Ⅱペテロ2:19       2015.5.10

 

2:1しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現われるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。

 

一つは、偽預言者が、イスラエルに起きたように、偽教師が現われるようになるという。

これは預言。

これからまさに現われようとしている、重大な異端の教えに関して書かれているように読める。

今まで無かったような異端的な教理が、キリスト教界に起きて来るという事を預言しているように見える。

大事なポイントは、「滅びをもたらす異端」「自分たちの身にすみやかな滅びを招いて」とある。

この、「滅び」という言葉。

マタイの137節に、「命に至る門は狭く、その道は狭い。それを見出す者は稀。 しかし、

滅びに至る門は広く、」と言っている、その箇所。

これは、永遠のいのちに関しての事。

なので、永遠のいのちを失うような異端が入って来る、という警告。

さらに深刻な事は、この異端は、「自分たちを買い取って下さった主を否定する。」

買い取るという事は贖い。

贖いを否定するのだから、贖いが無効になるという事。

聖書に書いてあるが、一万タラントの負債を持っている人。

これは、我々が贖いを受けなかった場合、払わなければならない、キリストによって救われることによって払わなければいけない、地獄の代金。

我々は、人を赦さないと、赦されない。一度贖われた一万タラントが戻ってきてしまう。

そこは、我々も、人を赦せないかもしれないけれども、そこは、悔い改めねばならない。

今回のこの箇所の異端とは何か。これは、自分を贖って下さった主を否定する。

このような事をすると、一万タラントの負債が返ってきてしまう。

地獄で、1円残らず返さなければならなくなる。

そのような異端が入って来る。

「主を否定する」という言葉も、ヨハネの1825節で使われている。

他でもない、ペテロが、3度主を否定している箇所。

ペテロには「他の人が否定しても、自分はしない」という自信があった。

「あなたは鶏が鳴くまで3度私を知らないと言うだろう」と言った通りに3度否定している、その「否定」という言葉。

だから、深刻な事柄。

キリストを知らない、贖い主を知らないという事は、贖いと無関係なので、チャラになったはずの罰が戻って来る。

これでは、何のために教会に何年も行き続けたのか分からず、無意味な事。

ここには、そういう異端について書かれている。

これは、今はっきりと出ているものではなく、これから徐々に明らかになって行く異端。

この事は覚えておく。

この異端に引っかかった人は、永遠のいのちを失う。

滅びに至る広い門から入るけれども、いのちに至る狭い道からは追い出されてしまう。

それらしいような動きは、今起きている。

「ダビンチコード」をご存じだろうか。

内容的には、「イエス・キリストは死んではおらず、結婚して子供までいる」

この様な教えが、ずっと、これから教会の中に広がって来る。

「キリストはインチキだった」とか、「十字架の贖い、復活などはあり得ない」などの教え。

これがまさに「自分たちを買い取ってくださった主を否定」する。

これは理解する。何故なら聖書の預言であるから、軽視してはいけない。

遅かれ早かれ、その様な日が来る。

我々の世代にまさに起きて来るものと思う。

 

2:2そして、多くの者が彼らの好色にならい、そのために真理の道がそしりを受けるのです。

 

「好色にならい」とあるが、言葉の意味合いから言うには、好色という事に限らず、ようは、インチキな教えに倣って行くということ。

「多くの者」と書いてある事も心に留めておく。

聖書が、「多い」と言った時には、本当に多い。

下手をすると、教会の大部分という、そういうような時が来る可能性がある。

その中で、どの様な事が起きるかというと、その為に真理の道がそしりを受ける。

おかしな異端が、教会の中でずっと広がって来るので、正しく真理に従っている人、「キリストこそ我々の罪を贖った」とか、「キリストは復活した」と言っている人達は、逆に非難を受けるようになる、と書いてある。

そういう日が来る。

「そのために真理の道がそしりを受けるのです。」とは、そういう事。

なので、我々は、今の常識ではあり得ない事だけれども、世の中変わって行くという事を、聖書は預言しているので、こういった事柄も、心に留めておく。

今のキリスト教会の常識が、どんどん強制的に変わる時が来る。

逆に正しい人が非難される。

なので、良い意味でも悪い意味でも、キリスト教の最先端はアメリカであると理解している。日本のキリスト教会は、殆どのプロテスタントの大きな教派は、アメリカの宣教師が来て、広めて行った教団が多い。

