エペソ人への手紙5章 2013.1.20,1.27,2.3

 

5:1 ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

5:2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

神に従っていく者となる

それによって、結果が大分変わってくる

同章の5節で言われていること→神の国を相続するか否かにかかってくる

このことはクリスチャンに向けて書かれている

クリスチャンの中でも、ミスってしまう人が出てくる

「永遠の命」に関しては失敗が赦されない→「煉獄」とか「セカンドチャンス」を唱えている教理がある、しかし聖書のどこを探しても、そういったことは書かれていない、ゆえに「ワンチャンス」と言える→惑わされないように気を付ける

神に愛されるように歩む

天の御国を相続する人=神に愛される人

「香ばしいかおり」を捧げる

ある人は「香ばしいかおり」を放ち、キリストに受け入れられる、しかし、ある人は拒否される

神の前に「香ばしいかおり」の捧げ物をしていきたい

Ex:アベルとカイン→アベル:捧げ物を受け入れられた、カイン:捧げ物を受け入れられなかった

 

5:3 あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。

気を付ける

 

5:4 また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。

こういうことは避けて、「感謝」する

 

5:5 あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者、これが偶像礼拝者です。こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。

この世では普通でも、こういうことをしてはダメ

神の基準に合わせる

主の言われた範囲を見ていく

むさぼる者→自分の欲、腹 Ex:出世等を一番にするのは偶像礼拝

参照 ピリピ人への手紙3:18,19

3:18 というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。

3:19 彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。

どんな「欲」も警戒していく

歩み方次第で、神の国を相続するか否かが、変わってくる

参照 Ⅰコリント人への手紙10:111

10:1 そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。

10:2 そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、

10:3 みな同じ御霊の食べ物を食べ、

10:4 みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。

10:5 にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。

10:6 これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。

10:7 あなたがたは、彼らの中のある人たちにならって、偶像崇拝者となってはいけません。聖書には、「民が、すわっては飲み食いし、立っては踊った。」と書いてあります。

10:8 また、私たちは、彼らのある人たちが姦淫をしたのにならって姦淫をすることはないようにしましょう。彼らは姦淫のゆえに一日に二万三千人死にました。

10:9 私たちは、さらに、彼らの中のある人たちが主を試みたのにならって主を試みることはないようにしましょう。彼らは蛇に滅ぼされました。

10:10 また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。

10:11 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。

6:クリスチャンであっても、この世の「あらゆる欲」をむさぼる→NG

悪魔が色々と誘惑する、しかし滅ぶので気を付ける

10:つぶやいたらダメ

11:出エジプト記に書かれているのはクリスチャンへの教訓のため、歩みを正す

滅ぶ人が多いので気を付ける、道は狭い

再チャレンジ゛は無い、聖書で言われていることに合わせる

 

5:6 むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。

インチキの教理に騙されてはダメ

Ex:クリスチャンは滅びない

むなしい言葉がキリスト教会に蔓延している、今はそういう時代

教会に行って、むなしい言葉を聞くことがある

礼拝が「罠」になることがある

参照 詩篇69:22

69:22 彼らの前の食卓はわなとなれ。彼らが栄えるときには、それが落とし穴となれ。

「食卓」とは、「礼拝」のたとえ

変な教理を聞いて、ヌカ喜びをしてはダメ、とんでもない結末になる

 

5:7 ですから、彼らの仲間になってはいけません。

5:8 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。

5:9光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。

9(KJV):御霊の結ぶ実

聖霊にあって歩むなら、神に喜ばれる

 

5:10 そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。

見分けなさい:吟味しなさい

真の礼拝:日々の歩みが神に喜ばれる

そのためには、歩みを吟味する

何が喜ばれるか?→こういうことに関して、神さまは時々語られる(直すべきところや変えるべきところを)

神に倣うような歩みに変えられる、神さまから愛されるような歩みに入っていく→神の国を受け継ぐ

神に好き嫌いがある

喜ぶこととそうでないことがあり、このことは厳然としている

だから望まれることとそうでないことを主に聞く

主に喜ばれるような歩みをして相続する

望みや欲を優先すると、神さまは語りたくても語れない

神に喜ばれるようなことを各自見ていく

 

5:11 実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。

5:12 なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。

5:13 けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。

第一義的な意味合いとして、この世の暗いところに入ってはいけない

たとえの意味合いについても見てみたい

暗闇のわざ:真理の光がない、真理の光から離れたような働き

Ex:艱難前携挙説

いくら一生懸命おこなっても、何も実を結ばない

そういうものに入ってはダメ

クリスチャンにそういう罠がある

すべてのキリスト教会の働きに光があるとは限らない

Ex:クリスチャンは皆天国→聖書には書かれていない教え

神の前には何の成果も残らない

「明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます」:問題を指摘する、真理の光をきちんと言っていく

 

5:14 明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」

光を照らすことによって、ちゃんとした事柄が見えてくる

真理からズレたものは明らかにしていく

眠り:霊的に眠っている、聖霊によって立ち上がる

真理を求めていくときに開かれていく、与えられていく

辛うじて真理を見ているなら、主からの光がある

主に従おうと決意があるなら見える

見ようとしていくときに見える

困難があってもとどまり続けるなら、光はとどまり続ける

ただし、「時間に制限がある」ということについては、よくよくとらえておく

参照 ヨハネ12:36

12:36 あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」イエスは、これらのことをお話しになると、立ち去って、彼らから身を隠された。

「光」は、永遠にとどまるわけではない

 

