Ⅱテサロニケ人への手紙2章 2013.9.29

 

3:1 終わりに、兄弟たちよ。私たちのために祈ってください。主のみことばが、あなたがたのところでと同じように早く広まり、またあがめられますように。

これはパウロが求めていたこと

生涯実行し、得るべきものを得た

走るべき道のりを走っていきたい

みことばが広がることを中心にして働きをしていた

このあたりに力を置いて法師をしていく

しかし実際には的外れな奉仕が多い

キリスト教は模範となる人を見習っていく(器崇拝に注意しながら)

違う方向へずれる人が多い、しかし的外れにならないようにする

それぞれの持ち場立場、機会を通してこのあたりに力を入れていく

レムナントの奉仕はみことばを伝えていく、広げていく

手段、方法は問わず、広げることにポイントがある

無理の無い方法で、なおかつ効果のある方法で奉仕は広がる、祈って奉仕を行っていく

私たちの奉仕はみことばが早く広まるように→これらに連なっていくことにポイントがあり、御心がある

 

3:2 また、私たちが、ひねくれた悪人どもの手から救い出されますように。すべての人が信仰を持っているのではないからです。

主の奉仕をしていくときに妨害する人がいる

しかし守られるように祈る

 

3:3 しかし、主は真実な方ですから、あなたがたを強くし、悪い者から守ってくださいます。

主は真実で責任感のあるお方

主に忠実に従っていくなら建て上がっていく

困難や問題は訓練のため

祈って克服していくときに立ち上がっていく

悪い者(サタン)から守られる

クリスチャンとして敵ありきの道を歩んでいる

主が守ってくださる時には、正しく対応できる

もし、真実で忠実に歩んでいくならば、助けを受ける

しかし不忠実だったり真実から離れているなら危ない

すべてのクリスチャンが入るべき所に入るとはかぎらない Ex:毒麦、良い麦

主を裏切らないなら助けてくれたり、守ってくれる

ぼんやりしていても、危険を教えてくださる

 

3:4 私たちが命じることを、あなたがたが現に実行しており、これからも実行してくれることを私たちは主にあって確信しています。

3:5 どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。

神からの教えに関して実行する

みことばを実行することにポイントがある

実行しない人のことも書いてある→7

締まりのない(原語):秩序や規則や教えに従わない→このことがテサロニケの手紙で大きく警告されている

また、14節にはみことばを行わない人とは交際してはダメだと言っている

どんなことも実行することにポイントがある、みことばは守る価値のあるもの

絶対に実行してくださいねというパウロの強い意思を感じる

パウロを通して神が語っている

みことばを実行してはじめて命を得る

主もそう言われた

今、多くのクリスチャンが歩みがずれたり外れている、だんだんと口先、表面だけになっている、しかし主は心をご覧になる

生ける神の前に出ていずれ裁かれるので正しく歩んでいきたい

クリスチャン生活はみことばを行ってなんぼ

行っていく中で命を得たり、恵みを受ける

 

3:6 兄弟たちよ。主イエス・キリストの御名によって命じます。締まりのない歩み方をして私たちから受けた言い伝えに従わないでいる、すべての兄弟たちから離れていなさい。

教えに従わない、ルールを守らない人とは離れる

伝統から離れたり違うことを言うことに御心は無く、それを守ることにポイントがある

Ex:艱難前携挙説、教会の権威に従わない→NG

そういう人(秩序や破壊する人)とは分離する

そうでないと災いや間違えに入っていく可能性があるから

 

3:7 どのように私たちを見ならうべきかは、あなたがた自身が知っているのです。あなたがたのところで、私たちは締まりのないことはしなかったし、

ルールに従わない歩みはしなかった

 

3:8 人のパンをただで食べることもしませんでした。かえって、あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も労苦しながら働き続けました。

3:9 それは、私たちに権利がなかったからではなく、ただ私たちを見ならうようにと、身をもってあなたがたに模範を示すためでした。

3:10 私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。

3:11 ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。

3:12 こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。

パウロは自分の手でかせいでパンを食べろと言っている

自分のできる範囲で働く→第一義的

パウロは仕事をしながら神の働きをしていた

パウロみたいに自活していく歩みは模範にする

そしてたとえの意味合いもある

パン:みことば

仕事:教会の奉仕

みことばを教会で食べる、受ける、これは感謝なこと、しかしただで受けるのではなく、奉仕もしたほうがその人の益になると言っている

働き→奉仕というニュアンスがある

6節のようなことをする人は奉仕も何もしない人

全然何もしない人にかぎって、批判をしたりして去って行く

11節はみことばを行わない、混乱を起こすことに通じる

奉仕をしていくときに真理を見たり、益を得たり、神に喜ばれる歩みに入っていく

 

3:13 しかしあなたがたは、たゆむことなく善を行ないなさい。兄弟たちよ。

3:14 もし、この手紙に書いた私たちの指示に従わない者があれば、そのような人には、特に注意を払い、交際しないようにしなさい。彼が恥じ入るようになるためです。

教会の歩み、方法に従わない人が出てくる、しかしそういう人の意見を尊重してはダメ

特に注意して交際しない、同調しない

人間的な教えや考えではなく、神のことばを優先する

今の時代、だんだんと教会にこういう人が増えている

人間的な標準でこのあたりのことをゆるめてはダメ、そうでないと全体がずれる、全体の問題になる

 

3:15 しかし、その人を敵とはみなさず、兄弟として戒めなさい。

3:16 どうか、平和の主ご自身が、どんなばあいにも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。

3:17 パウロが自分の手であいさつを書きます。これは私のどの手紙にもあるしるしです。これが私の手紙の書き方です。

3:18 どうか、私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。

戒めなさい→注意する、どんどん許すことに御心はない