ピリピ人への手紙2章 2013.3.16,3.24,3.31

 

2:1 こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、

2:2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。

現代の風潮と異なる

教会の歩みで“一致”は大事

教会で、この世の常識を持ち込んでくるクリスチャンがいる

聖書の言われている基準に従う

一致&秩序は大事

反抗したりぶつかったりすると、ろくでもないことになる

Ex:モーセの姉ミリヤム→らい病になった

Ex:コラとコラの仲間→地が裂けて滅ぼされた、ちなみにコラは「ハゲ」という意味、たとえとしては、権威に従わない人のこと

ミリヤム、コラたちのことは、分裂、反抗への戒め、そして私たちへの教訓でもある

分裂があると、まともに奉仕ができない

分派を起こす者は除名

参照 テトス3:10

3:10 分派を起こす者は、一、二度戒めてから、除名しなさい。

教会が一致するなら力が出る、ゆえに“一致”を尊重する

 

2:3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。

自己中心(英語):自己の野心→こういう動機で奉仕したり、教会で意見を言ったりする

“へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい”:個々のクリスチャンが持つべき志

野心に関しては、人前には分からない、しかし神は人の心を探るお方

本当に御言葉の真理に従うのか?それとも野心に従うのか?を見抜かれる

野心に従うなら、真理が見えなくなる

色々と試される

 

2:4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。

このことも大切

 

2:5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。

2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、

神と人間とは全然違う

神が人間になるというのは、没落すること

 

2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。

ご自分を無にして(KJV):評判の無い者として→評判を失う

キリストは、評判がゼロになっても従った、しかも最後はマイナスになった

本当に主に従っていくときに、“人からの評判”はネックになり、弱点になり、サタンがついてくるところ→主はこのことを試みる、そしてこのことは覚悟する→それでも従っていくのか?が神の前に問われる

 

2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。

2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

主はしもべの姿をとられて、死にまで従った

主が私たちの歩みの模範

歩みによって、結果が異なる

この世の報いを求めると失敗する

9節に書かれているのは、後の世のこと

勝負はこの世ではなく、後の世、それを求めるのがもっとも賢い

この世では評価は低い、しかし後の世では高い

多くのクリスチャンこの世でも高く、後の世ではもっと高いと思っているかも知れない、でも、これは無理、なぜか?イエスさまでも、できなかったから

聖書に書いていない無理なことは求めない

主の歩みは7節、英語では“奴隷”みたいなニュアンス

キリストの歩みは明らか→神の御心に自分を無にして、グーッと従っていった

この世とは違う、この世の価値観は自分を高くする

主は自分のために何もしていない、自己実現は何もしていない

しもべの姿をとって、神の言われたことに従っていった

自分の考えではない、神の言われることに何でも従っていった→模範

私たちもこの世の歩みでクリスチャンとしての模範を示していく

この世のことはすべて消えるから、後の世のことに比重を置く

キリストの歩みが損に見える、しかしベストな歩み

しもべとして御心をどれもこれも行った→キリストの歩み

損ばかり、馬鹿みたいに見える、しかし聖書的には賢い歩み

 

2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、

2:11 すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

キリストはこの世では、みな失った、しかし後の世で高く上げられた

この世で徹底して従ったら、後の世で高くなる

聖書ではこういったことをクリアに書かれている、しかしクリスチャンの目が曇っている

自分の都合ではなく、御言葉を優先したい

 

2:12 そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。

従順が大事→益になる

今の時代のクリスチャンは、屁理屈が多い

恐れおののいて自分の救いを達成してください:救いは洗礼で終わるわけではなく、途中でコケてしまう人が出てくるということを言われている

参照 ルカ14:2830

14:28 塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。

14:29 基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、

14:30 『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった。』と言うでしょう。

今のキリスト教会は救いに関して、聖書とは180度違うことを言っている

どんなことでも完成して、なんぼのもの

救いを達成することが大事

もう、大丈夫・・・と、甘く考えて、最後にコケる人が沢山出てくる

“大丈夫”ではなく、“何とか達成したい”と思うことが正しい

根拠の無い安心は危ない

恐れおののいているときは、きちんと仕事を達成できる

今のキリスト教会のトレンド→クリスチャンを安心させ、油断させる

救いを全うしなければいけない、ゆえに、“まだ、途上の身”であることを、重々承知しておく

 

2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。

2:14 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。

私たちの心に、こうすべき、ああすべきということを起こさせる→御心

私たちの思いの中で、神は働く

祈っていくと、聖霊が徐々に教えて下さる

このことを信じて行っていく

歩み&働きに関して、その時々に語って下さる思いに従っていきたい

御心をとらえるためのスキルを身に付ける

失敗しながらも覚えていく→主からの語りかけなのか?それともサタンからのか?を理解する

 

2:15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、

今も曲がっている、そして、どんどん曲がっている

世代を見分ける

そういう中で、純真に正しく歩んでいく

キリスト教会の雑誌等に関して・・・どこかで違っていることを想定して、聖霊によって吟味

していく

今の世代の常識を持ち込んではダメ、そういう人には正しく対応する

 

