Ⅱテサロニケ人への手紙1章 2013.9.1
1:1 パウロ、シルワノ、テモテから、私たちの父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。
1:2 父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:3 兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。
クリスチャンの歩みは信仰の歩み
目に見えないことを信じるのが信仰
目に見えないこと=目に見えることと正反対のことが多い
Ex:シャデラク、メシャコ、アベデ・ネゴ→実態は何も無いが、しかし神を信じて金の像を拝まなかった、つまり御言葉を信じて従った→信仰通りに実現した、燃える炉の中には投げ込まれたが神の使いに助けられた
見えるところは往々にして違う
1:4 それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたがすべての迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。
迫害や患難に耐えながらも、信仰を保つ
1:5 このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。
迫害、問題、嫌な目に会っている理由:神の国にふさわしい者だから起きている
このことは聖書で一貫して語られていること
参照 マタイ5:10-12
5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
5:11 わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
5:12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。
迫害に関してはっきりした流れがある→天の御国が確定
その際は、喜ぶこと
ふさわしくない場合、迫害は起きない
ふさわしい人は神&サタンの両方の目に留まる Ex:ヨブ
拍手喝采とか大人気だと危ない
迫害が全くないなら危ない
迫害は気を落とすために来る、しかし主の恵みを受け取る
ゆえに迫害が来ない人は危ない
聖書のこういう法則は昔も今もこれからも変わらない
嫌なことが起こるのは神の前に良い
参照 使徒14:22
14:22 弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と言った。
多くの苦しみを経ると書かれているように、そんなもの
聖書が言っていることが正しい
門は小さく道は狭い
サタンはすべて分かっている→誰が入るか?入りそうかをよく知っている
サタンは反則を使っても来るので益々嫌な目に会ったりする
正しく歩んでいるにもかかわらず、嫌なことが多い=神の国が近い可能性がある
それをちゃんと理解するなら誤解する必要は無い
これは聖書全巻を通して一貫して流れている教え
1:6 つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、
1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。
再臨について
再臨の時に2種類の人がいる
①安息に入る人
②災いや裁きに入る人
この箇所のみならず、聖書はそういうことを語っている
キリストの再臨の時に苦しむ人、裁かれる人がいる
クリスチャンの大きな誤解→自分とは関係無いと思っている
でも、クリスチャンとまさに関係する
主は十字架にかかった、それはパリサイ人や律法学者の妬みによってそうなった
なのに使徒信条はピラトの前に十字架に付けたと言っている、しかしこれは嘘、大きな惑わし
クリスチャンの中で兄弟を訴えたり死に至らせる人がいる
エドムがそうなる可能性がある
エドムへの災いはシオン(真のクリスチャン)への訴え→エドム的クリスチャンがこのことで裁きを受ける
聖書に「ぶどうが踏まれる」とあって、悪いクリスチャンは神様に踏まれる
これからクリスチャンは2種類に分かれる
迫害を受けるかもしれない、しかしそれは一時的で永遠の憩いに入る
これからクリスチャンの歩みの分岐点になる
1:8 そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。
1:9 そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。
こういう風にならないように気をつける
神を知らない人々:一義的には未信者を指す、しかしもう一面ある、クリスチャンであっても神を知らない人がいる
「知る」ということに関連して、アダムがエバを知ったことに通じる
私たちが神様に関して、表面だけでなく深い意味合いで知ることをしないと、そういう裁きに入ってしまう可能性がある
聖書的な意味合いで知るのが大事
パリサイ人や律法学者は時代を見分けず、目の前のキリストを理解しなかった
聖書的な意味合いで知らなければいけない
今のクリスチャンは根本的に神を理解していないのでは? Ex:艱難前携挙説
違う教えを盲信しているのは全くの間違い、もしかすると他の神を拝んでいる可能性がある、ゆえに天の御国が危ないと言える
クリスチャンでも神のことばに従わない人は危ない、行わない人は危ない Ex:律法学者やパリサイ人がそうだった
福音を知っていても、従わない人は問題、霊的に見えなくなる、勘違いの方向へ行く
たとえ能力が無くても、みことばを知り、従い行うなら、見るべきものを見る、必要なものが語られる Ex:サルデス(プロテスタント)の教会の裁きのことについて理解する
神を知ることに恵みがあり、みことばに従うことにポイントがある
キリストの再臨の時には人々が明確に2種類に分かれる
ユダを除く12弟子→永遠の御国へ
パリサイ人、律法学者→報復に会った
同じことが再臨の時にも再現する
1:10 その日に、主イエスは来られて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の――そうです。あなたがたに対する私たちの証言は、信じられたのです。――感嘆の的となられます。
主の再臨は感嘆の的→皆、びっくりする
絶体絶命の危機を通る可能性がある
絶望する人も出てくる→NG
助けを求めるなら救いが来る
とにかく信じることがキーワード、信仰を無くさないように今から信仰を求める
教会として神を経験するようになる→信仰を成長させてもらえる
目に見えないことを祈っていく、そして信じていく
艱難時代の終わりは、信仰を持ちづらくなる時代、しかしここが信仰を試される時
周囲のクリスチャンがどんどん信仰を捨てていく
しかし永遠のことに関わるのでしっかりと心を定める
1:11 そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。
1:12 それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。
祈りの基本→召しにふさわしい者にしてくださいますようにと祈るのが良い
召しがあってもふさわしい者にならないなら永遠の命にあずかる者にならない
召しの声に従い、全うしてふさわしくなるかは別
色々な人に声がけがある、しかし全うするのは別
参照 マタイ22:14
22:14 招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」
途中でいなくなったり、ふさわしくなくなってしまう人が出てくる
神にふさわしいと思われなかったら解雇される
神にふさわしいと思われたら、奉仕が任される
神にふさわしいと思われることが大事
忠実に行っていくときに召しに入っていく
主の前に召しにふさわしい者と見なされる
レムナントキリスト教会
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