ユダの手紙11節~25節          2015.9.6

 

11ああ。彼らはカインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのようにそむいて滅びました。

 

ユダの手紙は一貫として終末のおいて起きて来る、おかしな教え、それを持ってくる人々について書いてある。

18節には「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」   終わりの時、終末の時にこのような人々が出て来るという事。

一つの特長は、「御使いに逆らう」という事。

ペンテコステ系の教会では、御使いを縛ったり、御使いに逆らったり、反抗したりする動きが始まっている。

いわゆる「霊の戦い」  ピーターワグナーが言いだした。

正しいものの様に受け取られているが、これは間違い。

終末のキリスト教会の中で起きて来る、御使いの権威に逆らって、災いに入って行く、そういった類の教え。

「地域の霊を縛る」とか、「靖国の霊を縛る」、「富士山の霊を縛る」「伊勢神宮の霊をしばる」事をする。そのために大変な目に遭う。

そういった人々の問題は、「カインの道を行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのようにそむいて滅びました。」

カインは、アベルが正しいので、それを妬んでアベルを殺してしまった。

暗示している事は、こういった人々を通して、正しい人々が迫害されたり、場合によってはアベルのように殉教してしまう恐れがある

また、「利益のためにバラムの迷いに陥り」とある。

バラムは金、宝で満ちた家を貰えるという事で、バラクの言う通り、正しい民を呪いに行った。

正しい人を、利益のために呪ったり、迫害したりする道に入る。

「コラのようにそむいて滅びました。」

コラはモーセとアロンに逆らって、衆会の真ん中から地が裂けて落ちて行った。

つまり、反抗的な人々になって行くという事になる。

これらの人は、ペンテコステ系を初めとして行なっている「霊の戦い」に従事しているので、ペンテコステ系の人々は危ない。  こういったトレンドに従って行くという事は、自分たちは、

「神のために大勝利」と思っているかも知れないが、実はサタンに惑わされ、色々、神の前に逆らった道とか、滅びの道に入って行く可能性があるので、気をつける。

 

12彼らは、あなたがたの愛餐のしみです。恐れげもなくともに宴を張りますが、自分だけを養っている者であり、風に吹き飛ばされる、水のない雲、実を結ばない、枯れに枯れて、根こそぎにされた秋の木、

 

「愛餐のしみ」と書いてある。

「しみ」という言葉は、「暗礁」とも書いてある。そんな意味合いもある。

船が暗礁にぶつかると、底に穴が開いて、船が沈んでしまう。

なので、躓きとか、歩みをとどめる者という事。

愛餐は、パンを食べ、葡萄酒を飲む事。

つまり、礼拝において、惑わしや躓きになるという事。

こういった類の人々の話を聞きに行ったり、教えを聞く時に、躓いてしまう。

船で例えると、底に穴が開き、沈没してしまう。

愛餐は、パンを食べ、葡萄酒を飲む事なので、こういった教えを受けるなという事。

暗礁なので、破船してしまうような教会も出るし、信仰の破船に遭ってしまう人々も出て来る。

なので、おかしな霊、おかしなトレンドという時に、教会が破船してしまう。

「恐れげもなくともに宴を張りますが、自分だけを養っている者であり、風に吹き飛ばされる、水のない雲、実を結ばない、枯れに枯れて、根こそぎにされた秋の木、」と書いてある。

「風に吹き飛ばされる」と書いてある。注釈にも書いてあるが、この箇所と同じ言葉が使われている。エペソの414節で、「教えの風に吹き飛ばされる」という文が出て来る。

なのでいろんな目新しい教理、トレンドを入れたりする事が仇になる。

例えば大分前に「聖霊の第三の波」という本が、ペンテコステ系の出版社を通し出た。

これは教えの風。

黙示録には「いちじくが大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった」とある。

喩えの理解では、大風は、教えの風。     実は御霊の実。 

つまり、御霊の実が吹き飛ばされて行ってしまうという事。

変な教えを受け入れてしまう時に、御霊の実が次々に吹き飛ばされて行ってしまう。

そういう意味合いがある。

その視点で見ると、結構当たっている事がある。

かつてエレミヤ牧師がペンテコステ系で「第三の波」とか、霊の世界を受け入れて、行なっている時に一つ見えて来る事は、御霊の実がなくなって行くという感覚が無くもない。

愛、喜び、平和、寛容・・・などが段々消え、刺々しくなって行ったり、人を裁きやすくなる。

そういうトレンドが無くもない。

内部にいた人しか分からないかも知れないが、人間関係がギスギスして行ったり、そこの牧師が意味もなく信徒を怒鳴ったりとか、そういう問題がある。

クリスチャンはそのくらいでは躓かないが未信者が見たら躓く。

「風に吹き飛ばされる、水のない雲、」  これはつまり、御霊の無い働き。

「実を結ばない」 = 御霊の実が無い

「枯れに枯れて、根こそぎにされた秋の木」これも御霊の働きが無いという事。

それらしい霊の働きはあるけれども、御霊の働きは無い。

 