大体アメリカのトレンドは、日本にも波及する。

今のアメリカのトレンドは、正しいクリスチャンが、非難されたり、逮捕されたり、そういった方向に来ている。                       

路上で、福音トラクトを配ったり、路傍伝道している牧師が逮捕されたり、同性愛の人達に対して、クリスチャンが、「同性愛の行為をやめましょう、聖書は同性愛を禁じてます」と言ったために、クリスチャンの方が逮捕されたりしている。

これは、走り。  「真理の道がそしられる」という事の走り。

スタートである。

アメリカで起きている事はみな、裏で計画がある。

アメリカで、そのように、正しいクリスチャンが逮捕されつつあることを軽く見てはいけない。

このようなトレンドは、世界中に及んでいくというように理解できる。

こういったところを見て行きたい。

今もおかしな教えが、ある程度あるが、メジャーになってはいない。

しかし、今はなっていないからと言って、安心は出来ない。

預言は、聖書の神が語っている事なので、いずれこの事は実現する。

正しく歩もうとしているクリスチャンにとっては、とんでもない論理だが、この世の人、この世についたクリスチャンにとっては、結構納得させるような理論が出て来る。

この辺りは理解しておきたい。

 

2:3また彼らは、貪欲なので、作り事のことばをもってあなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは、昔から怠りなく行なわれており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません。

 

「作りごとの言葉」と、まさに書いてある。

「貪欲なので」とも書かれている。

なので、だれ彼かまわず、このようなインチキに引っかからせようとして来る。

「食い物にします」の原語の意味合いは、「商品として売り買いする」

だから、ここでも贖いという言葉が出てくる。

このインチキに引っかかる時に、我々が、せっかく主の死によって贖われて、それぞれの罪、

どんな裁きも、後の世で受けないはずであったものが、みな戻ってきてしまう。

キリストを否定するような人には、裁きは来ない事は無いが、一時的に優先になる。

どちらにしても、トレンドに引っ張られてはいけない。

いずれ神に裁かれてしまうから。

 

2:4神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。

 

「暗闇の穴の中に閉じ込められた」とあるが、同じように、おかしな教えに入った人達は、暗闇・・・真理が見えない所に入ってしまうと理解できる。

 

2:5また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。

 

ノアの洪水の時というのは、全ての肉なる者が道を乱している、そう言った人たちに裁きが行なわれた。  洪水、つまり水による裁き。

水、洪水は、レムナントでは、霊的な事柄に関しての喩えだと理解している。

何故なら、「私を信じる者には、生ける水の川が腹から流れ出る」と主が言われた。

生ける水の川は、イエス・キリストを信じる者に与えられる聖霊をさす言葉。

しかし、洪水の水の霊は聖霊ではなく、悪霊。

悪霊の洪水の中で、惑わされ、滅びに行ってしまうという事。

終末の事に関して、聖書では、あらゆる箇所で喩えで、悪霊の洪水の事とか、おかしな霊に惑わされて行く人が、たくさん出て来るという事を言っている。

なので、しるし、奇蹟があるからと言って、何でも信じてしまってはいけない。

しるし、不思議には、確かに神からのものであるか、吟味が必要。

そういう意味では、霊的な事柄。

その時に、そういった洪水から守られた人にはポイントがある。

洪水の時に、ノアたち8人の者が、保護されて、箱舟を通して救われた。

この8人の者たちが、保護されたり、助けられたり、守られたりした理由は、義を述べ伝えたから。

世の終わりにも、ノアの洪水に起きた事が、再現するものと思われる。

イエス様ご自身が、「ノアの時のようであり、ロトの時のようである」と言われた。

世の終わりの時には、多くのクリスチャンが永遠のいのちを失うものと思われる。

その時に我々が、本当に、永遠のいのちを、そのような試練とか、津波の時であっても、尚且つ自分の命を救いたいと思うので、そういった、ノアの時が再現したとしても尚且つ自分の命を得て行く時に大事な事は、義を述べ伝える事。