5:15 そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、

Ex:賢い娘と愚かな娘→真理を見分ける、見分けないに関する

見分けないのなら、キリストの再臨に対応できなくなる

 

5:16 機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。

機会を十分に生かして用いなさい(KJV):時を贖え(買い取る)

主に仕えていくとき、犠牲を払って買い取る

心から主の働きをおこなっていきたい!と願わないと、本当の意味での主の働きの時間は取れない

働く気がないと、時間は取れない

犠牲&お金を払って買い取るつもりがあるなら可能になる

色々と犠牲を払っても主の働きは携わる価値がある

そのためには何か犠牲にしなければいけない、どこかで犠牲を払う

 

5:17 ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。

愚かな娘の問題について、ここでも書かれている

聖書は1箇所のみではなく、あちこちに書かれている

主の御心を分かっていないクリスチャンは案外多い

主の御心を悟っていきたい

箴言に「私の叱責に耳を留めない」と書いてある

参照 箴言1:2325

1:23 わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう。

1:24 わたしが呼んだのに、あなたがたは拒んだ。わたしは手を伸べたが、顧みる者はない。

1:25 あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、わたしの叱責を受け入れなかった。

主は叱責をおこなう、叱責はある

でも、心に留めない人が多い

かえりみたら、「例外的」と言える

無視するなら、ろくなことにならない

主が語ることを信じる、教えてくださることを信じる→悟るようになる

神はものを言わない、ゆえに「人の声」を通して語る

良いことも悪いことも含めて、人の声は無視できない→謙虚になる

心を頑なにしない→主の御心が分かってくる

聞く気があるのか、ないのか?

機会を通して主からの語りかけがある

愚かな娘→いつも聞かない人

 

5:18 また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。

5:19 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。

賛美は大いに御心がある

 

5:20 いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。

良いことだけでなく悪いことも含めて、すべてに感謝する→悪いことも結局は益になるから

神さまには良かれと思っても、私たちにはそうは見えないこともある 

Ex:ヨブの苦難

主はすべて益となるように導いておられる

 

5:21 キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。

5:22 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。

キリストも徹底的に従った→信仰の完成者

キリストがまったくの従いの歩み→山上の垂訓や4千人や5千人の給食の時のように、良い時だけでなく、弟子が次々と去ってしまった時や十字架にかかりながらも従った

クリスチャンの信仰の鍵:従う→このことは今のキリスト教会のトレンドとは違う

教会で普通に歩んでいくなら、従わないクリスチャンになってしまう

この世では従わないことが良しとされる

サタン:逆らう者、ゆえに天の御国に入らない

キリストが模範、どこまでも従う

キリストは不利な時でも従われた、ゆえに「信仰の導き手、完成者、模範」と言われた

ヘブル12:2

12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

持ち場立場にあって従う

それぞれの人が従っていく対象がある、そしてこのことは大いに推薦される

反抗的だと、ろくなことにならない

分派を起こす人は除名しなさいと聖書は言っている

参照 テトス3:10

3:10 分派を起こす者は、一、二度戒めてから、除名しなさい。

教会は、場合によっては除名しなければいけない

不本意であっても反抗したりつぶやいたりしてはダメ

従うことは非常に大事、まず神を恐れる

従うことを学ばないとサタンのようになってしまう

特に今の時代のクリスチャンは学ぶべき→入るべきところ(天の御国)に入りたいのなら、意識して従うことを学ぶ

 

5:23 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。

夫は妻のかしら

従うことを学ぶ→神に喜ばれ、訓練される

キリストは教会のかしら

「救い」を理解する→滅ぶことが前提

教会がキリストを本当にかしらとして歩むなら、例外的に救いを受ける

教会がキリストをかしらとしないときに、とんでもない方向に行く、救いがおぼつかなくなる

本当にキリストをリーダーにするなら、間違いない

多少の困難はあってもキリストをかしらにするなら方向性が見えて、正しい方向へ行く

もし、からだがかしらの言うことを聞かないなら危ない

今のキリスト教会は危ない

Ex:同性愛や変なリバイバルを受け入れている→救いをまっとうできない可能性がある

 

5:24 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。

5:25 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。

夫は夫で大変

 

5:26 キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、

5:27 ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。

教会はきよめて聖なるものとなる

教会は、だんだんきよめられて完成されていく

水の洗い(霊的なこと)&御言葉によってきよめられる

初期にはこの世の間違いがある、しかし水の洗い&御言葉によって、だんだんときよめられていく

御言葉を正しく受けるときにこの世の間違えからきよめられて、離れていく

みんな、どこかでこの世の常識がある、御言葉を正しく受け入れていくときに一つずつ解決される

祈りによって霊的な事柄(惑わし)からも解放される

:聖霊→聖霊を浴びる人はきよめられる

祈りを怠ると汚れがついたまま→歩みや働きが妨害される

祈りによって「栄光の教会」になる

 

5:28 そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。

夫への語りかけ

 

5:29 だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。

奥さんを養い育てなければいけない

 

5:30 私たちはキリストのからだの部分だからです。

5:31 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」

5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。

5:33 それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。

30(KJV): 私たちはキリストのからだの部分だからです、肉であり、骨である

参照 創世記2:23

2:23 すると人は言った。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」

肉、骨は教会の部分

かしらだけでは何もできない

キリストはかしらだけど、教会を用いてくださる→一心同体、切っても切り離せない

このことは光栄なこと

働きはからだである教会に任されている

奉仕→受けるべき報いを受ける

キリストのからだの部分を受け継いでいる

実行していくときに恵みに入り、報いを受ける