13自分の恥のあわをわき立たせる海の荒波、さまよう星です。まっ暗なやみが、彼らのために永遠に用意されています。

 

海の荒波は、霊的なものであっても、「恥のあわをわき立たせる海の荒波」だから、神からの霊の働きではなく、別の霊の働き。

さまよう星 = 「まっ暗なやみが、彼らのために永遠に用意されています。」と、あるから

真理の光が全く無いという事。  惑わしに入っている。違うものを掴んでしまっている。

 

14アダムから七代目のエノクも、彼らについて預言してこう言っています。「見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。

15すべての者にさばきを行ない、不敬虔な者たちの、神を恐れずに犯した行為のいっさいと、また神を恐れない罪人どもが主に言い逆らった無礼のいっさいとについて、彼らを罪に定めるためである。」

 

エノクはアダムから七代目。

七代目という所にポイントがある。

アダムから七代目にエノクが登場した。

黙示録では、七つの教会が出て来る。これをもってすべての教会を表している。

七つ目とは、最後という事。

教会時代の一番最後は七番目。

エノクが出て来るのは、終末に関連しての預言。

エノクという人の特長は何かと言うと、死を見ずに天に挙げられた人。

終末の時にも死を見ずに天に挙げられる人々が出て来る。艱難前ではない。

終末において、耐え忍んだ人達は、エノクの様に天に挙げられていく。

ただただ楽に挙げられるというのは、聖書的にはあり得ない。

「最後まで耐え忍んだ者は幸いである」と聖書にある。

そういう人たちが携挙される。

その場合、キリストの名に忠実であるがために非難されていく。

アメリカは増々獣的な様相を呈して来ており、いろいろ正しいクリスチャンに言いがかりをつけるために法律をどんどん改悪して来ているように我々には見える。

前からおかしいが、今のオバマ大統領になってからは、増々おかしくなっている。

オバマの一番の特長は、アメリカ全50州で同性婚を法律で実現した事。

少し前までは、同性婚はすべての州では認められていなかった。

アメリカ全50州で同性婚が認められて、早くも逮捕される人が出て来た。

市のクリスチャンの女性職員が、同性愛カップルが結婚手続きをしに来た時、「クリスチャンの良心に従って、これを受け入れる事が出来ない。」と言ったために、逮捕されてしまった。

これから増々このような事が出て来る。

その時に、悪く用いられるクリスチャンも出て来る。

こういった人達をも想定したうえで、エノクの事も語られているのではないか。

「見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。」

これは、明らかに再臨の主。

「すべての者にさばきを行ない、不敬虔な者たちの、神を恐れずに犯した行為のいっさい」

エノクは、艱難を通り迫害されて携挙された人々の型なので、それに関して主が報われるという事。「また神を恐れない罪人どもが主に言い逆らった無礼のいっさいとについて、彼らを罪に定めるためである。」

なので、再臨というのは、ここを通して分かるように、良い事ばかりではない。

本当に我々が正しく行なっているならば、再臨の主は、我々が待ち望むべきお方だが、しかしクリスチャンであったとしても、同性愛を認めてしまったり、「地獄は無い」だとか、「救いはキリスト以外にもある」とか、まして反キリストを拝んで額に666の印を押されてしまっている者にとっては、再臨は災いの時となる。

 

黙示録

1:7見よ、彼が雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。

地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。

 

キリストの再臨は、全てのクリスチャンにとって幸いになるとは限らない。

逆に、変な霊に惑わされたり、変なトレンドに引っ張られたり、変な霊を拝んでいる人達にとっては、災いの日になる。

 

ユダの手紙

「また神を恐れない罪人どもが主に言い逆らった無礼のいっさいとについて、彼らを罪に定めるためである。」

 

これから、罪人が、主に対して言い逆らったり、無礼な、冒涜的な言葉を言う時代になって来る。  今まさに、ペンテコステ系でやっている、「霊の戦い」が、そういったトレンドに入って行くのではないか。

