Ⅱ歴代誌28章 2011.9.4

 

列王記や歴代誌はダビデ王朝、イスラエル王朝の歴史について語っている

 

28:1 アハズは二十歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼はその父祖ダビデとは違って、主の目にかなうことを行なわず、

28:2 イスラエルの王たちの道に歩み、そのうえ、バアルのために鋳物の像を造った。

同じ王であっても、ある王は主の目に叶うことを行う

しかし、ある王は主の目に叶うことを行わずに災いに入り、殺されてしまう

歴史は私たちの警告のために語られている

すなわち今のクリスチャンへの語りかけ

クリスチャンは全て自己判断、自己責任の部分がある、そういった意味合いにおいて教会も自己判断、ゆえに、行く教会や歩みによってあるクリスチャンは災いに入り、この世でもトラブル続きで後の日に最悪の所に行ってしまう可能性がある

個々のクリスチャンの選択や歩みによって大きく結論が異なる

神は変わらないお方、しかし王が変わってしまう→アハズ王は懲りないクリスチャンの型、災いに入るクリスチャンが多いと言っている

そういう轍を踏むことが無いように、きちんと学ぶ

洗礼を受けてもロクでもない歩みの人がいる→祝福・恵みに入らない

神は公平なお方→悪いことをしなければ災いは下されない

アハズ王のここでの問題点:偶像(バアル)崇拝をした

唯一の主である神に従うべきなのに器に従ったことが問題

Ex:ローマ法王は聖書の言葉を投げている→NG、このことは神に従っているとは言えない

 

28:3 彼は、ベン・ヒノムの谷で香をたき、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、忌みきらうべきならわしをまねて、自分の子どもたちに火の中をくぐらせた。

:霊的なことに関係する

悪霊的なことに子どもたちをくぐらせた→悪霊の器に子どもを捧げた ※ベン・ヒノム:ベニー・ヒン?

このことはベニー・ヒンの集会で再現した

霊だからと言って何でも信じていいわけではない

今は、あらゆる霊が働いているので気をつける

 

28:4 さらに彼は、高き所、丘の上、青々と茂ったすべての木の下で、いけにえをささげ、香をたいた。

偶像崇拝に通じる

 

28:5 彼の神、主は、彼をアラムの王の手に渡されたので、彼らは彼を打ち、彼のところから多くのとりこを捕えて行き、ダマスコへ帰った。彼はイスラエルの王の手にも渡されたので、イスラエルの王は彼を打って大損害を与えた。

主の目に叶わない歩みをしていくときのパターンや特徴→アハズ王の型

敵の手に渡される

カソリックは主の目に叶わない歩み→敵の手に渡されている

Ex:マリヤを含めた四位一体

カソリックだけでなくプロテスタントも同じ Ex:復活を信じていない、艱難前携挙説を盲信しているゆえに備える必要は無い等

不忠実な歩みのゆえに敵の手に渡された

敵の手に主が渡されることに意味合いがある

 

28:6 レマルヤの子ペカはユダで一日のうちに十二万人を殺した。みな勇者たちであった。彼らはその父祖の神、主を捨て去っていた。

28:7 ついで、エフライムの勇士ジクリは、王の子マアセヤ、その家のつかさアズリカム、王の補佐官エルカナを殺した。

ユダは負けに負けている

 

28:8 さらに、イスラエル人は、自分の同胞の中から女たち、男女の子どもたちを二十万人とりこにし、また、彼らの中から多くの物をかすめ奪って、その分捕り物をサマリヤに持って行った。

ユダは御心に叶っていた、しかし、そうでなくなった時に、とりこにされた

教会の姿→御心に叶わないために敵に奪われていく

Ex:たとえの意味合いの解釈→当初の教会はたとえの意味合いを理解していた、しかし、今では、ほとんどの教会でたとえの意味合いを理解することについて言われていない、このことは敵に奪われたと言える

 

28:9 そこには主の預言者で、その名をオデデという者がいた。この人はサマリヤにはいって来た軍勢の前に出て行って、彼らに言った。「見よ。あなたがたの父祖の神、主がユダに対して憤られたため、主はあなたがたの手に彼らを渡された。ところが、あなたがたは天に達するほどの激しい怒りをもって彼らを殺した。

なぜ、ユダが負けたか?

神がユダに対して見放したので敵の手に渡され、ボロボロになった

個々のクリスチャンに対しても同じ→あらゆるトラブル続きの時には考えるべき

きちんと悔い改めていくときに状況が変わっていく

アハズ王:生涯、悔い改めの無い歩み、ずっとトラブル続き→神と争ってはダメ

敵に負けているときは主の怒りを引き起こしていないか?と、考えるべき

どの王も真っ当な理由があって神に怒られている

正しい道を歩みなら祝福に入る

勘違いしているなら災いに入る

どうしたら神が怒るのか?を、よく学び、悔い改める

 

28:10 今、あなたがたはユダとエルサレムの人々を従えて自分たちの男女の奴隷にしようとしている。しかし、実はあなたがた自身にも、あなたがたの神、主に対して罪過があるのではないか。

