Ⅰ歴代誌13

 

13:1 ここに、ダビデは千人隊の長、百人隊の長たち、すべての隊長と合議し、

13:2 イスラエルの全集団に向かって、言った。「もしも、このことが、あなたがたによく、私たちの神、主の御旨から出たことなら、イスラエル全土に残っている私たちの同胞にいっせいに使者を送ろう。彼らのうちには、放牧地のある町々の祭司やレビ人もいる。彼らを私たちのもとに集めよう。

サウルよりもダビデに御心がある

祭司、レビ人にポイントがある

神に仕える人:レビ人限定

祭司以外の人が働きを行うと、らい病に冒される

新約:ペテロやヨハネやヤコブ等の12弟子

神の働きを担っていく

レビ人(12弟子)の資格を満たさないなら神に仕えてはダメ→御言葉を守らないと殺されてしまう、災いに会う

仕えていくときに召しが与えられる→恵みと祝福にあずかる

レビとして歩んでいないなら神の働きから外される

 

13:3 私たちの神の箱を私たちのもとに持ち帰ろう。私たちは、サウルの時代には、これを顧みなかったから。」

神の箱の特徴:動く(移動可能)

新約でいう聖霊の臨在:一人一人、内側に宿している

内住の御霊と共に歩んでいる

このことを信じれば現実のものになる、きちんと実態を見る

助けが与えられる

この世の人と違った歩みに入る

聖霊の働きは歩みの中に実現する

 

13:4 すると全集団は、そうしようと言った。すべての民がそのことを正しいと見たからである。

13:5 そこで、ダビデは、神の箱をキルヤテ・エアリムから運ぶため、エジプトのシホルからレボ・ハマテに至るまでの全イスラエルを召集した。

13:6 ダビデと全イスラエルは、バアラ、すなわち、ユダに属するキルヤテ・エアリムに上って行き、そこから、「ケルビムに座しておられる主。」と呼ばれていた神の箱を運び上ろうとした。

13:7 そこで彼らはアビナダブの家から神の箱を新しい車に載せた。ウザとアフヨがその車を御していた。

13:8 ダビデと全イスラエルは、歌を歌い、立琴、十弦の琴、タンバリン、シンバル、ラッパを鳴らして、神の前で力の限り喜び踊った。

13:9 こうして彼らがキドンの打ち場まで来たとき、ウザは手を伸ばして、箱を押えた。牛がそれをひっくり返しそうになったからである。

13:10 すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼を打った。彼が手を箱に伸べたからである。彼はその場で神の前に死んだ。

13:11 ダビデの心は激した。ウザによる割りこみに主が怒りを発せられたからである。それでその場所はペレツ・ウザと呼ばれた。今日もそうである。

ウザ(力という意味)の割り込みについての語りかけをみていく

神の箱:クリスチャンにおける聖霊の臨在

聖霊がなそうとしておられる働きを人間的な考えで助けたり力を貸したり妨害したりしてしまうと神の怒りをかってしまう

神の働きをする際に、人間の力を入れてはいけない

主が人を育てようとしているときは割り込んではいけない

何か聖霊に示されて語るべきときも確かにある、しかし、割り込んではいけない

見分けは微妙なので、聖霊にあって判断する

よかれと思ったことが神の怒りをかうことがある

 

13:12 その日ダビデは神を恐れて言った。「私はどうして、私のところに神の箱をお運びできましょうか。」

13:13 そこで、ダビデは箱を彼のところダビデの町には移さず、ガテ人オベデ・エドムの家にそれを回した。

13:14 このようにして、神の箱はオベデ・エドムの家族とともに、彼の家に三か月間とどまった。主はオベデ・エドムの家と、彼に属するすべてのものを祝福された。

主の臨在はとどまった家に祝福をもたらす

聖霊の臨在があるなら祝福・恵みに入る→祈ること

聖霊が臨在するだけで祝福になる

聖霊の臨在を求める

神が臨在するかどうかがポイント