テトスへの手紙3章1~8       2014.3.23

 

 

 

3:1あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。

 

 

 

今の時代は何でも反抗する時代。  例:学校では生徒や親が教師に。

 

それは良い風潮ではない。

 

クリスチャンは、[地に着く、世につく]という事を通して、この世に影響されてしまうという警告を聖書は度々語っている。

 

サタン自身が逆らう者。御使いは次の世を継げない。

 

クリスチャンとして歩んでいくなら、従順に歩むことが、大いに益になる。

 

支配者たちと権威者たちに服従する時、受けるべきものを受けていく。

 

従順に、忠実にやっていく中で、「従う」という事が身に着く。

 

それを通して「忠なるしもべ」と、神に認められ、あるべき奉仕が来る。

 

神に評価される。

 

反抗したりぶつかって来たりする人は、変なものを掴んだり、惑わしに入ったりする。

 

 

 

3:2また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。

 

 

 

是非このような者となりたく思う。

 

 

 

3:3私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。

 

3:4しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、

 

3:5神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。

 

 

 

誰でもかつては、このような者。

 

この世の人であった時には仕方のない事。

 

しかし、こういった事柄から救われて義とされていき、天の御国をつぐ父なる神の相続を受けるようになる。

 

ここで知らなければならない事は、我々が、かつての様に愚かで不従順であったり、欲情と快楽の奴隷となったりするなら、御国、永遠の命をを相続できない。

 

 

 

聖霊によって洗われる。(聖霊の水によって清められる。)

 

 

 

新生について。 ギリシャ語で、「パリジェネシャル」

 

パリ=再度   ジェネシャル=創造

 

創世記というのは、天地が造られた・・創造された。 人間が造られた・・創造された。

 

これらの「ジェネシャル」は同じ言葉が使われている。

 

 

 

創世記でアダムとイブが何も無いところに神が創造した。

 

同じ意味合いで、我々は、キリストを信じる時に、再度、創造される、という風にこのギリシャ語は語っている。

 

人間的に、物理的に再創造されるという事はない。

 

これは、霊的な事を言っている。 「再創造」という言葉が使われている。

 

我々が聖霊に従う時に、我々の内側に、「再度創造される」という表現がピッタリな「創世記の創造」、そういった事が起きてくると、聖書は語っている。

 

聖霊に従って歩み、聖霊に祈って行く時に、それは起きる。

 

肉眼で見える形ではないが、段々と内側が変えられていく。

 

全然信じない人は、それを見ない。

 

 

 

3:6神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。

 

 

 

豊かに、というのは強い言葉。 制限なしというニュアンスがある。

 

神は、聖霊を豊かに注いで下さる。

 

聖霊が十二分に下っているというのが大いに大事。

 

聖霊が主によって与えられた故に、我々は罪を犯しても悔い改める事が出来るし、神に立ち返る事が出来る。再度救いの喜びに入ることが出来る。

 

聖霊の働きこそがクリスチャン生活の最も中心であり、全てである。

 

神に対して不忠実になってしまったり、罪を犯してしまったりするような我々に、神が聖霊を

 

十二分に与えて下さるというのは、大変な恵み。

 

 

 

3:7それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。

 

 

 

聖霊を豊かに注いで下さるが、それを通して、我々は、神の相続人となったり、また、永遠の命を得るために、義と認められる。

 

我々は、永遠の命を得るのが最も大切な事。

 

パウロも「私はすでに得たのではない」、また「完全にされたのではないと」、「キリストがこれを得させる」と言っている。

 

イエス様ご自身も、「たとえあなたが全世界を得るとしても、もし命(永遠の)を失ったら何の得があるか」と言われた。

 

我々は、天の父の相続をする。

 

しかし、誰でも相続できるわけではない。

 

いい例がアブラハム。

 

アブラハムも、自分の財産を、息子に相続させようとした。

 

一人はイサク。 もう一人は、イシマエル。

 

イサクは自由の女の息子。イシマエルは奴隷の女の息子。  これは喩え。

 

罪から自由になるか、罪の奴隷になるか。

 

奴隷の女の息子、喩えの意味合いとしては罪の奴隷を象徴するイシマエルはアブラハムの財産を受け継がなかった。

 

アブラハムの子孫が旧約のイスラエルであり、今の新約の我々も、新約のイスラエルなので、

 

我々もそういう意味でアブラハムのすなわち信仰の子孫。

 

しかし、全てのアブラハムの子どもが、相続を受けたわけではない。

 

逆に奴隷の子は追い出された。

 

同じように、我々が罪の奴隷となっていくならば、御国、天の父の相続を受けない。

 

 

 

クリスチャン生活の一つのポイントは、聖霊によって義とせられ、初めて相続人になる。

 

永遠の命をゲットする。

 

我々は義とされなければならない。

 

聖霊に従っていくなら、主によって変えられていき入るべき道に入って行く。

 

主の御声に聞きしたがって行くなら大丈夫。

 

 

 

3:8これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。

 

 

 

 確信をもって話す、という事は、確信させるという事。              

 

我々が主の働き人として立つならば心がけなければならない事がある。

 

人々が確信を持つまで、きちんと奉仕をする。

 

あやふやでは働き人としては足りない。

 

人々が確信を持つようになるならば正しい奉仕をしている事になる。

 

確信をもって初めて行動に入る。

 

メッセンジャーは同じことを言ったり、同じことを繰り返すことを恐れてはいけない。

 

大事なことは繰り返し言わなければならない。

 

それは大いにその人にとって益になる。

 

聞いている人達が確信を持つようになっていく。

 

そのためにの働きをする。そうでなければその働きが無駄になる。

 

このポイントを正しく行なっていく時に、実は結び、働きが実を結び、救いを得たりする。