Ⅱコリント人への手紙1章 2012.2.26,3.4

 

1:1 神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロ、および兄弟テモテから、コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。

使徒の意味:遣わされる者、イエス・キリストのメッセンジャー

でも、パウロ人々に使徒と認められていなかった

しかし、パウロこそ、書簡の数がまさしく証しているようにイエス・キリストの代弁者であった

神が意図してパウロは使徒になった

神が御心をもって、その人を召したかどうかがポイント

神が召されたなら働きが開かれ、神の前にその働きが残る

人から出たものは消える

神から出たものは残るし、実を見る

神はパウロが生まれる前から選び、御心のときに召した

本当に召されるなら失敗も含めてすべて用いられる、すべてが益になり、用いられる

しかし、自称の働きは残らない

人の見る目と神の見る目は違う

人の見る目を優先するときにズレる

神の目の前にどうか?!がポイント

主が語っていることを行っていくときに永遠に残る

 

1:2 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。

1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。

1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

苦しみの中でも私たちを慰めてくださる

苦しみ(ギリシャ語):艱難

 

参照 マタイ24:21

24:21 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

主は艱難について所々語っている→もし、目が開かれるなら、このことにおいての光を見る

大艱難の中に入ったとしても、そこに慰めがある

大艱難の中にあっても神さまは慰めを与えてくださる

 

1:5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。

苦難もある、しかし、慰めも主から与えられる

 

参照 ローマ8:18

8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

 

ここで使われている「苦しみ」も、先ほどと同様、「艱難」のことを言っている

苦難、苦しみに関するメッセージ

しかし、これらの苦難や苦しみは、将来受ける栄光に比べると、取るに足らないと言われている

 

1:6 もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。

慰めを通して耐え抜く力が与えられる

 

1:7 私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。

どんな風にパウロが苦しみを受けたか?

 

参照 使徒の働き13:44,45,49,50

13:44 次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来た。

13:45 しかし、この群衆を見たユダヤ人たちは、ねたみに燃え、パウロの話に反対して、口ぎたなくののしった。

13:49 こうして、主のみことばは、この地方全体に広まった。

13:50 ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町の有力者たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、ふたりをその地方から追い出した。

 

パウロが苦しみに会った理由:人間的に言えばユダヤ人たちの気に入らなかったことを喋ったから

私たちが何も口にしないなら、苦しみは受けない

神からの働きだとしたら迫害を受ける

 

参照 ヨハネ7:7

7:7 世はあなたがたを憎むことはできません。しかしわたしを憎んでいます。わたしが、世について、その行いが悪いことをあかしするからです。

 

主の働きの生涯を見ても理解できるように、はじめは大勢の人が集まった、しかし、次第に憎まれるようになった

その理由は、この世についた律法学者やパリサイ人の罪を指摘したから

神の民の罪の指摘をするのは、預言者の働き

Ex:ニュースレター

そういう人がいないと救われる人がいない

見えたら、やっていかなければいけない

ジレンマの中での働きであることを理解する

 

1:8 兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、

1:9 ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。

1:10 ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。

困難の中でもキリストを頼っていく

批難、妨害、迫害等も、主の働きの一部

しかし、主にあっての奉仕は恵みがある

 

1:11 あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。

祈りによる協力というのがある

Ex:セミナーに関して、以前は圧迫が強かったので、あるときを契機に連鎖祈祷を始めた、その結果、大いなる効果をもたらした

時間を取って祈ることにポイントがある

 

1:12 私たちがこの世の中で、特にあなたがたに対して、聖さと神から来る誠実さとをもって、人間的な知恵によらず、神の恵みによって行動していることは、私たちの良心のあかしするところであって、これこそ私たちの誇りです。

パウロはどのように奉仕しているか?

