エズラ記3章 2011.11.20

 

(教会)&都の再建の回復はエズラの時代だけでなく教会時代にも再現する

 

3:1 イスラエル人は自分たちの町々にいたが、第七の月が近づくと、民はいっせいにエルサレムに集まって来た。

第七の月:7つ目のミレニアムに関連する

今は7つ目のミレニアム

この時にバビロンにとどまっていることに御心はない

回復の時が来ているのに、いつまでもバビロンにいることに御心は無い

エルサレム:神の御心の中心、主の御心の中心を行っていく

エルサレムに一斉に集まることにポイントがある

実際にエルサレムまで行かなくても大丈夫、確かに行けば、色々と恵みを受けるかも知れない、しかし、教理的にエルサレムに戻ることにポイントがある

ちなみにレムナントの奉仕は、このことに大いに力を注いでいる

Ex:賢い花嫁vs愚かな花嫁のたとえの理解について語る、セミナーを行う等

ポイントはバビロンの推進ではなくエルサレムに戻ること

 

3:2 そこで、エホツァダクの子ヨシュアとその兄弟の祭司たち、またシェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちは、神の人モーセの律法に書かれているとおり、全焼のいけにえをささげるために、こぞってイスラエルの神の祭壇を築いた。

このことにポイントがある

 

3:3 彼らは回りの国々の民を恐れていたので、祭壇をもとの所に設けた。彼らはその上で主に全焼のいけにえ、すなわち、朝ごと夕ごとの全焼のいけにえをささげた。

朝ごとに夕ごとに全焼のいけにえを捧げる:聖霊の働きを求める、すなわち、祈ること

 

3:4 彼らは、書かれているとおりに仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められた数にしたがって、日々の全焼のいけにえをささげた。

仮庵の祭りは回復と切っても切り離せない、仮庵の祭りについてはネヘミヤ記にも書いている

ちなみにイスラエルの3大祭りとは?→過ぎ越しの祭り、ペンテコステの祭り、仮庵の祭り

仮庵の祭りを行う際に地下教会に目を留める

参照 ネヘミヤ記8:13,14

8:13 二日目に、すべての民の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た。

8:14 こうして彼らは、主がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない、と書かれているのを見つけ出した。

14節に書かれているように、わざわざ「見つけ出した」ことにポイントがある

7つ目のミレニアムに仮庵の祭りを見つけ出す

仮庵祭りに関してたとえの意味合いを見ていきたい

参照 ネヘミヤ記8:15,16

8:15 これを聞くと、彼らは、自分たちのすべての町々とエルサレムに、次のようなおふれを出した。「山へ出て行き、オリーブ、野生のオリーブの木、ミルトス、なつめやし、また、枝の茂った木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作りなさい。」

8:16 そこで、民は出て行って、それを持って帰り、それぞれ自分の家の屋根の上や、庭の中、または、神の宮の庭や、水の門の広場、エフライムの門の広場などに、自分たちのために仮庵を作った。

仮庵:仮の家

クリスチャンで地下教会を作る

16節に書かれているように「屋根の上」に作る

自分の家はあるけれども家の屋上に作った仮庵の家に住む

言わんとしていることは、既存の教会ではなく地下教会を作って、そこに住む

神の宮が堕落するので地下教会を作る

参照 マタイ24:15,16

24:15 それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

24:16 そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

仮庵の祭りの大事なポイントについて書かれている

反キリストが教会のリーダーになっていく

教会のリーダーを拝まないと殺されるので、そこにいる人々は皆、獣のようになってしまう

参照 黙示録13:17

また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。

売り買いはキリスト教用語で、贖いや救いに関すること

反キリストに支配された教会で奉仕出来るのは獣のしるしを付けている人のみ、しるしを付けていない人、すなわち、反キリストを拝まない人はそういう教会で働きをすることは出来なくなると言われている