28:11 今、私に聞きなさい。あなたがたが自分の同胞をとりこにしたそのとりこを帰しなさい。主の燃える怒りがあなたがたに臨むからです。」

28:12 そのとき、エフライム族のかしらたちの中から、ヨハナンの子アザルヤ、メシレモテの子ベレクヤ、シャルムの子ヒゼキヤ、ハデライの子アマサなどの人々が、いくさから帰って来た者たちに向かって立ち上がり、

28:13 彼らに言った。「あなたがたは、とりこをここに連れて来てはならない。私たちを、主に対して罪過のある者とするようなことをあなたがたは考えて、私たちの罪と私たちの罪過に、もう一つを加えようとしている。私たちの罪過は大きい。燃える怒りがイスラエルに下される。」

28:14 そこで、武装した者はつかさたちと全集団の前で、とりこと、かすめ奪った物を手放した。

28:15 指名された人々が立ち上がって、とりこの世話をし、その中で裸の者にはみな、分捕り物を用いて衣服を着せた。彼らに衣服を着せてから、くつをはかせ、食べさせ、飲ませ、油を塗ってやった。そのうえ、足の弱い者はみな、ろばに乗せて運び、彼らの兄弟たちのもと、なつめやしの町エリコに連れて行った。こうして、彼らはサマリヤに帰った。

北イスラエル(カソリック)の人々は聞き従った

北イスラエルも神の民、カソリックも神の民→正しい道に入る人も出てくる

しかし、そうではあっても、おかしなことは、きちんと指摘する

カソリックの人々にも神は目を注いでいる

 

28:16 その時、アハズ王はアッシリヤの王たちに人を遣わして、助けを求めた。

28:17 エドム人はなおも攻めて来て、ユダを打ち、とりこを捕えて行った。

28:18 ペリシテ人は、ユダの低地およびネゲブにある町々に突入し、ベテ・シェメシュとアヤロンとゲデロテ、およびソコとそれに属する村落、ティムナとそれに属する村落、ギムゾとそれに属する村落を取って、そこに住んだ。

28:19 これは、主がユダの王アハズのゆえにユダを低くされたためであり、彼がユダでほしいままに事を行ない、主に対して不信の罪を犯したからである。

アハズ王は頼る対象を間違えた

神ではなくアッシリアの王を頼った、しかし本当に頼るべきなのは神、アハズ王の不信のゆえに神は怒った

真の意味合いで神に拠り頼まないため、ズレて、怒りをかってしまうことがある

悪い状況の中でも神に頼っていく

頼るべき方に頼る、そうでないと神に怒られたり災いを下されたりする

19節の「それゆえ低くされた」に語りかけがある

神に頼っていくときに能力がなくても高くされる

そうでないときに低くされる

これは私たちが神に頼るということを学ばせるための神の愛のムチ

不信のゆえに恥を受けたり人前に低くされたりする

低くされる→神の愛のムチ、何かを考えさせられるためであることを理解する

 

28:20 アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルは、彼を攻め、彼を悩ました。彼の力にはならなかった。

28:21 アハズは主の宮と王およびつかさたちの家から物を取って、アッシリヤの王に贈ったが、何の助けにもならなかったのである。

主の宮と王およびつかさたちの家から物を取って:信仰もすべて投げ捨てた

 

28:22 アッシリヤの王が彼を悩ましたとき、このアハズ王は、ますます主に対して不信の罪を犯した。

28:23 彼は自分を打ったダマスコの神々にいけにえをささげて言った。「アラムの王たちの神々は彼らを助けている。この神々に私もいけにえをささげよう。そうすれば私を助けてくれるだろう。」この神々が彼を、また全イスラエルをつまずかせるものとなった。

28:24 ついで、アハズは神の宮の器具を集めた。彼は神の宮の器具を断ち切ってから、主の宮の戸を閉じ、エルサレムの町かどの至る所に祭壇を造った。

彼は神の宮の器具を断ち切ってから、主の宮の戸を閉じ、エルサレムの町かどの至る所に祭壇を造った:真の神に頼る道をやめてしまった→災いを引き起こす

 

28:25 ユダの町という町にはすべて、ほかの神々に香をたくため高き所を造り、彼の父祖の神、主の怒りをひき起こした。

ほかの神々に香をたくため高き所を造り:真の神々ではなくほかの神々()に頼った

                                    器崇拝

器崇拝は今でも行われていて神の怒りを引き起こしている

ある意味、信仰を試すために器崇拝は赦されている

神は正しく従う人に恵みを下さる忠実なお方

器崇拝に神は非常に怒りを覚えている

 

28:26 彼のその他の業績と彼のすべての行ないは、最初から最後まで、ユダとイスラエルの王たちの書にまさしくしるされている。

28:27 アハズは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をエルサレムの町に葬った。彼をイスラエルの王たちの墓に運び入れなかったからである。彼の子ヒゼキヤが代わって王となった。

27節に語りかけ、たとえの意味合いがある

:後の世にどこに入るのか?

今の歩みが後の世に反映される

キリストこそ模範、後の世で必要なものをゲットするという視点で物事を見ていく