忠実、誠実、きよさをもって行う

神の知恵によって行動する、人間の知恵はNG

神の助けによって奉仕を成していく

神の知恵や方法を求める

神の知恵による働きは実を結ぶ、永遠のいのちを得る助けとなる、永遠に残る→これらは祈りによって示される

 

1:13 私たちは、あなたがたへの手紙で、あなたがたが読んで理解できること以外は何も書いていません。そして私は、あなたがたが十分に理解してくれることを望みます。

理解することが大切

 

1:14 あなたがたは、ある程度は、私たちを理解しているのですから、私たちの主イエスの日には、あなたがたが私たちの誇りであるように、私たちもあなたがたの誇りであるということを、さらに十分に理解してくださるよう望むのです。

主イエスの日:一人一人の働きの結果が出てくるときが来る

私たちが正しく行っていくときに誇りとなる、主から報いを得る

 

1:15 この確信をもって、私は次のような計画を立てました。まず初めにあなたがたのところへ行くことによって、あなたがたが恵みを二度受けられるようにしようとしたのです。

1:16 すなわち、あなたがたのところを通ってマケドニヤに行き、そしてマケドニヤから再びあなたがたのところに帰り、あなたがたに送られてユダヤに行きたいと思ったのです。

1:17 そういうわけですから、この計画を立てた私が、どうして軽率でありえたでしょう。それとも、私の計画は人間的な計画であって、私にとっては、「しかり、しかり。」は同時に、「否、否。」なのでしょうか。

軽率であったり、人間的な計画を持ったりしない

神様の言うことを忠実に聞き、成していく

 

1:18 しかし、神の真実にかけて言いますが、あなたがたに対する私たちのことばは、「しかり。」と言って、同時に「否。」と言うようなものではありません。

今、そういうクリスチャンが多い(「しかり」と同時に「否」と言う人々)

しかし、これは、聖書で忌み嫌われること

 

参照 マタイ5:34-37

5:34 しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。

5:35 地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。 5:36 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。

5:37 だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。

 

34節に書かれているように、このことは、「誓う」ことと関係する

YES or NOをはっきりさせる、あいまいはNG

他にも、同じようなことがヤコブ書にも書かれている

 

参照 ヤコブ5:12

5:12 私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい」を「はい」、「いいえ」を「いいえ」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。

 

言語も同じことを言っている

YES or NOをハッキリしないと、神の裁きに会う

終末の日のポイント: YES or NOをハッキリさせずに反キリストに誓ってさばきに入ってしまう人がいる

今からこのことをきちんと確立する

イエス様の時代にも、ハッキリしない人がいた

 

参照 ヨハネ12:42,43

12:42 しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであった。

12:43 彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。

 

イエスを信じていることについては、「YES」を表明した、これは、OK

しかし、告白をしなかったという点においては、「NO」だった、このことは、ダメなパターン

ちなみに、参考までに・・・これらのことに関連して、このような御言葉もあります

 

参照 マタイ10:32,33

10:32 ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。

10:33 しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。

 

また、しかりはしかり、否は否をハッキリさせるかどうかで、見えるものも変わってくる

こっちが態度を表明しないと神様は真理を見せない

神の前に行動を明確にすることは大事

ハッキリさせなければならないことは、ハッキリしなければならない

 

1:19 私たち、すなわち、私とシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「しかり。」と同時に「否。」であるような方ではありません。この方には「しかり。」だけがあるのです。

1:20 神の約束はことごとく、この方において「しかり。」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン。」と言い、神に栄光を帰するのです。

主イエスに頼っていくときに、すべてのことは成就する

イエスにあって働きは成就する

また、神の働きには時がある

イエスの名において、ことごとく成されていく

 

1:21 私たちをあなたがたといっしょにキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。

1:22 神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。

確認の印:確認のハンコとして聖霊が与えられた

聖霊の印によって目に見えないことに関しての確認ができる

聖霊の印によって入るべきところに入ったり正しい歩みを成したりする

神の示しが与えられたり確認が与えられたりする

別の霊は真理を見ない

聖霊の啓示(ハンコ)を受けることが大切

聖霊のハンコは目には見えない、しかし、色々な方法を通して確認を受けることができる

唯一、気をつけなければいけないのは、聖霊の印を受けたにもかかわらず、それが悪霊に変わることがあるので、このことは謙虚に受けとめる

 

1:23 私はこのいのちにかけ、神を証人にお呼びして言います。私がまだコリントへ行かないでいるのは、あなたがたに対する思いやりのためです。

1:24 私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために働く協力者です。あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。

一人一人の信仰がたてあげられ、共有することは大事