には見えないけれど、しかし忠実に仕えているかどうか?が問われる

キリストにそむいて情欲に引かれると、結婚したがり:本当の意味でキリストについているのではなく、別の霊に引かれていく、このことは別の結婚への思いや情欲がクリスチャンにくるということを語っている

Ex:キリストよりもローマ法皇の言うことを一番にする、マリヤ崇拝→これらは「別のものと結婚」することに通じる

こういう類いの惑わしが、結構クリスチャンにくる

色々な欲を通して、別のものに引っ張っていくというものがある

Ex:パーパス・ドリブン・チャーチ:目的主導型→目的のためには手段を選ばない

教会に人を集めることが目的になっている

情欲に引かれて結婚していくパターン、ゆえにクリスチャンと無縁ではない

色々な形でバリエーションがある

クリスチャンでも、自分の欲に引っ張られることがある

隠れた欲望があるときに・・・このことは、教会選びに関係する

自分の思いが優先するときに、キリストから離れてしまう

ゆえにこのことばは、私たちと無縁ではない

初めの誓い:信仰

非難を受ける:人前もそうかもしれない、しかし、キリストによって非難を受けてしまう

建前はともかく、本当の本音で情欲に引かれるということがあるので気を付ける

 

5:13 そのうえ、怠けて、家々を遊び歩くことを覚え、ただ怠けるだけでなく、うわさ話やおせっかいをして、話してはいけないことまで話します。

悪いパターン、これもキリストに受け入れられないやもめのパターン

 

5:14 ですから、私が願うのは、若いやもめは結婚し、子どもを産み、家庭を治め、反対者にそしる機会を与えないことです。

5:15 というのは、すでに、道を踏みはずし、サタンのあとについて行った者があるからです。

「若いやもめ」には、このように勧めている

キリストとの結婚関係を保ち、子ども(霊の子ども)を産む

本当のやもめの地位から外されるクリスチャンや教会がある

教会と言っても、どこでも良いわけではない

 

5:16 もし信者である婦人の身内にやもめがいたら、その人がそのやもめを助け、教会には負担をかけないようにしなさい。そうすれば、教会はほんとうのやもめを助けることができます。

「ほんとうのやもめ」を助ける

 

5:17 よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。

5:18 聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない。」また、「働き手が報酬を受けることは当然である。」と言われているからです。

5:19 長老に対する訴えは、ふたりか三人の証人がなければ、受理してはいけません。

長老:牧師

牧師は、二重の尊敬に受けるにふさわしい

19節:牧師に対してまったく訴えていけないわけではない、しかし、一人の場合は受理してはダメふたりか三人の証人でないとダメ

そして牧師にはある程度の尊敬を与える

18節:そのような奉仕をしている人が報酬を受けるのは当然

17:くつこを掛ける(原語):沈黙させる、しゃべらせないようにさせる

牧師に対して、なんでもかんでも非難する人がいる、そして結果として牧師を沈黙させてしまうメッセンジャーの口をふさぐのは、NG!!

 

5:20 罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。ほかの人をも恐れさせるためです。

これは聖書のパターン

Ex1:アカンの罪:バビロンの外套を天幕に隠していた、結果としてイスラエルは戦いに負けた、そしてアカンの罪は皆の前で暴かれた

Ex2:コラとその仲間たちは、モーセやアロンを非難したため、皆の前で滅んでしまった

罪を犯している人の見せしめは大事、それは我が身を振り返り、罪をとどめるため

罪が二度と起きないために言ったほうが良い、そしてそれは一人一人にとって益になる

 

5:21 私は、神とキリスト・イエスと選ばれた御使いたちとの前で、あなたにおごそかに命じます。これらのことを偏見なしに守り、何事もかたよらないで行ないなさい。

偏見なしに守り:人を偏って見てはダメ

「何事もかたよらないで行ないなさい」のことばにもポイントがある

キリスト教会で言われている異端の教えは、聖書のことばに基づいてなされる

キリスト教会の1つの問題:あることを大きくし、おかしな教えになる

一部だけを強調しないこと!

Ex:今は「神の愛」を異常に強調する時代、そしてローマ法皇は「神は愛だから、人を地獄に落とさない」と言っている

ここがキリスト教の大きなポイントになる、このあたりからおかしな教えが出る

だから気を付けなさいとパウロは言っている

「異端」とは、1つのことだけを極端に言うこと

 

5:22 また、だれにでも軽々しく按手をしてはいけません。また、他人の罪にかかわりを持ってはいけません。自分を清く保ちなさい。

5:23 これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のためにも、少量のぶどう酒を用いなさい。

「按主」は軽々しくしてはダメ

他人の罪にかかわりを持ってはいけません:罪の仲間に入らないようにする

 

5:24 ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。

人が分かっている罪もあるし、あとで明らかになる罪もある

 

5:25 同じように、良い行ないは、だれの目にも明らかですが、そうでないばあいでも、いつまでも隠れたままでいることはありません。

人の目に良いことがある

でも、ひっそりと良い行いをしていることに(Ex:他の人のためのとりなし等)においても、いつまでも隠れたままでいることはない

ゆえに何事も気を落とさずにやっていきたい