Ⅱコリント人への手紙2章 2012.3.11

 

2:1 そこで私は、あなたがたを悲しませることになるような訪問は二度とくり返すまいと決心したのです。

2:2 もし私があなたがたを悲しませているのなら、私が悲しませているその人以外に、だれが私を喜ばせてくれるでしょうか。

悲しませるような厳しい方法があった

 

2:3 あのような手紙を書いたのは、私が行くときには、私に喜びを与えてくれるはずの人たちから悲しみを与えられたくないからでした。それは、私の喜びがあなたがたすべての喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからです。

2:4 私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。

パウロは、その人たちを悔い改めへと促すために、大切なこと、必要なことを語った

いのちに至る道は狭いから厳しいことであっても真実を語る

厳しいことであっても、その人のために、真実を語っていく

 

2:5 もしある人が悲しみのもとになったとすれば、その人は、私を悲しませたというよりも、ある程度――というのは言い過ぎにならないためですが、――あなたがた全部を悲しませたのです。

2:6 その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、

2:7 あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。

2:8 そこで私は、その人に対する愛を確認することを、あなたがたに勧めます。

2:9 私が手紙を書いたのは、あなたがたがすべてのことにおいて従順であるかどうかをためすためであったのです。

処罰を通して、悔い改めれば良い

 

2:10 もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。

その人が悔い改めたら、赦す

 

2:11 これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。

サタンの策略→人の感情思索に巧妙に働く

正当であっても、あまりにも言い過ぎると、サタンに悪いように用いられる

人間的に良さそうな感情さえ、用いられる→それが神の前に本当に正しいかどうかは別

サタンは感情思索、思いを十分に用いる

 

2:12 私が、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、主は私のために門を開いてくださいましたが、

2:13 兄弟テトスに会えなかったので、心に安らぎがなく、そこの人々に別れを告げて、マケドニヤへ向かいました。

2:14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。

2:15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。

2:16 ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。

働き人に関して、色々な表現を用いている

ここでは「かおり」ということばが使われている

キリストにあって、知識のかおりを放つ者

かおりということばを通して何かを語っている

人は、どのようにして、キリストに惹きつけられるか?→それに対して、かおりという言葉を使っている

働き人がキリストのかおりを放っているかどうか?→それによってキリストを知る人が出てくる、キリストを知るきっかけになる

働き人は責任がある

ただし、万人が万人、同じように、香りを感じるわけではない

同じかおりでも、死に至らせるかおりに感じる場合があり、いのちに至らせるかおりに感じる場合がある

すなわち、真逆の評価を受ける、賛否両論

 

2:17 私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。

多くの人は神のことばに混ぜ物をしている

でも、このことに御心は無い

キリスト教界の問題点は、御言葉に混ぜ物をする、だから別のものになってしまう

実際に福音はかなり、厳しいことを言っている Ex:いのちに至る道は狭い

多くの教会は会衆にフレンドリー Ex:地獄は無い、艱難の前に携挙される等

混ぜ物(ギリシャ語)→何かを売って利益を得る

御言葉に混ぜものをして、生活の手段にする→NG

お金のために、御言葉に混ぜ物をしないこと!!

語るときに神の前に語る

神の前に語らないメッセージがある

目に見える人のことが気にかかると、メッセージが曲がる

人が来ようと来まいと、御言葉が語っていることを語る

人の評判を気にしていると、変わってきてしまう

どこまでも、神に向けて語る