エステル記9,10章 2012.6.10

 

9:1 第十二の月、すなわちアダルの月の十三日、この日に王の命令とその法令が実施された。この日に、ユダヤ人の敵がユダヤ人を征服しようと望んでいたのに、それが一変して、ユダヤ人が自分たちを憎む者たちを征服することとなった。

艱難時代は逆転がある

困難は通る、しかし、最終的には逆転する→このことは、聖書の裏の部分

 

参照 ルカ18:8

18:8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

 

この御言葉はキリストの再臨について語っている、そして、艱難時代の1つのポイントとも言える

艱難時代の終わりにエステル記のように大逆転がある

しかし、「人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか」と書かれているように、艱難時代の終わりに信仰を失うのでは?ということが言われている

キリストの再臨のとき、あきらめてしまうクリスチャンが多い

失望、自暴自棄、不信仰にさせるサタンの最後の攻撃や惑わしが来る

でも、必ず、大逆転がある、しかし、耐えきれずにぐらついてしまうクリスチャンが多いことを言われている

いろいろと言われて信仰を失う

希望を失い、ひっくり返されるクリスチャンが多いという暗示

ゆえに、信仰にとどまり続けられるように祈り求める

 

9:2 その日、ユダヤ人が自分たちに害を加えようとする者たちを殺そうと、アハシュエロス王のすべての州にある自分たちの町々で集まったが、だれもユダヤ人に抵抗する者はいなかった。民はみなユダヤ人を恐れていたからである。

9:3 諸州の首長、太守、総督、王の役人もみな、ユダヤ人を助けた。彼らはモルデカイを恐れたからである。

9:4 というのは、モルデカイは王宮で勢力があり、その名声はすべての州に広がっており、モルデカイはますます勢力を伸ばす人物だったからである。

9:5 ユダヤ人は彼らの敵をみな剣で打ち殺し、虐殺して滅ぼし、自分たちを憎む者を思いのままに処分した。

9:6 ユダヤ人はシュシャンの城でも五百人を殺して滅ぼし、

モルデカイの勢力が強い→ハマンに大逆転して王になった

モルデカイはキリストの型→王として来られるキリストの姿、キリストの再臨のときの報復の型

 

参照 Ⅱテサロニケ1:6-9

1:6 つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、

1:7 苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。

1:8 そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。

1:9 そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。

 

変なヒューマニズムを持ったり、偽善的なことに入ったりしないように気をつける

再臨はすべてのクリスチャンにとって幸せのときではなく、主の報復のときなので、今、悔い改めなければいけない

バプテスマのヨハネも悔い改めを語った

今の私たちも同じように語る

エルサレムが軍隊に囲まれた→クリスチャンに対して報復が来る

キリストの再臨のときには報復が起きる

書かれたとおりに言わなければいけない

 

9:7 また、パルシャヌダタ、ダルフォン、アスパタ、

9:8 ポラタ、アダルヤ、アリダタ、

9:9 パルマシュタ、アリサイ、アリダイ、ワイザタ、

9:10 すなわち、ハメダタの子で、ユダヤ人を迫害する者ハマンの子十人を虐殺した。しかし、彼らは獲物には手をかけなかった。

9:11 その日、シュシャンの城で殺された者の数が王に報告されると、

9:12 王は王妃エステルに尋ねた。「ユダヤ人はシュシャンの城で、五百人とハマンの子十人を殺して滅ぼした。王のほかの諸州では、彼らはどうしたであろう。あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。あなたはなおも何を望んでいるのか。それをかなえてやろう。」

9:13 エステルは答えた。「もしも王さま、よろしければ、あすも、シュシャンにいるユダヤ人に、きょうの法令どおりにすることを許してください。また、ハマンの十人の子を柱にかけてください。」

9:14 そこで王が、そのようにせよ、と命令したので、法令がシュシャンで布告され、ハマンの十人の子は柱にかけられた。

9:15 シュシャンにいるユダヤ人は、アダルの月の十四日にも集まって、シュシャンで三百人を殺したが、獲物には手をかけなかった。

9:16 王の諸州にいるほかのユダヤ人も団結して、自分たちのいのちを守り、彼らの敵を除いて休みを得た。すなわち、自分たちを憎む者七万五千人を殺したが、獲物には手をかけなかった。

9:17 これは、アダルの月の十三日のことであって、その十四日には彼らは休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。

9:18 しかし、シュシャンにいるユダヤ人は、その十三日にも十四日にも集まり、その十五日に休んで、その日を祝宴と喜びの日とした。

9:19 それゆえ、城壁のない町々に住むいなかのユダヤ人は、アダルの月の十四日を喜びと祝宴の日、つまり祝日とし、互いにごちそうを贈りかわす日とした。

9:20 モルデカイは、これらのことを書いて、アハシュエロス王のすべての州の、近い所や、遠い所にいるユダヤ人全部に手紙を送った。

9:21 それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、

9:22 自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定めるためであった。

お互いに贈り物をする日

 

