Ⅱコリント人への手紙10章 2012.6.17,6.24

 

10:1 さて、私パウロは、キリストの柔和と寛容をもって、あなたがたにお勧めします。私は、あなたがたの間にいて、面と向かっているときはおとなしく、離れているあなたがたに対しては強気な者です。

10:2 しかし、私は、あなたがたのところに行くときには、私たちを肉に従って歩んでいるかのように考える人々に対して勇敢にふるまおうと思っているその確信によって、強気にふるまうことがなくて済むように願っています。

権威について

今は権威を軽んじる時代

しかし、どういう時代にいようといまいと、御言葉に従う

多くのクリスチャンがこの世の風潮に従っていて、権威についても人間的なことに目が向けられていて、従おうとしない

どんなことでも御言葉を守る人に助けや守りがある

強気にふるまう:厳しいことを言う、威張った言い方をする

教会の中で牧師が威張らないことに、こしたことが無い

皆が従順ではないので、権威を用いないと、にっちもさっちもいかないことがある

牧師が権力を振るうのはゆるされる

牧師は権威を用いるのが仕事

基本的に権威は不従順な人が対象

教会の方針に逆らう、曲げる人を対象に用いていく

普通にしていたら気にすることは無い

しかし、もし、逆らうような人がいた場合のこと Ex:モーセに逆らった、コラとその仲間たち

教会内に権威が無かったら、お一人一人の首を絞めることになる→おかしな教理とかに引っ張られる

勇敢に振舞う:厳しいことを言う

強気に立たざるを得ない人に対して(ズレている人に対しては)強気に振舞う

弟子は、「権威」に関係する

教会は「なあなあ」「まあまあ」になってはダメ!!

場合によっては強気に振舞う

働き人になるなら、それも働きの一環

相手によっては言わなければいけない

 

10:3 私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。

10:4 私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。

10:5 私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、

神の働きは肉的なもの、生まれつきのものでは進められない

肉では出来ない事柄なので、困難がある Ex:証、メッセージ

メッセージに関連しての事柄

いろいろな思いや間違えた教理を持ってくる人たちとの戦い Ex:セミナー

そういう人をキリストの御言葉に服従させなければいけない

これが霊的な戦い

そのときに神が武器を与えてくれるなら、勝つことができる

しかし、肉の武器に従っていくなら勝てない、敗れてしまう

どこまでも、霊の戦い

祈っていくことによってテーマが与えられ、示しを受ける Ex:ニュースレター

霊の武器を用いていくときに人々が真理を見る

クリスチャンであっても別の思いにとらわれている

神の知識に逆らっている人たちがいる、そういう人たちをひっくり返したり、とらえられたりしたら、5節の御言葉の成就ということになる

そのように書かれているなら、そういう武器がある

祈って求めていくなら与えられる

 

10:6 また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。

不従順:全然言うことを聞かない人

パウロが不従順の人に罰を与えた

罰を与えることを含めて働きの範囲

 

10:7 あなたがたは、うわべのことだけを見ています。もし自分はキリストに属する者だと確信している人がいるなら、その人は、自分がキリストに属しているように、私たちもまたキリストに属しているということを、もう一度、自分でよく考えなさい。

神の働き人を見るときに、うわべのことを見て、間違えて判断してしまう

神様の選びは、いひょうをつく Ex:ダビデが選ばれたこと

人とは違う

神の選びと人間の表面的な選びとは違う

人間的な事柄で悲観することは無い

人から認められ、神から認められるということは無い、両立は無い

神から選ばれるのがポイント

能力があるにこしたことはなくても、人間的に優れていなくても良い

大事な啓示や教えがくるのなら、それでOK

2つ良いことは無い

 

10:8 あなたがたを倒すためにではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威については、たとい私が多少誇りすぎることがあっても、恥とはならないでしょう。

10:9 私は手紙であなたがたをおどしているかのように見られたくありません。

働き人には神が権威を授けている(ただし、9節に書かれているように、おどすのが主旨では無い)

でも、多くのクリスチャンに、それが見えない

でも、権威については、きちんと見ていきたい

 

参照 マタイ16:17-19

16:17 するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。

16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。

16:19 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」

 

