ネヘミヤ記8章 2012.3.4

 

8:1 民はみな、いっせいに、水の門の前の広場に集まって来た。そして彼らは、主がイスラエルに命じたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに願った。

8:2 そこで、第七の月の一日目に祭司エズラは、男も女も、すべて聞いて理解できる人たちからなる集団の前に律法を持って来て、

8:3 水の門の前の広場で、夜明けから真昼まで、男や女で理解できる人たちの前で、これを朗読した。民はみな、律法の書に耳を傾けた。

終末に起きてくる回復の働きの預言

第七の月の1日目は、7つ目のミレニアムに通じる、仮庵の祭りの時

律法を理解できる人にポイントがある

このことが強調されている

理解することにポイントがある

 

参照 マタイ13:13

13:13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。

 

群集は、たとえを理解しなかった

多くの人は聖書を読む、また、聖書は大事なことを語っている、しかし、理解しない

多くのたとえは弟子の歩みをしている人に理解することが赦される

多くの人に救いの道は用意されている、しかし、弟子の道を選ばないなら、それまでで、おしまい・・・という、シビアな一面があるということに関しては正しくとらえておく

悟ることは英語で“understand”(理解する)と訳されている

同じ御言葉を聞いても、ある人は悟り、理解する

しかし、「彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしない」とあるように、本質的なことを逃してしまう、今で言うなら・・・特に終末や再臨に関して正しく理解しない、悟らないということになる

だから、幼子、乳飲み子は悲惨だと言われている

御言葉の奥義(たとえ)について理解しないと、神様の御心は理解できない

 

8:4 学者エズラは、このために作られた木の台の上に立った。彼のそばには、右手にマティテヤ、シェマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤ、マアセヤが立ち、左手にペダヤ、ミシャエル、マルキヤ、ハシュム、ハシュバダナ、ゼカリヤ、メシュラムが立った。

8:5 エズラはすべての民の面前で、その書を開いた。彼はすべての民よりも高い所にいたからである。彼がそれを開くと、民はみな立ち上がった。

8:6 エズラが大いなる神、主をほめたたえると、民はみな、手を上げながら、「アーメン、アーメン。」と答えてひざまずき、地にひれ伏して主を礼拝した。

8:7 ヨシュア、バニ、シェレベヤ、ヤミン、アクブ、シャベタイ、ホディヤ、マアセヤ、ケリタ、アザルヤ、エホザバデ、ハナン、ペラヤなどレビ人たちは、民に律法を解き明かした。その間、民はそこに立っていた。

8:8 彼らが神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、民は読まれたことを理解した。

読むべき人は理解できるように、ハッキリと読む

語り手がきちんとたとえを理解する

 

8:9 総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民に解き明かすレビ人たちは、民全部に向かって言った。「きょうは、あなたがたの神、主のために聖別された日である。悲しんではならない。泣いてはならない。」民が律法のことばを聞いたときに、みな泣いていたからである。

民は律法の書を聞いて泣いた

なぜ、泣いたのか?→自分が正しくないことを理解したから

しかし、泣くことは悪いことではない、実は、嘆き悲しむ人が、守られる

真に律法を理解したときに嘆き悲しむことにポイントがある

 

参照 エゼキエル書9:4-6

9:4 主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行われているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」

9:5 また、私が聞いていると、ほかの者たちに、こう仰せられた。「彼のあとについて町の中を行き巡って、打ち殺せ。惜しんではならない、あわれんではならない。

9:6 年寄りも、若い男も、若い女も、子どもも、女たちも殺して滅ぼせ。しかし、あのしるしのついた者にはだれにも近づいてはならない。まずわたしの聖所から始めよ。」そこで、彼らは神殿の前にいた老人たちから始めた。

 

このとき、額にしるしをつけられた人(すべての忌みきらうべきことのために嘆き悲しんでいる人々)が滅びから免れた

キリスト教界の中で行われている冒涜に嘆く人は守られる

Ex:セミナー、ニュースレター

神様の御心を行っていくことにポイントがある

 

8:10 さらに、ネヘミヤは彼らに言った。「行って、上等な肉を食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった者にはごちそうを贈ってやりなさい。きょうは、私たちの主のために聖別された日である。悲しんではならない。あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。」

8:11 レビ人たちも、民全部を静めながら言った。「静まりなさい。きょうは神聖な日だから。悲しんではならない。」

8:12 こうして、民はみな、行き、食べたり飲んだり、ごちそうを贈ったりして、大いに喜んだ。これは、彼らが教えられたことを理解したからである。

聖書を読んでも理解する人と理解しない人とがいる

理解する人にポイントがある

 

8:13 二日目に、すべての民の一族のかしらたちと、祭司たち、レビ人たちは、律法のことばをよく調べるために、学者エズラのところに集まって来た。

8:14 こうして彼らは、主がモーセを通して命じた律法に、イスラエル人は第七の月の祭りの間、仮庵の中に住まなければならない、と書かれているのを見つけ出した。

第七の月、第7のミレニアムに、仮庵の祭りを実践した

見つけ出したことにポイントがある

しかし、見つけ出さない人がいる、でも、これは、NG

地下教会を作ることに御心がある

 

8:15 これを聞くと、彼らは、自分たちのすべての町々とエルサレムに、次のようなおふれを出した。「山へ出て行き、オリーブ、野生のオリーブの木、ミルトス、なつめやし、また、枝の茂った木などの枝を取って来て、書かれているとおりに仮庵を作りなさい。」

レビ人、祭司たちは仮庵の祭りのおふれを出した

できる範囲でおふれを出す

 

8:16 そこで、民は出て行って、それを持って帰り、それぞれ自分の家の屋根の上や、庭の中、または、神の宮の庭や、水の門の広場、エフライムの門の広場などに、自分たちのために仮庵を作った。

自分たちのために仮庵を作ったことにポイントがある

イエス様も福音書の中でこのことは語っている

 

参照 マルコ13:14-16

13:14 『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならば(読者はよく読み取るように。)ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい

13:15 屋上にいる者は降りてはいけません。家から何かを取り出そうとして中に入ってはいけません。

13:16 畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません

 

既存の教会はある、しかし、地下教会を作る

 

8:17 捕囚から帰って来た全集団は、仮庵を作り、その仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで、イスラエル人はこのようにしていなかったので、それは非常に大きな喜びであった。

バビロン捕囚(アメリカ由来の教理) から、解放されて戻ってくる→少数であっても正しいところに戻ることにポイントがある

帰って来ない人はバビロンにいる

「ヌンの子ヨシュアの時代から今日まで・・・」の意味合い:イエスの時代には、仮庵があった、そして、それからしばらくの間はなかった、しかし、7年目のミレニアムに再現する

 

8:18 神の律法の書は、最初の日から最後の日まで、毎日朗読された。祭りは七日間、祝われ、八日目には定めに従って、きよめの集会が行なわれた。

御言葉をきちんと読み、ハッキリと語る