ガラテヤ人への手紙1章 2012.8.12,8.19

 

1:1 使徒となったパウロ――私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。――

使徒:重い働き

パウロは人からは推薦されなかった

でも、神によって使徒となった

神の前に働きを担うときに2種類ある

①人の思いや考え、人からの働き

②神から召された働き

これらは違う

神からの働きは残る

人からや自分で思っている働きが、今の時代もある

もちろん、神からのものもある

人からのものだと、ぽしゃってしまう可能性がある

神からの働きができるように祈り求めていく、そうしていくときに、はじめは失敗をしながらも、神の働きを担うようになっていく、的をつき、残っていく

はじめからは分からない、しかし、奉仕を続けていくうちに、神の召しが見えていく

 

1:2 および私とともにいるすべての兄弟たちから、ガラテヤの諸教会へ。

1:3 どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。

1:4 キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。

1:5 どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。アーメン。

4節「今の悪の世界から私たちを救い出す(連れ出す)」にポイントがある

救われないと死んでしまうから

悪の世界から救い出されないとダメ

この世と同化してはダメ

罪に対して悲しみ、一線も二線も画す

 

1:6 私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。

1:7 ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。

キリストの福音を信じるときに、罪や滅びから救われて、永遠のいのちに入る

しかし、変なインチキな福音を掴んでいる人がいる

福音を曲げられるということが今の時代も大いにある

Ex:カソリックの福音は曲がっている→行いによる福音、救い、しかし、行いで救われるというのは別の福音

聖書を持っているからといって、皆が御言葉を理解しているわけではない

別の福音に移っていく人がいるから、このようなことが語られている

 

参照 マルコ4:12

それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため。』です。」

 

サタンが別のものを持ってきて別のものを掴んでしまうこともある

7節「キリストの福音を変えてしまおうとする」:福音を曲げてしまおうとする

人の救いを惑わそうとする霊がいる

明確、単純な救いがあるのに騙されてしまう

聖書は、まじめに読まなければいけない

 

1:8 しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。

1:9 私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。

このようなことをするなら・・・どんな人であっても、のろわれるべき

天の御使いの中にも、悪の霊になる御使いもいる

人が間違えるような罠の道を仕掛ける

カインとアベルのようなもの

兄の弟殺し

兄と弟は、御使いと人間の関係指す

御使いが色々とちょっかいを出したり罠を仕掛けたりして祝福をとどめる

カソリックは御使いレベルの惑わし&行いによる救いということがワンセットになっている

Ex:マリヤの像が血を流す

それに従ってはダメ

プロテスタントも、しかり

Ex:艱難前携挙説、クリスチャンは裁かれない

不思議やしるしを求めれば求めるほど、おかしくなっていく

そのような教理に入っていくことのないように祈り求めていく

根本的な聖書の教理が反キリストのときにおかしくなる

救いの教理に関して、おかしな教えに引っ張っていくということがある

御使いがおかしな賜物、奇跡を持ってくる、それによって福音が曲がっていく

 

1:10 いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません。

神の働きを担うとき、多くの場合、人に嫌われることがある

人に、よく思われるとき、神の働きからズレていく可能性がある

どちらかひとつを選ぶ

しもべとして立つのなら、人間的なことは我慢しなければならないという理論がある

キリストのしもべであれば、人が怒ったとしても真実を言わなければいけない

人の関心を買っているなら、警告の働きは出来ない

何を選ぶのか?

キリストのしもべになっていくということについて・・・実践するのは別

あちこちで、怒られたり、批難されたりする

中途半端にしているとしもべとして用いられない

どこかで、腹を決めなければいけない

イエス様やパウロのように、妥協したりせずに、突っ走っていく

言うべきことは言わなければいけない

そうでないと違うものを掴んでしまったりズレたりしてしまう

 

1:11 兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。

1:12 私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。

誰かの下について教わったわけではないとパウロは言っている

しかも、生前のキリストに教わったわけでもない

しかし、キリストの多くの書簡はパウロによって書かれた

人間から教わったもの、あるいは、キリストの啓示によって教えられたものの、2種類がある

そして、明らかに啓示によるものが残った

神からの啓示は残る

教えであっても人からのものがある、しかし、長続きしない

どんなに知恵が尽くされていても残らない

神からのものなら、どんなに小さなものでも残る

もし、神の働きに連なっていくなら、真の神の働きに携われるように祈り求めていく

主が語っていることは霊的に吟味して行なっていく

たとえ失敗しても教えてくださり、確認を与えてくださる

神から来たものをとらえる

神からのものを行なう

神のために時間を有効手的に使う

啓示:ベールをはがす、たとえの理解をする

啓示が、どういう風に開かれるか?→見える形や聞こえる形や幻でもない

祈って聖書を読んで理解する、たとえを理解する

祈り心をもって読んでいく→「今は分からなくても、いつか教えてください」と

そうしていくときに主が啓示を開いてくださり、憐れみをもって紐解いてくださる

啓示を求めていく人には与えられていく

御心を感じた人は求めていく

 

1:13 以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。

ユダヤ教徒(英語):ユダヤ教

英語のニュアンス:以前ユダヤ教にいたときの私の行いについてあなたがたが聞いているところ

ユダヤ教の教えそのものが、そのときに、迫害し、滅ぼそうとしたということを言っている

このことは、パウロ個人と言うよりも、ユダヤ教を信じている人々全体のことを指している

今の時代、大事な真理に近付かせないような罠がある

ユダヤ教はキリスト教を滅ぼそうとしている

聖書の言っていることを正しいとする

物事を単純に考える

真理を優先していくときに真実を見ていく

 

1:14 また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。

1:15 けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、

1:16 異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、

1:17 先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。

16:パウロは素晴らしい啓示を受けて誰よりも用いられた

仕事がある→「異邦人に伝える」ということをパウロが出来るということを見越して選ばれた

パウロの働きに期待して啓示が来た

教えや啓示が来たら見込まれたということ、ゆえに、きちんと期待に応える

啓示が来たら働きや仕事がある、だから、やっていくべき

真理が開かれたら、セミナーやニュースレターやインターネットを通して伝える責任がある

 

1:18 それから三年後に、私はケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました。

1:19 しかし、主の兄弟ヤコブは別として、ほかの使徒にはだれにも会いませんでした。

1:20 私があなたがたに書いていることには、神の御前で申しますが、偽りはありません。

自分はクリスチャンになったけれども、教えてくれる人に着いていたわけではないということを言っている

 

1:21 それから、私はシリヤおよびキリキヤの地方に行きました。

1:22 しかし、キリストにあるユダヤの諸教会には顔を知られていませんでした。

1:23 けれども、「以前私たちを迫害した者が、そのとき滅ぼそうとした信仰を今は宣べ伝えている。」と聞いてだけはいたので、

1:24 彼らは私のことで神をあがめていました。

パウロは、ほとんど人間には教わっていない、しかも、キリストからも教えられていない

しかし、聖霊によって深く教えられた

私たちにも救いがあるし、今でも啓示がある

求めていくなら必要なことを教えてくださる