ピリピ人への手紙1章 2013.2.24,3.3,3.10
1:1 キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。
しもべ:キリストの奴隷(意味合いとしては“この世的なことや肉的なことから解放される”)
監督:遠くを見る人
教会の中で遠くまで見渡せる人、神の示しを見る人→牧師のこと、そういう立場の人を尊重するのは大事なこと
執事(ギリシャ語):使い走り(あらゆる雑用をする)→仕えていくときに恵みを受ける
礼拝(サービス)に仕える
仕えていく人が一番得をする→恵みや御言葉をいただける
1:2 どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:3 私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、
1:4 あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、
神さまの前に祈る
レムナントに関わる人々のために祈る
1:5 あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。
1:6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。
6節はとても大事
キリスト・イエスの日に関して
参照 Ⅰコリント3:9-17
3:9 私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。
3:10 与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。
3:11 というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
3:12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
3:13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
3:14 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
3:15 もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。
3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
3:17 もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。
9節:私たちは神の建物
10節:ほかの人→お一人一人のこと
土台は変えることはできない
11節:土台はイエス・キリスト
12-17節:この日がキリストの日
土台は変わらない
しかしある人はわらで建てる、そしてある人は木、ある人は金で建てる
草や木は燃える
キリスト・イエスの日は厳しい時、試練や困難の時
お一人一人の歩みのことを言われている
その時に自分で立てる
建物は個々におけるクリスチャン生活で作っていく
試練、困難の日が必ず来る
その時にどういうものを建てたか?をテストされる
残るか残らないかは大事
それによって報いが来る
もし残らなければすべてパーになる→15節の「損害を受け」の御言葉が成就してしまう
信仰をテストされる時が来る
無意味なクリスチャン人生になってしまう人がいる、そしてそういう人は結構多いのでは?
主の前にどういう歩みを建て上げていくかは大事
きちんと忠実に歩んでいるかの真価が問われる
報いを受けられるように歩み、祈り求めていきたい
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6節に書かれているようにならなければいけない
それぞれの人の建て上げが完成されたい、このことは別の箇所でも言っている
参照 ピリピ人への手紙1:10,11
1:10 あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、
1:11 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現わされますように。
ちゃんと完成してキリスト・イエスの日に非難されることのないようにする
何も残らないということがあり得る
どのような奉仕、歩みをしていくか?
主の声を素直に聞いていく人は完成する、完成できるように歩んでいきたい
積み上げるべきものを積み上げていきたい
1:7 私があなたがたすべてについてこのように考えるのは正しいのです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり、私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです。
投獄(英語):鎖につながれている
パウロがそうだったときにピリピの人は福音に立った
パウロのように同胞が囚われの身になったときに「その時にあなたはどうしたか?」を問われる→イエスさまはこういうことをとても気にされるお方
参照 マタイ25:32-46
25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
25:44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
25:45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』
25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」
また、「場所(天の御国)を備える」ということに関して、誰に対して言ったか?は大事
参照 ヨハネ14:1-3
14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
これらの御言葉は最後の晩餐の時、12弟子(イスカリオテのユダは裏切ったので正確には11弟子)に対して言われたこと
なぜ12弟子だけに言われたのか?→12弟子は危険な状態の時でもキリストに着いていったから、つまり逆境の状態の時にどうするのか?はとても大事→より分け(御国を継ぐかどうかの)になる
1:8 私が、キリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、そのあかしをしてくださるのは神です。
1:9 私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
8節:キリストを愛する愛が豊かになる
9節:あらゆることに関して識別する、吟味することが大事→インチキが多いから
インチキの霊や教理が来る
あらゆる識別力が大事
聖霊にあって見分けていく
真の知識も大事、あらゆる真理を教えられるのが大事
1:10 あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、
1:11 イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現わされますように。
何が大事ですぐれているかを見分けるのは大事
教理を見分ける、すべての教派が正統ではない
違ったものを掴まないように
変なものを掴むとキリスト・イエスの日に非難される Ex:艱難前携挙説
もっとも大事なものを吟味し、受け入れていく→キリスト・イエスの日に非難されない
非難されないようにということは、非難される人がいるので、非難されることのないように祈り求めていく
主の日に備えていきたい
11節のように歩むなら非難されない、こういう人は誉められるパターン
義の実:御霊の実を結ぶ→それによって結果が変わる
1:12 さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。
1:13 私がキリストのゆえに投獄されている、ということは、親衛隊の全員と、そのほかのすべての人にも明らかになり、
1:14 また兄弟たちの大多数は、私が投獄されたことにより、主にあって確信を与えられ、恐れることなく、ますます大胆に神のことばを語るようになりました。
パウロの投獄によって福音を前進させることになった
人間的な考えを持たない、人間的に物事を見ずに主の言われたことを優先していきたい
神の方法を尊重
人間的に悪いものが、かえって前進させることがある
14節「投獄された」(KJV):鎖につながれている
神に用いられたパウロが結果どうなったか?→鎖につながれた
この世において正しい掲示をあずかった者の報いはこのようなもの、これ以上でもこれ以下でもない
もし掲示が本当に開かれたら、これくらいの対応を受ける
サタンは正しい人を気落ちさせようとする、しかしこれが普通、かと言って怯んではダメ
これ以上パウロを動かしたくないというサタンの手段
門が開かれないくらいで普通、反対にインチキは道がすぐに開かれる
本物ならサタンにとどめられるのが聖書の原則
1:15 人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。
1:16 一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、私が福音を弁証するために立てられていることを認めていますが、
立てられている(KJV):任命されている
神の働きの中で神さまが、「この人に福音の全貌を示そう、任命しよう」という人がいる
パウロがそうだった、しかも彼は謙遜だった→聖書のパターン
神の啓示に関連しては任命ということがある、神が選ばれる
神が選ばれた人でハズレは無い、神の選びは見事!!