この、「霊の戦い」を行なっている人達にとっては、「自分たちは良い事をしている」と思いつつも、実は、神によってその地域を任された御使いに逆らう、つまり交番にいる警官に石を投げつけるような行為をしている。

すると、ろくでもない事になる。 

それだけではない。 イエス様でさえ、ベルゼブル扱いされた。

これは、教会時代に起きて来る、聖霊に対しての扱いの、預言的な事柄。

初降臨のイエス・キリストは最後には縛られてしまった。

縛られて、ピラトのもとに連れ出されてしまったりしたように、聖霊も最後には、「縛られて」

行くのではないか。

そういう意味では、今の「霊の戦い」は、そういった方向に行くのではないだろうか。

彼らは、全く目が見えないで、悪霊と思いながら、聖霊に対して、「縛る」といった働きをしている。 それに関しての報いが来てしまう。

「主に言い逆らった無礼のいっさいとについて」

「無礼」とは、聖霊に対して「悪霊を縛る」・・こういった事に関しての報いが来てしまう。

今のキリスト教界のトレンドは、油断も隙も無い。

ユダの手紙はまさに、今の時代を語っている。

 

16彼らはぶつぶつ言う者、不平を鳴らす者で、自分の欲望のままに歩んでいます。その口は大きなことを言い、利益のためにへつらって人をほめるのです。

 

大きなことを言う・・「霊の戦い」の人はみな大きなことを言う。

「サタンよ、よく聞け」など。

また、人同士では褒め合っている。

 

17愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。

18彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」

 

ペテロの手紙にもあったように、「主の来臨の約束はどうなったのか」とか言っている人達。

 

19この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。

 

御霊を持たない。    何かの霊に導かれるが別の霊であって、神からの御霊ではない。

分裂を起こしたりする。

生まれつきのまま・・・自分の欲望のままに生きている。

全然クリスチャンとしての霊的なものが無い。

 

20しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、

21神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。

 

「最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げる」事が正しい。

聖霊によって祈る・・・祈りに力を入れて行きたい。

きちんと祈る時間を決め、さぼらずにきちんと祈る時を持っていきたい。

 

「神の愛のうちに自分自身を保ち、」

これはどういう事かというと、「神に愛される位置に、自分を保つ」という事。

神に憎まれる人もいる。 罪ばかり犯している人、神の悪口を言う人。

神の愛から離れた所に、自分をおいてはいけないという事。

神に愛される所にいなさい、という事。

「永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」

今は、レムナントが言っているような事は、少数派。

ペンテコステ系の人々は、こんなことを聞いても、怒り出すか、相手にもしない。

少数であるのは仕方が無いにしても、彼らはキリストの憐れみに留まっていないから、その様な偽りに入っても、自分たちでは全く正しいように見えている。

イエス・キリストの憐れみから外れている。

下手をすると、永遠のいのちに至らない。

我々が正しい方向を見る事が出来るのは、主の憐れみによる以外にありえない。

目がいい人が見るわけではない。

耳がいい人が聞くわけではない。

キリストが憐れんで下さった時に、見ることが出来る。

 

22疑いを抱く人々をあわれみ、

23火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。

 

「火の中からつかみ出して救い」とは、霊的な問題。

惑わしの霊の中で、偽りが正しいように思えてしまう。

全く自分が正しいと思いながら、惑わしに入っている。

 

24あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、

25すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。

 

我々が躓かないように守られるというのは、唯一の神。

傷の無いものとして立つ事が出来るというのは、神ご自身に力があるから。

これは名目ではなく本当のこと。

かつてエレミヤ牧師のいた教会でも、「霊の戦い」とかを今でもやっているので、惑わしに入って行く可能性は多いにある。

しかし、神が憐れんで下さるなら、我々も見ることが出来る。

今は、結構惑わされている人が多い。

これから増々惑わされる人は増えて行く。

あらゆる御言葉がそのように語っている。

ノアの洪水の事。 霊の洪水の事。

ハルマゲドン・・王たちが惑わしの霊にやられて、汚れた霊に惑わされて戦いに入って行く。これから、惑わしの霊が、洪水の様に覆って入って来る。

ノアの洪水の時も洪水から守られた人は少数。

同じような意味合いで、我々も、例外的に守られる時に入って行く。

「当たり前」と思ってはいけない。

自分から見る事が出来たなら、それはただ、主の憐れみによる。

この事は見て行きたい。

こういった働きの中でも、主が言われた事をやって行く人が勝ち。

見える事は憐れみ。

躓かないように守ることが出来るのは、唯一の方は神ご自身。

この事に、ポイントがある事は見て行きたい。