2:16 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。

神の言葉をまともに握っていないクリスチャンが多い Ex:同性愛を受け入れる

神の言葉を堅く握ることにポイントがある

キリスト・イエスの日が、必ず来る→私たちの成果が問われる

どのクリスチャンにも、キリスト・イエスの日が来る、場合によっては奉仕や歩みが焼けてしまう人がいる

どういう風に歩んだか?が問われる、その際、無駄になる人がいる

残る歩みをしていきたい

奉仕は聖霊によって、行っていきたい

 

2:17 たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。

注ぎの供え物に関して

参照 出エジプト29:41

29:41 もう一頭の若い雄羊は夕暮れにささげなければならない。これには朝の穀物のささげ物や、注ぎのささげ物を同じく添えてささげなければならない。それは、なだめのかおりのためであり、主への火によるささげ物である。

ぶどう酒を注ぐこと

注ぎの供え物=殉教

ぶどう酒:キリストの血

殉教をして、キリストの血を流す

艱難時代に殉教したとしても、神の前に喜ばれる捧げ物となる

主も、血を流して贖いをしたので、私たちも自分の命を失っても主に仕えていく(強制ではありませんが)

もっとも尊いものを失って、主に仕えていく→主が喜ばれる

参照 ヨハネ15:13

15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。

 

2:18 あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。

2:19 しかし、私もあなたがたのことを知って励ましを受けたいので、早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。

パウロは信仰の訓練をしている

神の働き人がすること→①主に仕えいく②信仰の子どもを産んでいく

テモテのように育て上がった人を送る

テモテのように建て上げられて、遣わされて、パウロの代わりに奉仕をするぐらいになるなら、報いを受ける

テモテのように訓練され、建て上げられ、機会があったら、遣わされていく→聖書的に健全なパターン

そのための訓練をしなければいけない

主の言われた時間を祈り、章数を読む→建て上がる

テモテのように、パウロの代わりができるのが正しい

いざというとき、用いられるように訓練していく→それを通して強められたりする→聖書的に健全なこと

建て上がるとき、働きが祝福される

建て上がるor建て上げられないかは、歴然

参照 ルカ13:69

13:6 イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。

13:7 そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』

13:8 番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。

13:9 もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」

また、小さなことに忠実なことが大事→大きなことも成し遂げられる

 

2:20 テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。

テモテが遣わされた理由:自分のことのように相手のことを祈っていた

奉仕に着く大きなポイント→その人のために親身にとりなしたり、対応したりする、自分のことのように他の人をとりなしていく

 

2:21 だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。

たとえクリスチャンであっても、人の習性は自分のことを求める

キリスト・イエスのことを求めていません:キリストの羊であり、心配している教会のことを心配していない→一般的には、そう

この世の人、あるいはクリスチャンがそうであったとしても、驚くには値しない

主の働きのことを一般的には求めない

主のことを求め、主の心配していることや気にしていることに祈りをし、奉仕をするなら尊い→しかし、このことは例外的とも言える

祝福されるのは、テモテの歩み

自分のことよりも主のことを優先することにポイントがある→とても尊い

主のために時間を使う

 

2:22 しかし、テモテのりっぱな働きぶりは、あなたがたの知っているところです。子が父に仕えるようにして、彼は私といっしょに福音に奉仕して来ました。

このことは、奉仕者が育っていくときの1つのパターン

建て上がるつもりがあるのなら、指導者、牧師に従うことに精を出す

でも、残念ながら、ブツブツ文句を言う人が多い→NG

建て上がっていくために、言われたことは行っていく、その中で学んでいくことがある

理屈ではなく、体を伴って、行って、建て上げられる

 

2:23 ですから、私のことがどうなるかがわかりしだい、彼を遣わしたいと望んでいます。

2:24 しかし私自身も近いうちに行けることと、主にあって確信しています。

2:25 しかし、私の兄弟、同労者、戦友、またあなたがたの使者として私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデトは、あなたがたのところに送らねばならないと思っています。

2:26 彼は、あなたがたすべてを慕い求めており、また、自分の病気のことがあなたがたに伝わったことを気にしているからです。

2:27 ほんとうに、彼は死ぬほどの病気にかかりましたが、神は彼をあわれんでくださいました。彼ばかりでなく私をもあわれんで、私にとって悲しみに悲しみが重なることのないようにしてくださいました。

2:28 そこで、私は大急ぎで彼を送ります。あなたがたが彼に再び会って喜び、私も心配が少なくなるためです。

2:29 ですから、喜びにあふれて、主にあって、彼を迎えてください。また、彼のような人々には尊敬を払いなさい。

2:30 なぜなら、彼は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。彼は私に対して、あなたがたが私に仕えることのできなかった分を果たそうとしたのです。

29:キリストの奉仕のために危険を冒している、だから尊敬しなさいと言っている

今の常識とは違う、しかし、そういう人を尊敬する→命の危険を冒しているから

多少危険を冒しても、奉仕している人を尊敬する

そして、キリストのために、ある程度、危険を冒して奉仕をする