終わりの時にノアの時が来るとすると、命を得るポイントは、「義を述べ伝える」事。

ここでは、愛を述べ伝えるのではなく、義を述べ伝える。

「義」とはさばき、来るべき裁きとか、そう言った事柄。

神は、正しいので、裁きをもたらすという事。

ここでは愛とは書いていない。勿論、神は愛であるが。

レムナントは、ずっと、「義」を述べ伝えてきている。

「角笛」を毎月送っているが、怒る人もいる。

世の終わりは、ノアの時、ロトの時だと、主が言われた事。

ノアの時は、洪水で裁き、ロトの時は、ソドム、ゴモラが火で滅ぼされる時なので、「裁きが来る」と言うのは正しい事。

我々が、ありもしない平安を語っている事には御心が無い。

来るべき裁きとか、そういう事をきちんと伝えていく事にポイントがある。

ここは覚えて行く。

我々が言っても、「頭がおかしいのか」と言われたり、

聖書に書いてある事なので、歩みを正していく、とか、来るべき裁きが来るなら、悔い改めて

歩みを正すのが正しい。

レムナントは、義を述べ伝える。 増々これを行なって行く。

これは、ノアに通じる。箱舟を作る事にも通じ、または、洪水の滅びの中から、かろうじて、我々の命、自分自身の命を救う事に通じる。

なので、書かれている言葉を尊重し、それに歩んで行くというのが正しいという事を見て行きたい。

 

2:6また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、以後の不敬虔な者へのみせしめとされました。

 

「灰にした」とは火に関しての裁き。

これも霊的な事柄に関する喩え。

何故その様に言うかというと、「聖霊が下った」「霊が下った」、「ペンテコステの日にそれぞれの人の頭の上に、火のようなものが留まった」、と書いてある。

聖霊は火に喩えられる。

 

2:7また、無節操な者たちの好色なふるまいによって悩まされていた義人ロトを救い出されました。

2:8というのは、この義人は、彼らの間に住んでいましたが、不法な行ないを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたからです。

 

ソドム、ゴモラが滅ぼされた時に、ロトは救い出された。

ロトが救い出された理由は、ここにある通り。

「日々その正しい心を痛めていたからです。」

こういう事が大事。

ソドムとは同性愛の意味合いがある。

今の世のトレンドは、同性愛を認める方向に来ている。

アメリカはその最先端。

オバマ大統領は、同性婚を合法化した。

大統領がそのように言ったという事は、これに反対する人は、違法、つまり法を犯している事になる。

だから、なぜクリスチャンが、同性愛の人達に反対して、聖書を片手にデモをした為に逮捕されたかというと、アメリカにおいては、同性愛に反対する事は、違法行為だから。

アメリカは前とは違う国になってしまっている。

日本でもそのトレンドが、来つつあるような感じがする。

東京の渋谷区では、同性婚が合法化された。

それを基準にして、同性愛に反対する企業の名を公表する事まで検討された。

そういうトレンドは、どんどん広がって行く。

その時に、そのトレンドに乗って、おかしな方向に行くのか、その時に、ロトみたいに、「この義人は、彼らの間に住んでいましたが、不法な行ないを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたからです。」

正しい心を痛めているか、それとも「良かった」と言うか、大分結果が変わって来る。

残念ながら世の中はどんどん変わって来るし、それは、教会にも入って来る。

その時の我々の心がポイントになって来る。

なので、この事はよくよく捉えておく。

それは、これから起きて来るところの預言。

まさに今の時代の預言。

これらの事象は神に喜ばれる事ではない。

我々もこのトレンドに同調してしまうと、我々自身も滅びに入ってしまう。

こういった事はよく捉えて行く。

 

2:9これらのことでわかるように、主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、不義な者どもを、さばきの日まで、懲罰のもとに置くことを心得ておられるのです。

 

この世のあらゆる罪、神への不敬虔に対して、裁きの日が来る。

その日は、決して遠くは無いと思う。

その日に至るまで、神は、敬虔な者達を誘惑から救い出すという業をなす。

反面、「不義な者どもを、さばきの日まで、懲罰のもとに置く」

裁かれる人達を、裁きの日まで置いておく。

なので、我々は、この事を信じる。

また、確かに艱難時代は来る。

あらゆるこの世の誘惑、惑わしは来ると思うが、神様は、我々が正しく歩むならば、ロトを守って下さった神様であり、ノアたちを守って下さった神様でもあるので、同じように我々が、ノア、ロトのように歩んで行くならば、我々自身もそういった、あらゆる惑わしとか、誘惑などから守られるということを期待してよい。

この事は、実際に事実。

ちゃんと我々が、主にあって歩んで行くなら、道は開かれる。

正しい人々は、神様によって、誘惑から守られる。