参照 黙示録11:8-12,15

11:8 彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。

11:9 もろもろの民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめていて、その死体を墓に納めることを許さない。

11:10 また地に住む人々は、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を贈り合う。それは、このふたりの預言者が、地に住む人々を苦しめたからである。

11:11 しかし、三日半の後、神から出たいのちの息が、彼らにはいり、彼らが足で立ち上がったので、それを見ていた人々は非常な恐怖に襲われた。

11:12 そのときふたりは、天から大きな声がして、「ここに上れ。」と言うのを聞いた。そこで、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。

11:15 第七の御使いがラッパを吹き鳴らした。すると、天に大きな声々が起こって言った。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」

 

キリストが来られる

エステル記と黙示録は正反対のことが書かれている

二人の預言者の箇所はエステル記の再現

3日半:半週、3年半の艱難時代

3日半の後:艱難時代の終わりに再臨があることを言っている

預言者は殉教する、しかし、艱難時代の後に復活した

再臨は、正しく主に着くクリスチャンの復活&携挙の時

二人の預言者は、たとえ

 

参照 黙示録11:4

11:4 彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である。

 

二本のオリーブの木:2つの教会(2種類のクリスチャンの集まり)

世の終わりや再臨に起きること→殉教、復活、昇天、携挙がある

 

参照 Ⅰテサロニケ4:15-17

4:15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。

4:16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

4:17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

 

死んでいる人々:殉教した人々

さっきの黙示録と同じことが書かれている→キリストの再臨に起こることについて

二人の預言者はよみがえる

艱難時代に殉教しても死んでいるのは3年半、その後、よみがえる

艱難時代に主に着くクリスチャンが勝利を得る

人間の命を失うことにこだわってはいけない

栄化されないなら滅んでしまう

世の終わりにたしかに信仰が試される

聖書的な立場に立っていきたい→殉教をしようとしまいと、正しく主に着くことがポイント

本当の意味合いで真の勝利とは何か?が、問われる

 

9:23 ユダヤ人は、すでに守り始めていたことを、モルデカイが彼らに書き送ったとおりに実行した。

9:24 なぜなら、アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダヤ人を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうとしたが、

9:25 そのことが、王の耳にはいると、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたからである。

9:26 こういうわけで、ユダヤ人はプルの名を取って、これらの日をプリムと呼んだ。こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、

9:27 ユダヤ人は、彼らと、その子孫、および彼らにつく者たちがその文書のとおり、毎年定まった時期に、この両日を守って、これを廃止してはならないと定め、これを実行することにした。

9:28 また、この両日は、代々にわたり、すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした。

9:29 アビハイルの娘である王妃エステルと、ユダヤ人モルデカイは、プリムについてのこの第二の書簡を確かなものとするために、いっさいの権威をもって書いた。

9:30 この手紙は、平和と誠実のことばをもって、アハシュエロスの王国の百二十七州にいるすべてのユダヤ人に送られ、

9:31 ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。

9:32 エステルの命令は、このプリムのことを規定し、それは書物にしるされた。

プルとかプリムが出てくる

プル、プリムとは、「くじ」のこと

くじを引いて滅ぼすことを言われている

 

参照 ヨハネ19:24

19:24 そこで彼らは互いに言った。「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」それは、「彼らはわたしの着物を分け合い、わたしの下着のためにくじを引いた。」という聖書が成就するためであった。

 

キリストの上着と下着について

もし、下着のクリスチャン(レビ人、弟子の歩みをしている人)だったら、くじを引かれる可能性がある→艱難時代に滅ぼされる計画を立てられる可能性がある

ゆえに、すべてのクリスチャンが艱難を通るわけではない

しかし、逆転した

一時的に困難を通ったり、肉体の命を失ったりする可能性がある

つまり、キリストと同じような歩みだということ

まず、苦難を受けて、後に、復活するというパターン

 

10:1 後に、アハシュエロス王は、本土と海の島々に苦役を課した。

10:2 彼の権威と勇気によるすべての功績と、王に重んじられたモルデカイの偉大さについての詳細とは、メディヤとペルシヤの王の年代記の書にしるされているではないか。

10:3 それはユダヤ人モルデカイが、アハシュエロス王の次に位し、ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語ったからである。

イエス・キリストもクリスチャンの幸福を求めている

真の平和や助け、永遠の命を得る

永遠の命を得るためには・・・イエス・キリストのたどった生涯に準ずる!!