ペテロ(石、岩、すなわち弟子のこと)に大変な権力が与えられている

弟子の歩みの働き人には、キリストが大きな力を与えたのは事実

19節に書かれているように、天国の鍵を上げる、上げないということにポイントがある、そして、これは、生殺与奪の権威(or死の権威)→天の御国は鍵が無いと入れない

どの人が入るか入らないか?→弟子が決めてしまう

Ex:アナニヤとサッピラは死んだ、すなわち、天国に入れない

ペテロがかぎを持っていて、彼らは入れなかった、決定付けられてしまった

ただし、乱用してはダメ

でも、そういう権威を与えられている

主に授けられた権威がある

不従順をする人に用いられる

そいうことをきちんとしないと、教会は成り立たない

 

10:10 彼らは言います。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ったばあいの彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」

10:11 そういう人はよく承知しておきなさい。離れているときに書く手紙のことばがそうなら、いっしょにいるときの行動もそのとおりです。

コリントの人の働き人(パウロに関しても)の理解は、人間的な考え

働き人への評価に関して、往々にして、人間的な面を見て言われることが多い

しかし神の働きは人間的な能力だけでは決まらない、反対に祈り求めていくときに、神の栄光を見る

人間的な面で弱いからと言って、神の働きを担えないというわけではない

しかし、担っていくときに、神の栄光を反映する、弱い面を用いてくださる

サタンが人間的なことを言ってくる

神の力だけを頼っていくときに真の神の栄光を見る

人間的な力はこの世では言われる、しかし、神の前では関係無い

主に頼っていくなら、神のわざを見るチャンス

 

 10:12 私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。

働き人の仲で人間的なことで比較してしまう、自己推薦がある

Ex:○○大学を卒業など

しかし、それは、知恵の無いこと

偉くなりたいとか、そういうのは、知恵の無いこと

働き人に関して、人間的な標準ではなく、神の知恵によって見ていきたい

 

10:13 私たちは、限度を越えて誇りはしません。私たちがあなたがたのところまで行くのも、神が私たちに量って割り当ててくださった限度内で行くのです。

KJV:自分の量りではかるな、神が私たちに与えた量りで量るのが正しい、それが尊い

働き人でも、判断基準がある

人の量った量りと神の量った量りは違う

神の量りが大事

神の判断基準は人とは違う

神の量りに関して、ここでテストされているとかが分かる

ここをクリアしないと神の働きがすすまないということが分かる

人の判断基準は、たしかに人に用いられる

しかし、神の判断基準に沿っていかないと、神の働き人として、用いられない

 

10:14 私たちは、あなたがたのところまでは行かないのに無理に手を伸ばしているのではありません。事実、私たちは、キリストの福音を携えてあなたがたのところにまで行ったのです。

10:15 私たちは、自分の限度を越えてほかの人の働きを誇ることはしません。ただ、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたによって、私たちの領域内で私たちの働きが広げられることを望んでいます。

10:16 それは、私たちがあなたがたの向こうの地域にまで福音を宣べ伝えるためであって、決して他の人の領域でなされた働きを誇るためではないのです。

10:17 誇る者は、主にあって誇りなさい。

人間的な誇りではなく、主にある誇りが大事

主の恵みについて語る

 

10:18 自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。

用いられる牧師と、そうでない牧師がいる

「メッセージを語ってください」なんていう風に、よく呼ばれる人がいる

でも、主に推薦されることが大事、主に受け入れられることが大事

いくら人受けしたとしても、必ずしも主に受け入れられるとは限らない

主に推薦されるメッセンジャーを求めていきたい

その人の忠実さをはじめ、歩み方次第によって、結果は大きく変わってくる

主に推薦されるなら働きに関して追い風が来る

Ex:9.11テロに関しての神からの語りかけを理解した、アメリカが獣の国であることが見えてきた

このことは、神からのレムナントの選びがあり、推薦されたことに通じると言える

主からの推薦が大切

その一方で、受け入れられない奉仕がある

働き人といっても、人間的なことを重視してしまう危険性がある

しかし、それは愚かで知恵が無くて、神からのものを失う

両立はしない

そういうものを追い求めていくときに、神からの基準や判断からズレてしまう