つまり、その時に既存の教会にとどまってはいけない、地下教会に行く

参照 マタイ24:17-26

24:17 屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

屋上に仮庵を作っている人は既存の教会に戻ってはいけない

既存の教会は既に反キリストに支配されているため、もし、戻るなら永遠の命が危なくなる

24:18 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

:伝道に関する

伝道している人も既存の教会に戻ってはいけない

24:19 だが、その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。

身重の女・乳飲み子:御言葉の表面しか理解出来ない人、御言葉のたとえや奥義を理解出来ない人→たとえを理解しなければいけない

24:20 ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。

24:21 そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

反キリストは全教会を支配する、もし、そこ(既存の教会)にとどまるなら首を切られる、だから地下教会に逃げる

24:22 もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。

3年半の艱難時代

24:23 そのとき、『そら、キリストがここにいる。』とか、『そこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。

24:24 にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

24:25 さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。

24:26 だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる。』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる。』と聞いても、信じてはいけません。

26節の「飛び出して行ってはいけない」とは、地下教会にとどまれと言っている

ただし、地下教会にいるクリスチャンにも、あらゆる惑わしがくる

24節に書かれているように不思議や大きなしるしに惑わされてはダメ

仮庵のポイント:既存の教会に登録するのを諦める

不思議やしるしに惑わされてはいけない

 

3:5 その後、常供の全焼のいけにえと、新月の祭りのいけにえと、主の例祭のすべての聖なるささげ物、それからめいめいが喜んで進んでささげるささげ物を主にささげた。

3:6 彼らは第七の月の第一日から全焼のいけにえを主にささげ始めたが、主の神殿の礎はまだ据えられていなかった。

捧げ物(奉仕)を捧げる

 

3:7 彼らは石切り工や木工には金を与え、シドンとツロの人々には食べ物や飲み物や油を与えた。それはペルシヤの王クロスが与えた許可によって、レバノンから海路、ヤフォに杉材を運ぶためであった。

:弟子の歩みに通じる

弟子を育てあげる

木工:「木」はクリスチャンのたとえ、ゆえに、クリスチャンを救いに導く人々のこと

 

3:8 彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いた翌年の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアと、その他の兄弟たちの祭司とレビ人たち、および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々は、主の宮の工事を指揮するために二十歳以上のレビ人を立てて工事を始めた。

大工さんや建築士ではなく、主につくレビ人が宮を建て直す   

工事をはじめることにポイントがある

単に惑わしから逃れたというだけでなく、霊的に工事をして宮を建てる

神に言われている霊的な工事をする

 

3:9 こうして、ユダヤ人ヨシュアと、その子、その兄弟たち、カデミエルと、その子たちは、一致して立ち、神の宮の工事をする者を指揮した。レビ人ヘナダデの一族と、その子、その兄弟たちもそうした。

3:10 建築師たちが主の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって主を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。

3:11 そして、彼らは主を賛美し、感謝しながら、互いに、「主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに。」と歌い合った。こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。

礎が据えられる:弟子の人が備わった

参照 黙示録21:14

21:14 また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。

土台石は12使徒、弟子の歩みをしている人

主の宮の礎を据えなければいけない

弟子の歩みに大きなポイントがある

土台が据えられていないと崩される

教会の土台になる人が大事

どういう土台かによって育つ人が変わってくる

土台を模範として人が育っていく

人が育つ際に土台の歩みがどうか?それによって結果が変わってくる

礎を据えることを目指さなければいけない、土台に大きなポイントがある

礎が据えられれば大丈夫、きちんと土台が据えられることが大事

 

3:12 しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。

3:13 そのため、だれも喜びの叫び声と民の泣き声とを区別することができなかった。民が大声をあげて喜び叫んだので、その声は遠い所まで聞こえた。

2種類の叫び声

○喜びの声

聖霊の回復の働きは起きつつあり実現されていく

○泣き叫ぶ声

大きかった宮が小さくなってしまった

これは、霊的に回復される人が少ないことを言われている

ここでのポイント:2つ良いことは無い

しかし明らかに宮を回復することにポイントがある

主の前に恐れをもって、ますます聞いていきたい