掲示、示しを与えるときに任命する、終末の掲示もしかり
選ばれたのなら、その働きをぜひ全うしていきたい
任命は神様の責任権なので、それを達成できる、そしてこのことはとても光栄なこと
パウロの時代もパウロが任命され、そして忠実におこない、人に伝えた、終末もこのことに準じる
1:17 他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。
党派心(英語):自分の野心
神のためと言いながら、名目で伝道、奉仕をしている、しかし実際はキリスト教会で有名になりたいという裏があったりする場合がある
福音を伝えることに関して、神が区分を持たれている
神は私たちの気付かないことまで気にされるお方
1:18 すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。
1:19 というわけは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の助けによって、このことが私の救いとなることを私は知っているからです。
パウロの場合は野心ではなく、自分の身を持ってキリストの栄光をあらわしたかった
隠れた野心に従っていくときに、その野心によって足をすくわれる可能性がある
自分の欲に目が惹かれ、真理を見ない可能性がある
野心に従うと見えるものが見えなくなる→サタンはそのあたりをつく
そういったことに関して神が見分けて惑わしに入ることを赦される、そのように神さまはシビアなお方
キリストの名のためと言いながら、野心というのがあり、ひっくり返されることがある
神さまはそういう人をシビアに扱われる
1:20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。
大胆に御言葉を語ることは大事→メッセンジャーの奉仕のポイント
生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現される→見習いたい、実際にキリストの栄光をあらわしたい
1:21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。
生きることはキリスト→生きるのは自分ではない、このことを身に付けることが大事
死ぬこともまた益(KJV):gain“得る”
キリストにあって正しく歩むなら、死んでも得る
参照 マタイ10:38,39
10:38 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
10:39 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
38節:クリスチャンの歩むべき道
十字架:死刑の道具→もっともあるべき姿
39節:わたしのために自分のいのちを失った者は、自分のものとします=得る
この世で言われている歩みとは全然違う
自分のいのちを自分のものとした者:自分の人生の大半を自分のために費やしている人→永遠の命を失うパターン
聖書が推奨している歩み方をとらえておく
時間、お金、エネルギーを主のために浪費する
「失う」というのは、肉体の命(殉教)のことだけを言われているのではない
“キリストのため”or“自分のため”によって、後の結果が大きく変わる
自分のためだけに時間を使うなら永遠の命は危ない
1:22 しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。
クリスチャンと言っても、実を結ぶ人とそうでない人がいる
また、実を結ばないときがある→実を結ぶことが大事
主が召されている働きに応じていくときに、実を結ぶ
1:23 私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。
1:24 しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。
1:25 私はこのことを確信していますから、あなたがたの信仰の進歩と喜びとのために、私が生きながらえて、あなたがたすべてといっしょにいるようになることを知っています。
1:26 そうなれば、私はもう一度あなたがたのところに行けるので、私のことに関するあなたがたの誇りは、キリスト・イエスにあって増し加わるでしょう。
1:27 ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、
27節:キリストの言葉にふさわしく生活できるように祈り求める
言葉だけでなく、行動においてもキリストの栄光をあらわす
奮闘しており→掲示を受けるとき、スムーズにいくとは限らない
パウロは鎖につながれた
一方、別の福音を語る人は誉められる
本当の真理には戦いがある、ゆえに「奮闘」しなければいけない
奮闘して戦う人が勇士
1:28 また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。これは神から出たことです。
反対者が出る、人が用いられる、悪口を言ったり、目の仇にする人がいる
しかし脅かされてはダメ
1:29 あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。
信仰だけでなく、苦しみも賜わった
信じるだけでなく、苦しみもセット
知的な問題だけでなく、身に苦難が起こるような選択
キリストと共に苦難をした人には天の御国を約束している
Ex:キリストは最後の晩餐の時に、イスカリオテのユダを除く11弟子に天の御国を約束した
参照 ヨハネ14:1-3
14:1 あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
14:2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
福音を聞くのは一つのこと、しかしパウロのように全うしようというときに、苦しみを覚悟することが必要
普通に正しく真理を語るときに苦難を伴う
1:30 あなたがたは、私について先に見たこと、また、私についていま聞いているのと同じ戦いを経験しているのです。
パウロがした経験をするなら、同じ恵みを受ける、しかしそのことに関してパウロは「軽い患難」だと言っている
参照 Ⅱコリント4:17
4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
しかもパウロは患難さえも、喜んでいる
参照 ローマ5:3
5:3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
「患難を喜ぶ」ことについて主もこのように言っている
参照 マタイ5:11,12
5:11 わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
5:12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。
色々な苦難が許されたとしても、後の世の栄光に比べたら、いずれも軽い患難と考える
レムナントキリスト教会
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